奄美のリアル事件簿 『紳士の盗癖』
バブルが弾けていたがまだ余力があった一九九〇年代の終わりごろ、群馬県の妙義山麓を望んだ小高い城跡の調査をしたことがある。
そこが上野の国と呼ばれ、城として機能していた戦国時代末期、強大だった国主・関東管領上杉家が、後北条家に押され、さらに武田、上杉といった周辺諸氏の草刈り場となった。そして武田氏を滅ぼした織田氏が押し寄せてくる。
城跡から発見される北条傘下のころの城側の火縄銃の弾丸は小さいもので、それに対し、織田家のものはひとまわり大きい。これだけで、織田家側の火縄銃の飛距離・破壊力が大きく、同家が天下一統を目前にし、敵対勢力を怒涛の勢いで踏みつぶして行く様が、目に浮かぶようだ。
当時、中世城郭調査を行う場合、依頼者がゴルフ場であることが多かった。ゴルフ場は山麓の尾根や谷間を含んだ広大なエリアを用地として地形を変えてしまう。そのため、史跡の記録をとる必要が生じる。
調査に当たって、現地での打ち合わせには、土地所有者にして遺跡調査のスポンサーたる城山ゴルフ場(仮称)の支配人、調停役である町役場職員、そして調査会社の私の三者が、ゴルフ場の一室で会合した。
.
私にとって、ゴルフ場というものは、いい印象がなかった。
バブル時代のゴルフ場の幹部というものは、所用車とする外車を乗り回し、ヤクザの親分を気取って横柄な態度をとっていたものだ。城山調査の少し前、コンビニ駐車場から、バックで出かけた時に、こちらが動いているところに、待っていればいいものを、横スペースに強引に割込んできて接触した。運転者は、「なんでハンドルを横に切るんだ。示談にしてやる」とかいっていた御仁がいた。もちろん、警察と保険会社を入れ、相互過失にもちこんだ。県内にいくらでもあったゴルフ場の一つである梅里ゴルフ場の専務だ。
ここ城山ゴルフ場の支配人は、眼鏡をかけた背の高い細身の老紳士風で、物腰が柔らかい。話し方も丁寧で良い印象を持った。会合では調査期間が二〇日くらいであること、測量をゴルフ場お抱えの土木会社にさせることなどといったことが取り決められた。
作業員休憩棟は、古い製糸工場の廃屋で、コンクリート棟の内部は電気・水道も使えるが、崩れかけており、夜になると幽霊でもでてきそうな雰囲気だった。
.
戦国時代の山城というのは、関東圏だけでも、領国各家によって実に様々な形態をもっている。そこの城は低い尾根を削り、大小多数のフラット面を設けて、敵を迎え撃つような構造になっている。城の範囲はあまりにも広大だから、全部を調査するのではなく、城のほんの一部、曲輪と呼ばれる、狙撃兵小隊用の足場のような場所だ。
曲輪を連ねた尾根、そこの横に道路があって、老紳士の支配人が何度かやってきては、手を振ったり、ねぎらいの言葉をかけてきたりしたものだ。地元で集めた作業員たちからのウケも悪くはない。私の中でのゴルフ場幹部という印象が変わってきた。
期限がきて調査が終わり、役場職員が確認に立会い、遺跡地はゴルフ場側に引き渡された。細面の支配人は笑み一杯で感謝の言葉をいった。
数年後。同ゴルフ場がテレビのニュースに映った。逮捕されたのは細面の支配人だった。罪状は、客の貴重品ロッカーをカード式のマスターキーで勝手に開け、財布等を盗んだというのである。常習犯で数次に渡っての窃盗だ。
ふつうに考えて、客の財布なんぞ盗んだところで、ゴルフ場が支配人に支払う給与や退職金に比べれば微々たるものだろう。一切を無にしてまですることか。その人が懲戒解雇になったことはいうまでもない。
了




