奄美のリアル事件簿 『中洲荘の幽霊』
前に勤めていた会社、設立から三十年くらいで破産することになるそこをアークと仮称しておこう。発足から間もないころで、私はまだ在職してはいなかった。当時からいた先輩に訊いた話だ。
昭和時代末。群馬県の山奥で大規模開発があり、遺跡の事前調査が行われることになった。宿舎としていたところが旅館・中洲荘だった。岩魚がいるような清流、そんな川の中に、文字通り中洲があって、どでん、と城塞のように二階建て二十室弱の旅館がのっかっている。バス停から降りてみてみると、一見、潰れているような、半ば荒れたようなモルタル壁に瓦をのっけた、昭和三十年ごろに建てられたような安普請だ。
部屋は個室だが、隣部屋とは襖で仕切っただけ。食事は、古びたカラオケ機器のある大広間で食べる。カラオケというのは、スクリーンのないタイプで、ラジオカセットで音楽を流し、客たちは、歌詞カードをつかって唄うのだ。
かつて上野国と呼ばれた群馬県は、江戸時代、幕府直轄領たる天領が大半を占め、残るところには小藩が点在する程度だった。大名家は藩政が悪いと潰される。だが、天領ではその心配がない。いわば親方日ノ丸だ。自然、タガが外れる。博徒がはびこった。中山道があり人の往来も多い。ゆえに博徒がさすらう土地柄となった。加えて、日本初の近代工場・富里製糸工場以来の工場地帯を抱えており、なおさら、外部からの流入者が多く、他地域のような相互監視が効かない。ゆえに昭和時代では、大久保清による婦女連続殺人のような大事件がいくつか起こったわけだ。私・奄美の郷里が明治以来の炭鉱町で、風土が酷似している。
中洲荘は朝食と夕食がつく。やたらと盛り付けが良かった。おかずは三人前はあろう大膳がついて一泊五千円という廉価だったのだ。同じフロアに大浴場がある。鉱泉だ。客といえば仕事で連泊していたアークの職員五名だけだ。ある年の会社忘年会のとき、彼らから、旅館にまつわる怪談話を訊くに至った。
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●鈴木先輩談。「殺人事件があったんだ。旅館の娘さんで、部屋に来たところを、客に強姦された。裸にされた死体は、部屋でばらばらに切断され、近くの川原で発見された。事件は迷宮入りになっている」
●吉田先輩談。「幕末期、水戸藩の天狗党が、地元小藩とせり合った古戦場跡なんだ。下仁田戦争っていう。霊能者が、部屋の窓から川原をみると、いまでも成仏できない鎧武者が、ひたひた歩いているのがみえるって噂だ」
●川島先輩談。「夜中になると誰もいない大浴場から、人が入っているような物音がするんだ。牛光さんは、霊視能力がある。部屋に遊びにいったら、酒を飲んでいて、川島君の後に、女の子がいるよっていったんだ。振り向いたけれど、誰もいなかった。怖かったあ!」
●牛光先輩談。「吉田に、川島がそんなことを……。ばっかでえ」
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さてここで、私・奄美の所見である。
鈴木先輩のいう殺人事件は確かに起きたようだ。だがそれ以外の先輩方三名のお話は、嘘と妄想の世界である。
吉田先輩のいう古戦場は近くにあるのだが、街道筋で起きていて、旅館のある中洲ではなかった。しかも大戦争というほどではなく数名が死傷した小競り合いだった。
川島先輩のいう大浴場、夜中の物音についてだが、湯船の滴露が天井にたまって落ちただけ。静かになった夜になると大きく反響してきこえるものだ。また、牛光先輩が霊能者だという話は、牛光先輩・ご本人の、「ばっかでえ」で総括される。
牛光先輩は昼でも酒臭い。通称は、水島慎二の漫画『あぶさん』を地でいったタイプ。江戸っ子だ。酔っていた牛光先輩は体育会系。学生時代、文系であるところの映画研究会にいたオタクな川島先輩とは話しが合わない。早く自分の部屋に戻ってもらいたくて、臆病な彼に怪談話をしたのだ。
了
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ノート20130410




