奄美のリアル事件簿 『旧石器ミステリー』
地学の考えに、更新世と完新世というのがある。ヨーロッパでは氷河が後退して森ができあがり、豊かな狩猟文化が花咲くころだ。だいたい一万年前くらい前が境目で、旧石器というのが更新世、中石器・新石器というのが完新世になる。中石器は欧州が主なエリアで、中近東あたりはいきなり新石器になったのだとされる。中石器時代は、先端を尖らせた細石刃文化が特徴とされている。
さて、日本ではどうだろう。関東ローム層というのは富士山ほかの火山が盛んに活動し火山灰がやたらと降りそそいで、それが風で飛んで積もったものだ。一万年前から十三万年前のことで、第二次大戦が終結した一九四五年あたりでは、火を噴いたような溶岩と火砕流が川のごとく流れ、やはり熱せられた火山弾や火山灰といったテフラが、頭上から落ちてくる灼熱地獄図のイメージがあって、まさか、人など住んではおるまい、と考えるのが当時の知識人たちの常識であった。
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相沢忠洋は、両親が離婚し奉公に出されるという不遇な少年期を過ごし、兵役ののち、終戦後納豆売りをしながら群馬県笠懸村を往来していた。一九四六年、岩宿の切り通し関東ローム層露頭断面から、細石器を発見した。欧州でいうところの中石器時代の遺物にあたる。原石を砕いて、細やかなチップを取り出し、先の尖ったぼっ杭に、数条の細い溝を穿って、カミソリの付け替え刃のように差し込んで連ねるのだ。チップである細石刃を取り出し、余ったところが石核で、舟のような沿った形をしているところから舟形石核と呼ぶ。
大喜びした彼は、栃木県西那須の塩原村の別荘で暮らしていた元公爵の大山柏に面会した。鬱蒼としたクヌギの森、そのなかに、突然視界が開けて、赤煉瓦の洋館が姿を現す。本宅大山公爵邸は東京皇居前にあったのだが、邸内にあった自然史学研究所とともに、空襲により焼かれ、戦後の高級官僚公職追放と農地解放で資産の大半を失ったので、西那須に移り住み、付随する農場・山林を経営していたのだ。
大山柏は、明治の英雄大山巌元帥の子息で、若いときはドイツに軍務の一環で留学している際、晩酌替わりに考古学を学んでいた。老紳士で、地元の人々は、「殿様」と呼んでいた。その時点で、大山柏は、考古学からやや距離を置いて、父母の時代の軍事史研究に興味の先が動いていたようで、後に『戊辰役戦史』刊行し、基礎研究資料となっている。
大山は、「日本でもついにこれがでたか」とつぶやき、自分の著書を相沢青年に贈った。
学界は慎重論である。先駆者がいて、大喜びで発表したところ、ツイッターみたいに叩き潰された人がいた。それに、もっと古い石器がこのあたりにはある。相澤は、もっと深く掘ってみることにした。そして、一九四九年、その関東ローム層から槍先形尖頭器を発見し、日本においても旧石器時代が存在していることを証明した。
槍先型石器は槍先形尖頭器ともいう。尖頭器とは、文字通り、先の尖った石器のことだ。 尖頭器には、旧人=現生人類以前の人々による三万年以前の尖頭器、最終氷期寒冷期の槍先形尖頭器、縄文時代の石槍が存在する。ここでいう槍先形尖頭器は、最終氷期のもので、ナイフ形石器を伴う。石を割って得た薄い欠片のうち、背になるところを刃潰ししているので、直接手にしても怪我をしない。
槍先形尖頭器は、長柄の先端に装着して、投げ槍として使ったようだ。ナウマン像や大角鹿のような大型獣を狩っていたのであろう。
狂喜した相沢が東京在住の考古学者たちを回った。現在に考古学界の元老である大塚初重の講演で訊いたところによると、江坂輝弥は慎重論で首を縦に振らず保留する。当時明治大学院生だった芹沢長介は静岡県の弥生時代集落・水田遺跡である登呂遺跡にいて、その年の調査打ち上げの宴の中で、旅館の中居さんとダンスをして遊んでいた。そこに東京自宅から、相沢きた旨の電話が家族からかかってきた。顔色を変え、宴席を中座して東京行きの汽車に飛び乗って帰ったのだという。
相沢の持っていた石器の、細かなギザギザ=剥離面には、間違いなく赤土=関東ローム層の土が付着していた。芹沢は同大学助教授の杉原庄助に報告し、本格調査が始まる。ただし、手柄はすべて杉原のものとして発表されることになった。その後、芹沢と杉原は対立する。相沢が独自に発掘していると、杉原は東京からかけつけて、調査を止めるようにいった。こういう経緯があってか、相沢は芹沢を生涯師と仰ぐようになった。地元有識者たちは、「行商人風情が」と根拠なくツイッターのように叩いていたが、功績が認められてくると沈黙した。一九八九年に相沢は死去した。
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なお、東北大学教授となった芹沢は、「百万年前の石器を掘りだせ」と、口癖のようにいっていた。相沢に似た境遇であるアマチュア研究者藤村新一を可愛がっていた。二〇〇〇年十一月五日毎日新聞社の特別チームが捏造事件を奉じる仕儀となる。現行法で犯罪ではないので処罰はされなかった。捏造石器疑惑は共犯者が存在し、藤村は庇っているといわれているのだが、精神に異常をきたし、そのあたりの記憶をもたない。二〇〇六年に芹沢が死去している。学界の『闇』はミステリーである。
了
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ノート2012/08/27




