妄想探偵事務所 『実験・毒ガス発生装置』
千葉県富里インター近くに奄美剣星の家がある。二階建ての建売住宅で、小さいながらも庭があった。土曜日のことである。なぜだか、近くのホームセンターで実験器具を扱っていたので、口髭を生やした奄美は衝動買いした。
リビング横の書斎が実験室である。
丸眼鏡をかけた奄美の娘・紗理奈は、彼に似て超美形である。実の父親がいうのだから間違いあるまい。父親とおそろいの白衣を着てマスクをつけた彼女が小首をかしげた。
「――で、パパ。なんで、化学実験を?」
「シャーロック・ホームズの趣味は化学実験だ。アマチュア探偵小説を書く私としても、名探偵を見習わなくてはならない。ときどき、主婦が洗剤を混ぜて死傷する事故があるだろ。今日はその実験だ。犯罪でのトリックにつかえそうじゃないか」
「本日のテーマは?」
「硫黄化水素の発生だ」
「硫黄化水素?」
「これは火山から発生する有毒ガスで重たい。岩陰とか窪みなんかにたまっているんだ。登山客が登山道を通ったとき、知らずにガスの塊に入ってしまい遭難してしまうというわけだ。都市でも発生する。下水用のマンホールを整備するとき、作業員が吸って事故死してしまうことがある」
「主婦が事故に見舞われる家庭の場合は?」
奄美は入浴剤を取りだした。「安らぎの奄美温泉」と袋に書いてある。横に「サンポール」というトイレ用強力酸性洗剤が置かれた。
「一九九五年三月二十日、東京の地下鉄で起ったオウム真理教による『地下鉄サリン事件』。サリンは素人じゃつくれない。しかし彼らはビニール袋に液体サリンを入れ、傘の先で突いてガスを発生させ、大量殺人を行った。メカニズムとしては応用できる」
「え?」
「応用だ。例えば、ガラス瓶に入浴剤の粉末を入れておく。底には、針を上にむけた画鋲を両面テープで固定しておく。ビニール袋にいれた液体酸性洗剤を上に載せ、蓋をする」 密室殺人の想定だ。犯人は何食わぬ顔で、毒ガス発生装置を持って被害者宅に現れる。東者が紅茶を入れている間に、ガラス瓶の蓋を開封。口から指を突っ込んで、袋を強く押して孔を空ける。するとそこから液体酸性洗剤がこぼれだし、粉末の硫黄系入浴剤に注がれる。酸性と硫黄の反応により、猛毒・硫化硫黄が発生しだす。
「――そして、一度蓋を閉める。犯人は被害者がだしてくれた紅茶を飲んで歓談し、手なんか振ったりして別れる。被害者は玄関ドアを閉めて内ロックをする」紗理奈が言葉をつないだ。少しずれた眼鏡のフレームを直す。父親に似てできのいい娘だ。父親がいうのだから間違いなかろう。
「――被害者は、犯人が口にした紅茶カップを洗い始める。テーブルの下には蓋が開けられたガラス瓶が……何も知らない被害者が、扉を内ロックすることで自ら密室をつくりだし、カップを洗うことで、犯人の残した手がかりを消してしまうというわけだ」
「きゃあ、密室殺人!」
「では、早速、実験してみよう」
奄美は、底に画鋲を上にむけて固定した瓶に硫黄粉末を入れ、酸性液体をいれたビニール袋を詰めた。
「酸性だから、画鋲をつかわなくとも、液体はやがてビニールを溶かすだろう。被害者にみつかりづらいところに隠しておけば、時間差で溶かし、アリバイ工作をつくることも可能だ。科学捜査の進んだ現代じゃ、すぐバレて、無理だろうけれど、昭和のはじめとか、近代なんかじゃ応用できるテクニックじゃないかな」
「ビニールは昭和の初めにはないはずでしょ?」紗理奈がいった。
「セルロイドなんかで代用すればいいし、硫黄はマッチをつかえばいい。課題は酸性液体をなにから得るかだなあ」
グイッ、と手袋をはめた奄美の指が、ビニール袋を押した。有毒ガスが発生した。
「あ、パパ。流暢に私たち実験しているけれど、安全対策していないわよ」
「しっ、しまった!」
奄美父娘の運命やいかに――
※真似しないでください(←誰がするか!)。
了
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ノート20130212




