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妄想探偵事務所 『古井戸の白骨』

 穴の中に落ちていく。

「あたしが何をしたっていうの?」

 まぶたの裏で火花が散る。鼻の内に血の匂い。首に激痛が走る。首の骨が折れたのだ。呼吸ができない。彼女はしばらくもがいたあと心臓鼓動の停止と体温が急速になくなっていくのを感じた。

 ガソリンが天井からまかれ、火がつけられ、黒煙が竪孔から噴きだした。

.

 遺跡を調査というのは、大なり小なりの「事件」の跡だ。犯罪の匂いのする遺構がみつかるときもある。初秋のころで蝉がまだ鳴いている。相棒の若い調査員マスター・キーマンが、当惑した声で私を呼びつけた。

「奄美さん、ゴミ坑だったので、念のため調査することにしました。作業員さんにお願いしてゴミを取り払ったところ、五十センチ下から古井戸の輪郭がでてきたので、さらに五十センチ掘り下げました。そしたらこんなものが……」

「白骨だね。焼けている。ゴミの跡からけっこう新しいものだ」

「事件性がありますね」

 作業員は二十名ほどいた。いつの間にか集まってきて、騒ぎだした。

 昨年、農業のほかに兼業していた事務職の停年を迎え、発掘調査のアルバイトにきている北川という男がいる。肩幅があり、昔日の銀幕スター香山雄三を思わせる容姿だ。若いときには、そっくりさんで、女を泣かせたものだ、と仲間の作業員たちがいっていた。

(佐知子、今になってなんででてくる!)

 北川は心の中で叫んでいた。半泣きだ。とっくに時効は成立しているのだが、事実を村の衆に知られてしまえば、もはや引っ越しなくてはならない。

(いまさら引っ越し? 冗談じゃない。老後の蓄えを削らなくてはならないじゃないか!)

 北川は、白骨遺体を足で踏みつぶし、粉々にしたい衝動を覚えた。北川の前には、奄美とキーマン青年がしゃがんで話を続けていた。

「警察に届けますか?」

「事件性がある。仕方がないな」

 北川は、(よっ、よせ。そんなことをしたら……)とまた心で叫び、奄美たちへの殺意が沸き起こるのを禁じ得なかった。

(佐知子め、女房と別れて結婚してくれだと。ふざけるな。火遊びだったはずだ――)

 北川は、「女房に離婚届けの印を押させた。まだ家にいるんだ。今後のこともあるので話をしたい。鎮守の杜にきてくれ」と、公衆電話で佐知子を呼びだす。鎮守の杜にきた彼女の首を締めた。彼女の遺体。北川はその双眼を忘れることができない。恐ろしい形相で裏切った男を睨んでいた。男はそこで、ようやく、僅かながら理性を取り戻し、激しく後悔するのだったが、もう遅い。「毒食らわば皿まで――」 茂みに隠れた古井戸に遺体を投げ込み、火をつける。

 忘れかけていた昔の記憶だ。苦労をかけた妻をねぎらい、婿をとって、孫三人と穏やかに暮らしている。この幸せを壊したくはない。

 新たに殺人をすれば、昔とは違って科学捜査だ。簡単に足がついてしまうだろう。だが、そういう思考回線はなく、単に、昔の殺害とこれからやろうとしている殺人計画で頭がいっぱいになっていた。

(こういう殺り方はどうだ? 遺跡に井戸がもう一つある。底に仕掛けをするんだ。そうだな、移植ゴテの刃先を上に向けて埋めておく、そこに奄美を呼び出して突き落とす。後は、もう一人のキーマンに携帯電話をかけて、『奄美と同じ目に遭いたくなかったら、白骨の件は警察沙汰にするなよ』と脅しをかける。そうだ。完璧だ)

 奄美たちは警察に連絡する前に、会社に連絡をとっていた。休憩時間となり、ほかの作業員たちは、森の茂みのむこうに隠れたプレハブ休憩棟に、ぞろぞろ、移動して行く。マスター・キーマンもその中におり、奄美だけが残って、フィールドノートに所見を書いている。(俺はついている)初老の男がほくそ笑んだ。

 移植コテを上にむけ柄を埋める。刃先は鈍いが、上から落下すれば剣と同じように刺さる。

「あれ、北川さん、お茶の時間ですよ」

 奄美は、北川老人のいる井戸に近寄ってきた。皿があった。イネ科の植物にはプラントオパールというガラスが含まれており、藁をもやして灰を得て水に溶き、皿の縁につけると釉薬になる。灰釉陶器というやつだ。八世紀から十一世紀、奈良時代から平安時代にかけて、愛知県の猿投古窯址群で焼かれた灰釉陶器は古代日本全域で流通していた。巨大生産基地であり、そこの一つ黒笹九十号窯で焼かれた様式は、九世紀末から十世紀初頭にかけてのもので、皿の高台が断面三角形をしているのが特徴だ。

 奄美は、井戸底から、その完形品がでてきたので、遺構は同時代のものだと考えていた。

「ちょっと、判らないことがありましてね。奄美さん、」

 奄美が、しゃがんで、井戸の底をのぞきこむ。後ろに北川が立った……。井戸の口から煙が上がった。     

.

 休憩時間終了後、ぞろぞろ、また作業員たちが戻ってきた。

 キーマン青年が北川に訊いた。

「奄美さんは?」

「いっ、井戸の底に……」

 私は井戸の底を、煙草をふかしながら移植ゴテの先っぽでつついていた。

「もう少し掘れますね。井戸の底って、水を貯める小さな『カマ場』というか、小さい枠で囲った枠の穴があるんですよ。そこを掘り上げたらミッション・クリアとなります」

 私が梯子を上って外にでたとき、キーマン青年がいった。

「写メを、佐倉の歴史民俗博物館に贈ってみました。鑑定に当たった教授は社長の知り合いです」

「で、結果は?」

「人じゃなくて豚の骨だとか」

「焼き豚か――」

 北川老人が、「実はあれ、本業でやってる、うちの豚舎で飼っていた奴で、豚コレラになったんだ。保健所に届けるのが面倒で、古井戸に投げ込んで焼いた。昔は、同業者のみんながやっていたよ」といって豪快に笑った。

 (事件? 解決!)

.

ノート20120825 

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