掌編小説/告白、部下彼女と、キスをした
毎度のことだから仕方がない。調査を終わらせるたびに残務がある。遺跡発掘会社の社員をしている私は係長のポストに就いている。事務処理は苦手なので、若い職員が助手に就く。結城エリカがそうだった。
モデルのような丈のあるタイプではないが、プロポーションはそう悪くない。目が大きくてまつ毛が長い。パッチリしたアイラインの娘だ。現場ではまだまだなのだけれども、パソコンを使った図面トレースやら写真撮影は私よりも素早い。そう、図面の処理なんかやらせたら、こっちがまる一日かけて終わらなかった仕事をものの二十分で片付けた時は、さすがにやるせなくなったものだ。
株式会社クマガヤ考古学研究所というのが社名だ。敷地の門をくぐると、自動車三十台をとめられる駐車場の奥に、鉄筋二階建てのビルがある。一階が倉庫を兼ねた遺物整理場で、二階がパソコン機器を並べた調査室になっている。北側でブラインドのある窓。部屋の真ん中には大きなテーブルがあって、図面やら資料ファイルが雑然と置かれてあった。
本日土曜日、私は、一人会社で、オフィスワークをやっていた。腕時計の針が十時半を回ったとき、珈琲メーカーをセットしたそのときだった。事務所の階段を上る音がして、部屋の扉のノブが回った。エリカだった。
「係長、休日出勤お疲れ様です」
「エリカ君、忘れ物をしたのかい?」
「ええ、ちょっと」
ショートカット。ブラウスにハーフパンツ、そしてそこから長く伸びた脚に流行の黒タイツを穿いている。カジュアルというか、友達と、ちょっと、街にショッピングにでも出かけるような恰好だった。黒タイツというのは少し艶めかしい。そのあたりは、世のオジさんに対して罪というものだと思う。
(美脚だな)私は心の中でつぶやいた。
自分の席に座って、図面トレース専用マッキントッシュのパソコンを起動させた。そして、図面トレースをやりだしたのだ。
「けっきょく休日出勤か。ちゃんとタイムカードを押してきなさい」
「昨日、やり残したのが気になっただけでして、いわば私のわがままですので……」
「いいから」
「でも……いえ、はい……」
エリカは、けっきょく私の言葉に従って、一階ロビーにあるタイムカードを押しに行った。
私は部屋・入り口にある観葉植物の向こう行くエリカの背中を見送る。彼女が席を外した間に、給湯所・食器棚にあった彼女のカップを取り出し、珈琲メーカーのポットからカップに注ぎ、彼女のテーブルに置いてやる。
戻ってきた彼女は、それをみて、声を弾ませ、礼をいった。
「やっぱり、係長って、優しい。現場のオバ様たちの評判はバツグンですよ」
「へえ、そうかい」
そのくらいは知っている。だが、謙虚さは大人に必要なたしなみというもので、気付かぬ振りをするものだ。
珈琲ブレイクで、私たちは、こないだ終えた遺跡の問題点やら、留意点、報告書の体裁と付録の論文について話をした。エリカは、パッチリしたまなざしを私にむけて、カップから唇を離した。淡い紅が塗ってある。
「私、いつも思うんですけれど、あの難しい遺構プラン、よくラインを引くことができたなあって。感心しました。覆土と地山の色が変わらないのに……」
もともとある地面、それが地山だ。竪穴住居跡といった遺構は、地山を掘り込んで竪穴をつくり、屋根や壁といった上屋をこしらえる。木造の遺構が廃棄されると、当然、それが腐ってなくなり土に返る。竪穴の脇に積み置かれた土砂が、風雨で、穴に流れ落ちてくる。落ちてくる土砂は、もはや地山と同じ状態ではない。いろんな地層の土がミックスされているので、ブロック状になった各地層の土が入っている。地山とその差異を嗅ぎ分けるのが、遺跡調査員の腕の見せ所というわけだ。
私はエリカに答えた。「ほどよい湿り気があると見やすくなる。乾きすぎても、濡れすぎても駄目なんだよ」そういって、カップをデスクに置いた彼女の横にきた私は、顎に手をやって上を向け、唇を重ね合わせたのだ。
彼女の唇は少しめくれあがっている。弾力のある肉質で、なま温かく、口紅のためだろうか、少し湿り気をおびていた。
パッチリした目がどぎまぎしていた。やがて、両目を閉じた。向こうの胸の膨らみから、ドキドキ、と心臓の鼓動が、こっちの胸板に伝わってくる。
長い口づけの後に、「来週の日曜日だったよな。君の誕生日」と訊くと、エリカはうなずいた。
「知っていたんですか?」
「クライアントの不動産会社と契約書をかわすとき、調査経歴書をみせてもらっただろ。あれに書いてあったのを憶えていたんだ」
「なんだか、嬉しいです。でも奥様が……」
「それはそれだ」
「男の人って狡い」
「仕方ないだろ。それが男ってものなんだから……」
私は彼女の手をとって椅子から立ち上げ、腰に手を回し、もう一度キスをした。
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なんて、いいこと、あったらいいなあ……。(またつまらぬ妄想をしてしまったぜ)
午後から社長がやってきた。熊のような肥り方をした大柄な体躯の人だが、昨今は、いくつかの成人病のため、透析治療をしている。肥っているのにも関わらず、三度の飯より、ゴシップが好きだ。
「奄美君、竜巻市教育委員会の鈴木課長って知っているだろ? 今度の人事で総務課に異動になるらしい。文化財保護課で二十年やっていたんだが、理由が、アレだよ」といって小指をたてた。「なんと、遺物収納室で事務の女の子とキスしてたんだ。そこに偶然教育長がきてだねえ……」
「はいはい」
いい天気だなあ。桜の花が咲いていたよなあ。なんで熊オヤジと密室で仕事してなきゃいかんのだ(※いつもの自作小説。期待させてゴメン)。
了
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ノート2013/校正20160516




