掌編小説・挿絵/月下美人と三色たては
『月下美人と三色たては』水彩画 20130611
『月下美人と三色たては』
六月、家のヴェランダにある鉢植えの花が咲いたのでスケッチブックに描いてみた。胡蝶は標本で、戦前、さる好事家が千葉県にあるとある町の資料館に寄贈したものを、縁あって間近で拝見させて戴いたものだ。
月下美人と三色たては。花と胡蝶は、どちらも中南米産のものだ。月下美人はサボテンに咲く花で、夜に密やかに咲いてすぐしおれてしまう、儚げな白い大輪の花だ。花言葉は儚い恋。一方、三色たてははというと、多数の亜種をもって、「華麗なる一族」の異名をもつ胡蝶。富豪が金に糸目をつけず買いあさるステータスコレクションだ。
こんな物語はいかがであろう。
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帆船なのだが、蒸気機関による外輪船でもある黒い船だった。
明治政府の全権大使・榎本武揚が、南米に渡って任務を果たし、帰途についていた。
デッキの縁にもたれ、鉢植えを抱えた青年がいて、しょぼくれていた。白シャツに黒のパンツ、革靴のなりである。
同じ年、同じ格好の通訳が横にきて、やはりもたれかかった。
赤道から少しばかり北にあがった太平洋の夜で月ばかりが明るい。
「なあ、恋太郎、いつまで凹んでいるんだ?」
通訳は愛矢という。イエス・キリストの別名がヨシュヤで、そこから名前をとっているらしい。恋太郎より少し背が高い。やはり痩せている。
「凹んでなんかいない!」恋太郎が答えた。
「やせ我慢か?」
「やせ我慢なものか!」
使節随員・恋太郎は痩せた青年で、維新の元勲やらその後輩たちと豪快に酒を酌み交わすことよりも、欧米の文士たちの詩を朗読したり、瀟洒な絵を描くことが好きだった。なにゆえ恋太郎などという軟弱な名を名乗るのかは知るよしもないことだが、そのままずばり、惚れっぽいのは確かなことた。
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十九世紀末の中南米は、プランテーション農耕とか、牧畜なんかで、けっこう潤っていた。榎本武揚は、維新のために職にあぶれた幕臣・各藩藩士を救済するのが目的で、移民計画をたてた。外交交渉の合間、中米のとある大臣宅である。アルハンブラ宮殿をヒントにつくられた豪奢な屋敷で祝賀会が催されることになった。
恋太郎と愛矢も、全権大使の随員として招かれたため、黒い燕尾服に盛装して出かけた。
大理石を敷き詰めた庭園には四角い池があり、座ったライオンが、天を仰いで咆哮する口から水が噴きでいている。楽士たちがマンドリンを哀愁をおびた曲を奏でている。給仕役の混血児青年が、グラスを二人に渡す。
屋敷はかがり火の炎で照らされ、オレンジ色がかって、闇に映えている。そこでだ。二階のバルコニーから、少女が姿を現した。なんと美しいのだろう。黄金の髪、細くしなやかな腕、花嫁のような白いドレス。
「大臣のご令嬢らしい。まあ俺たちには高嶺の花だな」
恋太郎は友の声などきこえてなどいない。
ほろ酔いとなったところで、ダンスタイムになった。乙女の気まぐれというやつで、令嬢が、恋太郎の前に立った。
「お相手して戴けません?」
「姫、かしこまりました」
恭しく欧米式に一礼した恋太郎に、少女が手をさしだしたので、渡航に備えて特訓したソーシャルダンスを披露する。バルコニーにいた榎本大使と訪問国の大臣は、会談を中断して、二人の舞に目をやった。
「よい若者ですな。だが娘には婚約者がいる。貴国にはやれませんよ」
「さぞかし彼も残念がることでしょう」
榎本大使と大臣はそういって笑った。
二人のいうように、麗しの姫に求愛できぬ青年は大層残念がった。
何曲舞ったことだろう。最後の曲が終わったところで、その人は庭にある鉢植えの一つを手にとり、「今宵の思い出にどうぞ」といって渡した。
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ふたたび使節を乗せた蒸気船に話しを戻す。
デッキの縁にもたれた二人の青年がいる。
愛矢が恋太郎にいった。
「よほど惚れたんだな? 出会わなければよかったのにな」
「そんなことはない!」
のっぽの友は、恋太郎が、大事そうに抱え込んでいるサボテンの鉢植えをみやった。花のつぼみが開いて大輪の花になっている。繊細で白い花だった。それを満月が照らしている。
愛矢が、かの国の楽器店で買い、覚えたばかりであるマンドリンの弦を、ラテンの調べで弾じ始めた。
――その人が装う花びらのような薄絹のドレスは白く、月夜に照らされ可憐にゆらめく。ああ、夢幻か月下美人、きまぐれに舞う胡蝶・三色たてはを惑わす。
了
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ノート20130611




