掌編小説/不幸中の幸い
二月上旬、朝の天気予報が大雪だというので有休にして出張先の宿舎で詰めていた。じつは脚全体が腫れあがって参っていた。九十九里浜のある外房は温かい。雪ではなく雨が降り、それも午後にはあがった。そのため、タクシーを呼んで町の診療所にゆくことにした。
診療所は戦前の建物で、寄棟の屋根をした平屋だった。玄関前に芭蕉が植えてある。診察室に通され、医者の問診を受ける。
私が、「水虫ですかね、治りの悪い悪性の皮膚炎みたいな? 酷くなって仕事に支障とかでないでしょうか?」訊いた。
「大丈夫、掻かなければ悪化はしません。腫れが引いたところに、二つ単位で虫刺されのような痕がるでしょ。野外で作業をなされたでしょ?」医者がいった。
そういえば、遺跡が藪に覆われていて、重機を入れるに当たり、その中に分け入った。二メートルもののススキがあって、手も切った。
医者が手を打った。「ああ、そのときだ。ズボンにダニが入り込んだんですよ。痒み止めの軟膏の処方だしときますね。すぐ腫れがひきますよ。指定薬局で受け取ってください」
藪で遊んでいた飼い犬がダニにを持ち込んで、そのダニが幼児を刺したために、脳炎にかかり、知的障害を負ったというケースがある。しかしならなかったので良かった。水虫たむしの類はなおいけない。脚まわりやら脚のつけねをやられたりしたら、温泉にいったとき、他の客迷惑だし、第一、度派手な腫れの痕を人目にさらすことになるので、恥ずかしくって、入れたものじゃない。
戦前に建てられた瓦葺の平屋寄棟の診療所から、駅寄りにあるアパートへ、歩いて帰る。街並みもそのころのものだ。房総半島の田舎町で、お年寄りばかりが住んでいる。そこから宿舎までは、車でゆくと数分という距離なのだが、とても長く感じたものだ。ゆきはタクシーだった。帰りは、症状が軽くなったような気がしたので、歩くことにした。歩きながら、私は、歩道を併走する車道の真ん中に路面電車が走っていると仮定してみた。
停車場で美女が降りてきた。和服姿だ。思わず会釈して過ぎ去る。けれども、名残惜しく感じた私は、翌日も同じ時間に、診療所にゆくと、同じ停車場で和服美女に会釈する。しかし恋には発展しない。ほのかな片思いを引きずる。
案外近いじゃないか。そんな風に、妄想する私を想像しているうちに、宿舎にたどりついた。
了
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ノート20130209




