掌編小説/僕のボーイフレンド
当時の僕は幼稚園から高校までの一貫校に通っていた。リュウ君と出会ったのは付属の幼稚園で、彼は二年年長。実家の近所に住んでいた。川岸竜太郎、やたらに色白の少年で、ちょっと、のっぽだった。リュウ君と僕は呼び、彼は僕をケン君と呼んでいた。
校舎はコテージような木造建築だった。柱やら梁には天使が彫ってある。どういう様式なのかは判らないが、だいぶ、和風アレンジされた洋館であるには違いない。二階だてで、上の廊下には欄干がついていた。
学校ではそれぞれ級友と遊んだのだが、家に帰ると、二人で、近くにある雑木林なんかを探検したものだった。
リュウ君は、実家の近所である屋敷に住んでいた。五百坪ほどある。とはいっても先代の隠居屋で離れだ。彼とお母さんは、そこに仮住まいしていたのだ。寄棟平屋で三部屋ある。リュウ君のお母さんは離婚したてで実家に帰っていた。母屋にはお爺さんが住んでいたが、お婆さんはすでに他界していた。そのお爺さんは昨今、病気となって入院していた。ときどき、お母さんが介護にゆくのだが、息抜きすることも忘れなかった。
日曜日。午前中はミサにゆく。午後になると、リュウ君のお母さんは、「あの人、あなたの義父さんになるかもよ。大事なお話をするから、外で足んでらっしゃい」といって、リュウ君を外へ追い出したそうだ。
ある日、リュウ君の家にゆくと、獣のような咆哮が訊こえてきた。親の同衾を垣間見た幼児はトラウマになるらしいことを、僕は後に知ることになる。だが彼の反応は冷めたもので、「母さんも女だから……」と苦笑した。こういうところは、やたらに、大人びていた。
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子供というのは、大人の様子を観察して、真似てみたがるものだ。子供部屋のベッドで僕らは、裸になった。蝶ネクタイのシャツも、半ズボンも、ブリーフも互いに脱がしていたのだけれどもなぜだか、ハイソックスだけは脱がないでいた。ホモセクシャルというほどのものではないが、文字通りの真似事、一種の実験だ。胸をすり合わせたり、脚を絡めたりしてみた。
鼻を突き合わせるほどに間近で彼を観察してみる。双眼は切れ長で、まつ毛が長い。眉は細く、唇は肥厚し、紅を塗ったような色をしていたことを記憶している。無駄な筋肉というものがついていない年齢で、肌がきめ細かい。そう、絹のような感触があった。
「あのさ、目を閉じてみて。こういうときって、そうするみたい」
いわれるままに目を閉じてみると、リュウ君は、唇を重ねてきた。さらに舌先を中に入れてきた。甘い果物のような香りがする。二人して飴を舐めたからだ。
「フレンチキスっていうんだってさ」
「ただのキスは唇を重ねるだけだけど、フレンチキスは舌をいれるんだって」
なんでそんなことを知っているのだ。僕が成長してから考えても、いまだに謎だ。――二人の心臓が、どきどき、しているのが判る。僕らは、互いの胸に耳を当て、音を聴いて笑った。リュウ君の乳頭や乳輪は小さい。色がやたら白いのが気になった。
そんなリュウ君との別れは唐突だった。
夏休みに入る直前、れはちょうど仲たがいの最中だった。理由というのは、学校から僕が帰ったとき、直に彼の家を尋ねると、級友がいて、これから昆虫採集にゆくところで、そのあたり、「やあ、悪いね。先客がいるんだ。つぎはこっちから遊びにいくよ」とでもいえば済むことだが、そのあたりはまだ大人とは違って邪険に追い返す感じだった。
腹をたてた僕は、以降、彼が訪ねてきても追い返した。母親同伴のときもあったが、子供じみた頑固さで、許さなかった。
夏休みになった。
七月末。僕はそのころまでに宿題を片付けて、絵本なんかを読んでいたのだと思う。僕の母が、戸惑うような顔をして部屋に入ってきて、しばらく顔を眺めた。勉強机の上に置いたスヌーピーの目覚まし時計の針をみやって、二分間沈黙してから、どうにか口を開いあた。――それで、リュウ君の急死を告げたのだった。彼は母親と海水浴にいった。母親が、海の家でソフトクリームを買っている隙に、波間にゆき、強い潮に引かれて、そのまま沖合に流されて溺れたのだという。
通夜・葬儀・そして、火葬。火葬場では、扉の閉まった蓋があって、そこからレールがこっちにむかって延びている。鉄板みたいな台座に載かっているのが棺だ。僕は母に抱かれて、リュウ君の死に顔をみた。もともと、白い顔の彼がもっと白くなっていた。蒲団の上には花々が散りばめられ、頭には銀色の折り紙で作った冠を被せられていた。やがて扉が開き、リュウ君の棺を載せた台座はレールを滑って窯の中へと消えていった。暗いというか深淵というべき入口。戻ってくるときはもう骨になっている。
僕の母はそこまで僕にみせたくなかったらしく、待たせていたタクシーで家に帰った。その途中、彼の従妹にあたる女の子が、「リュウ君、煙になっちゃった」とつぶやいてべそをかいているのが訊こえた。火葬場の煙突から煙があがっていた。水色の空へ、黒い煙が溶けてなじみ、なくなった。
涙というものがでなかった。ただ、タクシーの後部座席で口を、ぽかん、とあけて、煙の行方を追っていた。
後日談といえば、そう、リュウ君の夢をたまにみることだった。決まって彼の誕生日と命日だ。実家の門のところにあるケヤキの木がなぜか倒れていて、その上で、僕らはひとしきり遊んだ。やがて黄昏どきなる。すると手をふった彼がいなくなるのだ。五年ばかりそういう夢をみたものだ。
学校帰り、リュウ君の母親が、病院帰りの祖父を載せて散歩していて、すれ違うとき毎度のように、「ケン君、いくつになったの?」といって目を細めたものだった。僕の成長を、故人となった息子に重ねて、想像しているのだろう。恋人とはけっきょく上手くゆかなかったようで、再婚はしないでいた。
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リュウ君の死からから十年以上の歳月が流れた。僕は大学に進学し上京し文芸サークルに入った。その夏はどういうわけだか、郷里の浜で合宿することになった。渚の海水浴場でテントを張り、キャンプファイアーして、先輩にビールを紙コップつがれ、したたか酔った。翌日は酷い二日酔いで、水着のまま、波打ち際で大の字になって眠っていた。
すると、波のむこうからサーファーがやってきて、寝ている僕のところに立った。手をだしたので半身を起こした。サーファーのくせに色がやたらと白い。背の高い若者だった。すぐに彼がリュウ君の成長した姿だと判った。僕はサーフボードを小脇に抱えた彼に手を引かれ、彼と走って海水に浸った。サーフィンを教えてやるよという雰囲気だったのだが、違った。腰まで海水につかったあたりで彼は立ち止った。
「残念ながら時間がきた。またいつか。じゃあ、ここで……。楽しかったよ。送ってくれてありがとう」
「?」
太陽がまぶしい。寝ていた僕は目が覚めた。キャンプが終わると、ホンダの白い軽自動車を運転して、母が迎えにきた。湘南を真似たビーチラインを車が走ってゆく。
「リュウ君って覚えている? ここで溺れて死んだんだ。今頃だったかな……」
母は目を細めていった。
それから彼の夢はまったくみていない。
了
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ノート2012/校正20160516




