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読書/村上未映子 『ヘヴン』

 村上未映子「ヘヴン」は、講談社が2012年にだした、芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞受賞作作品である。

 内容は。

 夏休みを挟んだ春から秋にかけての中学校が舞台だ。主人公「僕」、ヒロイン・コジマ、直接的な苛めっ子・二ノ宮、観客的な苛めっ子・百瀬、主人公の継母といった登場人物で物語は構成される。「僕」とヒロイン・コジマはさしたる理由もなく、チョークを食べさせられたり、水槽に頭を突っ込まされたりと、散々な苛めを受けている。二ノ宮と取り巻きたちは恒常的に「僕」たちを苛めていた。理由などない。

 その中で、苛められっ子同士、「僕」とコジマは互いにいたわりあって愛を深め合う。デートした先で、美術館に飾ってあったお気に入りの絵に、ヒロインは、独自に『ヘヴン』と命名し、そこに自分の逃避先を見出していた。コジマは、自分たちの苛めというものに対して、一方的に迫害されているのではなく、受容しているのだ、つまり神が与えた試練で乗り越えたところにヘヴンがある、ことを主人公にいう。一種の選民思想だ。

 だが、夏休みを経て、エスカレートした苛めによって、「僕」はサッカーボールに視たれられて、二ノ宮たちから蹴られて鼻を打撲するような大怪我を負わされる。それを機に、人間らしい良心をもつ「僕」は、後半で、傍観者的な立場をとりながらも、苛めに加わった百瀬に、なぜ、苛めるのか訊いてみる。百瀬にいわせれば、「社会」の構造的なもので、スケープゴートとして二人が必要なわけで、別に、ターゲットは誰でもいいのだという応えが返ってきた。その一方で、コジマから、斜視を手術して、苛め側の人間、神が与えた試練から降りた人間で、もはや友たりえないと一方的に絶交される。

 コジマにせよ百瀬にせよ、加害者と被害者を演じている。そのことを「僕」は、うすうすと感じとった。その最中、継母の姉の葬儀に、「僕」がつきあって、過去、この人がどうも、家族から深刻なDVを受けていたこと、再婚した実父に、包丁で腕を切られ、離婚を考えているという言葉に驚く。それゆえに、最初、「僕」に対し、よそよそしい態度で接していた継母は、コジマ以上に理解者となって善導し、血のつながりはなくとも、父親以上に絆が深まってゆくのだった。

 クライマックスは壮絶な苛めだ。公園トイレに主人公とヒロインを呼び出し、男女のクラスメートが囲んで、二人を裸にしセックスを強要するというものだ。その中で、ついに、ヒロインの人格は破綻する。そこに通りかかった中年の主婦が、現場を押さえ、警察沙汰となり、苛めグループは自滅することとなる。

 ダークファンタジー的な、それでいて、現実社会の縮図のような世界での物語の終わりは、継母の勧めで斜視を手術し視点を回復した「僕」が、現実にとらえている現在「ヘヴン」の歪な実態を暴露したかのような、静かな風景描写で終わる。物語世界で、最後まで正気を保っていたのは、「僕」と継母だけだった。

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引用参考文献

 村上未映子「ヘヴン」(講談社 2012年) より

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ノート2012/校正20160516   


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