音楽/「だっちゅうの」が気になるコンサート
練習用ピアノが玄関に置いてある自称フレンチの店があった。そこにチラシがあり、家内が持ち帰って予約をとり、そのなかの一枚にあった矢萩淳というテノール歌手がやるところのチャリティー・コンサートにでかけることにした。収益は東日本大震災復興館関連に寄付される。場所は福島県のいわき市アリオス小ホールだ。前の市長が箱もの好きで、建てたもの。水田を埋め立てたところにつくったものだから、震災で基礎ががたがたになり、ついこないだまで、補強工事をしていた巨大施設の一角だった。
前日に家内が予約をいれ、当日、チケットを受け取る。
歌手は、国立音楽大学を卒業して、教職につき、癌を患い、治療を受けつつコンサートをやっているらしい。小ホールの客は二百名、満員御礼だ。
「へえ、コクリツ音大。すごいねえ」
「違うわよ、クニタチ音大よ」
「詳しいねえ。さすがですよ」
などと間抜けな会話をしていると、カーボーイハットにストールをつけた歌手がでてきた。ピアノ担当は小島さやか女史。青いドレスがショルダータイプである。
お辞儀をすると、昔流行ったお笑い芸人パイレーツがやる、「……だっちゅうの!」状態で胸の谷間をみせつけるのだった。
曲目、「浜辺の歌」「初恋」「花の街」「この道」「ぽつねん」「○と△の歌」「翼をください」。ここで休憩を入れ。「さびしいカシノ木」「見上げてごらん夜の星を」「僕は飛行機」「道化師のソネット」「ふるさと」「The Best Of Time(いまこの時)」。アンコールで「ありがとう」、イタリアオペラ。
この歌手は、曲目の合間に、トークを入れる。歌だけだと三十五分で終わるところをトークをいれることで二時間に引き延ばせるということだ。彼はこれを「さだまさしスタイル」と呼んでいた。
しかし問題がある。
特に田舎の人の場合だ。
おしゃべりの時間を、自分たちの雑談タイムとして、誤解する人たちが発生することだ。
家内は何度か振り返っていた。
しかし思うのだが、トークタイムに雑談をしていた小母さんたち。逆のことをいうと、参加していたのではなかろうか。
近代以前の演劇では、ライブに公演をやっている一座は、観客たちのブーイングやらウケ具合を敏感に察して物語を補正していった。客とそうやって、コミュニケーションをとり、試行錯誤をやって生き残った作品がシェークスピアなんかなのだろうなあ、とも考えられるところである。
昨日、ふと……。
ノート2013.08.18於・福島県いわき市アリオスにて
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