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紀行/房総・シーサイドラウンジからみえる月

    01 ときめき  


 千葉県の外房にいすみ市というところがあり、そこに出張したのは、3.11地震のあった翌2012年で暮れにさしかかるころだった。しばらく前にドラマ主題歌としてカバーされた双子の女性歌手ザ・ピーナッツ「思い出の九十九里浜」の舞台となるその海岸道路を下った浜が途切れたちょいと先にある。その道路に沿ってこのあたりから外房線列車も横に走ってくる。――あとで知ることになるのだが、ときおり宿舎を訪ねてくる列車はかの文豪・内田百閒と愛弟子・平山三郎がつかった「房総阿呆列車」の路線だ。もう少し南にゆくと保養地で画家・竹久夢二なんかが遊んだ勝浦がある。

 当時の生活を掌編風に記録したものをみつけた。題して「薬剤師さんと私との関係」。

「出張先の外房海岸の町だ。私が馴染にしているドラッグストアがある。駅には近いのだが湾岸の幹線道路から取り残された別荘街の中を貫いた道路に沿線にそこはあり、同じ通りに私のいる出張先の宿舎アパートがある。/ドラッグストアには三十をまじかに控えた女性薬剤師さんがいた。メンバーズカードをつくるかというので、頼むと答えた。私は福島県の出身だ。それをみた彼女は喜んだ。彼女も福島県出身なのだという。/『避難してきたのですか? 3.11地震は大変でしたよね。私も両親が二本松にいるので気が気じゃなくて……』/『出張ですよ』/近くにはそのドラッグストアしかない。いまからゆくし、明日もゆく。

そして、私と薬剤師さんの関係は、それ以上、進展はないだろう。人生なんてそんなものさ。」(ノート20130206)。

 色めいた話をだしたところで、出張が終わりかけたころの記事も併記しておこう。春の節句に書いた「出会いもいろいろいろ」と題し近況を述べたものだ。「

 昨日、珍しく会社に出勤。同僚のコブヘイ氏(仮称)と話す。遺跡周辺の住人が見物にくるのだけれども仕事で手が離せない。概要をいって仕事を続けているという話題だった。/コブヘイ氏は若い頃、「めっちゃ可愛い女子高生が訪ねてきて、『どんな遺跡ですか』と目を輝かしていたので、案内してやった」といっていた。(そういう出会いで、相手に手を付けたのがウチの社長だ)/彼は、(貴男に)そういうことはなかったですか? と訊いてきた。/明け方に目覚めるときの夢はまさしくそれだった。こんな夢だった。/伶人が遺跡にやってきてこちらの作業をじっとみている。私は概要を話し仕事を続けた。そして、食事にでも誘えばよかったのに、と後悔した。/清少納言の『枕草子』に片思いの相手が夢に出てきたのに、夢の中でまで素直になれないと嘆く段があったのを思い出す。/社長の名誉のために付け加えておこう。当時彼は二十代後半。手を付けた女子高生は彼の夫人になっている。子だくさん。めでたしめでたし」(ノート20130303)。

 さてそのころ、日本の政界は地殻変動を起こしていた。小泉内閣のあとを受けた第一次自民党・安倍内閣から政権を奪った民主党だったが、政権運営が不慣れだった上に、外交下手で四面楚歌となり、追い打ちをかけた3.11地震と原発事故の対応悪さで国民からの支持を失っていた。

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    02 総選挙

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 総選挙といえばアイドルグループAKB48……ではない。3.11地震の爪痕が生々しい2012年の暮れに民主党野田内閣が衆議院解散選挙を行った。それに関する当時のブログ記事。タイトルは「今回の選挙(2012年12月)は、ここに1票いれたい」というもの。

 以下は内容。

「12月は衆議院解散総選挙ですねえ。出張先である千葉県九十九里浜から、実家のある福島県に帰省しないとなりません。10年から30年で脱原発と各党がおっしゃいます。さて、その時間で原発による電気供給量の穴をどうやって埋めるのか? 代替えで火力をやったとして年間3兆円の出費が必要となる。つまり単純計算で、1億国民各自が増税3万円を負担する、という案を了承するということ。なにせ総電力量に対する割合は、原発が80%で、自然エネルギーが1%だとか。 /

そういえば日本って、温暖化防止のための国際協約・京都議定書にも調印していたのでは?/原発事故直後、ネットで自然エネルギーによる再建の話題があり、胸ときめかせたものです。しかしまあ、蓋をあけてみれば、上記の通り。/被災時は茨城中部の宿舎におり、一つのミッションをクリアしたところで引き揚げるところでした。崩壊した家は若干、屋根瓦崩落・石塀倒壊したところ多数。また近くのドラッグストアや市役所支庁舎内部が崩壊。実家にも連絡をとれない状態。データをとどけないと、入金がなされず、会社が破産するので、北にむかいたいのを我慢して南に。データ整備のため、1週間ばかり、千葉県で足止めを食らいました。/それから、クライアントの教育委員会に資料を届け、その延長で帰省。高速道が使用不能なので、下道での帰宅でした。近道をしようとすると、ことごとく橋が落ちていて、けっきょく混雑している国道6号線に出てしまい、諦めて北にむかいます。北茨城では、海岸に面した道路が抉れて、片車線通行。そのあたりになると、急にすいてきましたね。というか、車がいない。それもそのはずで、原発事故40キロ先のようなことが書かれた電光掲示板があったくらいでして……。/その年は、会社が、善意で、茨城県での仕事をくれたので、内勤期間の代休を合わせて、都合半年弱、実家で過ごせました。野菜は地元産のを食べてましたよ。たぶん、例の灰が付着していたでしょうけれど……。/地元港湾工場地帯やら工業団地の電力は停まっていたかな。というか、電車が踏切を通せんぼして線路上に10日以上も放置されていました。/2012年12月現在、千葉県では、同情してくださる方むけに、コンビニやスーパーなんかで、問題地域の産農産物を販売してくださるのをみかけます。されど、いつまでやってくれるのでしょうか。/仮に、無計画な脱原発というのをすれば、地元は、電力供給を絶たれた工場地帯が操業停止し、基幹産業を失い過疎が進んでゆく。原発跡地周辺に、すでに汚染された土地だから、放射能汚染土壌・中間保管地区という名目で、恒久的な、それの捨て場にされるような気がしてならないのはなぜでしょうね。

/各党が、脱原発を叫ぶとき、自然エネルギー発電の計画案を併記してもらいたいものです。それをだしてくれた党に1票」(ノート20121206)

 なにやら熱くなっている私……。

 それでいよいよ選挙にゆこうとする私がブログを書き、当時の職場のあった千葉県の先っちょから福島県の南端にある海辺の町に帰省する際、ますます一人で燃え上がっていた。

 以下はブログに書いた「いまから選挙」という記事の内容。

「阪神大震災の前のことだ。私が、長距離バスで大阪から東京にむかう時、座席を倒し過ぎた。夜行だってので眠ろうとしたわけだ。後ろにいたのは大阪訛りの小父さんで、『ものごとは妥協だよ』と注意された。その通りなので、彼に詫びて、角度をすこし戻した。/昨日深夜に福島県に帰った。自宅近所には立ち入り禁止区域からの避難者むけ仮設住宅が建っているのが目に入る。/帰宅早々各党選挙公約を読む。みんなの党だったか、2020年までに、原発を0にすると公約がある。原発が総電力に占める割合は、現在80%とか。代替えエネルギーって、8年で大転換できるのかね? 被災者を一時的な言葉で操って票をとろうとしているようにみえるのだが?/このようにして、減点方式で党と候補者を自分の考えに近いところに絞り込んでいる。検索が瞬時にできるネットというのは、便利なものだ。/投票率が20パーセントを切る? アングラサイトで不平をいったり、他人のブログやらツイッター記事を汚していても何も変わらない。選挙に行きましょう。理想を完璧に実現するものなど、他者に委託している以上は無理な話。全面拒否などしてないで、ベターの選択が必要では? 選択が悪くても、自分が1票を投じたのだから、少しは納得するというものですよ。」(ノート20121216) 

 ――で、自民党圧勝。個人的には父母が教師時代の教え子に民主党の議員さんがいて父の葬儀の際は弔辞も読んで頂いたけれど、当時の政権は外交・内政とも行き詰っていたもので、こればかりは譲れなかったのであった。

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    02 房総、冬の蚊と暖帯植物

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 年が明けて二〇一三年になった。

 千葉県の太平洋側・外房。そこはかなり温暖で、冬でも道端にタンポポの花とか蜜蜂が飛んでいるのとかをみかけたものだ。当時ブログに書いた「節分の蚊×2」という内容。

「二〇一三年二月三日、節分の頃。出張滞在先の仮住まいである。/なにやら耳元で聞き覚えのある虫の羽音がした。そう、蚊だ。両手で二三発迎撃するのだが、敵はかわす。しかし血を吸うのが目的だから手に停まるのを待って、そこで仕留める。しばらくすると、また音がしたので空中で再び迎撃。こいつは一撃でやっつけた。血を吸われずには済んだが、手に痒みがわずかに残る。奴めは針をさして、唾液を少し入れたようだ。/住んでいる九十九里浜南端は温かいものだ。数日後、鳥取県に在住のネットサイトの知人が、やはり、蚊に遭遇したというコメント書き込みを下さった。これも温暖化現象の一つだろうか。」(ノート20120323)

 しかし、実家に「大原女」と題した近代日本画掛軸一服があったもので、出張先・いすみ市に大原駅というのがあったものだから会社の後輩に、「もしかして大原女ってここの美女のことか」ときいてみた。後輩というのは京都の某大学卒業生だった。曰く、「そっちの大原っていうのはお寺があって門前町での花売りが有名なんですよ」と苦笑していた。なるほど、モチーフ女性は和装で頭に花籠を載ってけていた。

 土地の植生には興味深いものがある。当時私が書いたブログ記事に「奄美的発見〝マテバシ〟というのがある。

団栗どんぐりの実がなる木というのはブナだ。温帯で広葉樹の原生林をなしている。縄文時代、それは主食だった。表面に穴を穿った凹石(くぼみ石)というのがあり、二つそれを用意する。そこに挟んで横に、ぐい、とひねると皮が剥ける。煮たり、石皿に皮をとった実を集め、磨石でごしごしこすって粉にする。粉は雉肉や血をまぜて焼いてナンのようなものをつくる。いわゆる縄文クッキーだ。たまに黒焦げのもあるのだが、失敗品ではなくて、墓に備えるものだという説がある。/ところで団栗の尻をみると、丸いのと平たいのがある。丸いのは東日本一帯にあり、平たいのは西日本を中心とした温暖な地域に分布している。丸いのは水につけて灰汁抜きをしなくてはならないのだが、比田たいものはそのまま煮たり焼いたりして食べることができる。味は栗に似ている。この尻の平たい団栗の木はマテバシというのだそうだ。/先日、九十九里浜南端にある私が担当している遺跡で、マテバシの群生をみつけた。県庁の方が視察にこられたときに、そのことを話すと目を丸くされた。/『マテバシは、千葉県南端でしか自生していない。ここまで北上していたとは……』/そうそう、温暖化が進んでいる様子。たしかに若樹が多かったことだし。/……とここまで書いたのが1月28日。2月7日、発見の自己満足に浸っていると、地元の学芸員さんが周辺住民にお話を訊いたとのことで、戦争中に食用として、九十九里浜付近でも盛んにマテバシの植樹を行ったのだそうだ。団栗はいまでは誰も食べない。温暖化とは関係ないようで、ある意味、安堵した。」(ノート20120209)

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   03 地魚イナダが美味いわけ♪

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 食べ物といえば、外房では伊勢海老が有名だ。しかしさすがに値が張る感じがしたので、地元の店でよく魚一匹を買ってさばいたものだった。よく買ったのがスルメイカで、刺身にして皿に盛り、イカミソはレンジで温め御飯にかけてどんぶり飯にしたものだ。

 そして。

「そうそう、最近、出張先の近くの漁港でとれるイナダの刺身を買って食べてます。大規模グループ系のスーパーには置いていないのですが、商店街の雑貨屋を大きくしたようなミニスーパーでみつけました。毎日は並ばない。味はマグロに似ていて、魚自体が30㎝くらいなものだから、赤味からトロまで揃っていて、丼ものにしたら、二人分、390円のパック。たぶん一匹分の刺身。/少し離れた大きな魚屋さんでは、その場で1匹まるごとさばいてくれ、アラまでついて890円でした。アラは塩でゆでてスープにして飲みましたよ。/地魚イナダが美味いのには理由がありました。/なだいなだ、という岩手県気仙沼語なるものを操る作家までいましたけれど、なにがなんだか、判らなかった私。調べてみると、要はブリの稚魚でして、大きさと、地域によっての呼び名が違うのでした。/けっきょく、ハマチの一歩手前ですよ。成長したハマチやブリよりくどくなくていいですね。しかも安いときている。これを食べた、あなたは、もう、い・ち・こ・ろ♡」

(ノート2013 0220)。

 イナダはブリの生育過程にある。ブリは稚魚から成魚となる間に変化するため〝出世魚〟の異名があるのだが、地域によって若干サイズや呼称に差異があるのだという。wiki『ブリ』で検索してみよう。

「関東 - モジャコ(稚魚)→ワカシ(35cm以下)→イナダ(35-60cm)→ワラサ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)/北陸 - コゾクラ、コズクラ、ツバイソ(35cm以下)→フクラギ(35-60cm)→ガンド、ガンドブリ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)/関西 - モジャコ(稚魚)→ワカナ(兵庫県瀬戸内海側)→ツバス、ヤズ(40cm以下)→ハマチ(40-60cm)→メジロ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)/

南四国 - モジャコ→ワカナゴ→ハマチ→ブリ→オオイナ→スズイナ/80cm 以上のものは関東・関西とも「ブリ」と呼ぶ。または80cm以下でも8kg以上(関西では6kg以上)のものをブリと呼ぶ場合もある。和歌山は関西圏だが関東名で呼ぶことが多い。流通過程では、大きさに関わらず養殖ものをハマチ(?)、天然ものをブリと呼んで区別する場合もある。」

 この話だと、私がよく食べていたのはイナダというよりはワカシに相当すると思うのだが……。

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    04 シーサイドカフェからみえる月

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 私が千葉県の田舎で遺跡調査に関わっていたころ、こんな記事を目にした。なんともすごい、欧州に本部を置く宇宙財団がだした広告らしい。当時の私のブログに貼りつかた記事と題「ほんと? マジでやってた火星移住者募集/SFの世界が現実に……すごいですね。」というものだった。

「Human Settlement on Mars in 2023 / Mars One is a not-for-profit organization that will take humanity to Mars in 2023, to establish the foundation of a permanent settlement from which we will prosper, learn, and grow. Before the first crew lands, Mars One will have established a habitable, sustainable settlement designed to receive astronauts every two years. To accomplish this, Mars One has developed a precise, realistic plan based entirely upon existing technologies. It is both economically and logistically feasible, in motion through the integration of existing suppliers and experts in space exploration. / We invite you to participate in this journey, by sharing our vision with your friends, by supporting our effort and, perhaps, by becoming the next Mars astronaut yourself.」(Mars Oneより / http://mars-one.com/en/)

 訳してみると。

「2023年、火星移住者募集/〝Mars One〟は火星移住のために必要な人材育成と準備を行っている非営利団体です。既存の企業と専門家が一丸となった〝Mars One〟火星基地建設プロジェクトは(技術面ばかりでなく)経済的にも実現可能な環境が整っております。/さあ、あなたも火星にゆきましょうう! 夢をかなえようではありませんか。ぜひご参加ください。〝Mars One〟が全面的な支援をお約束いたします。」

 プロジェクトは、募集した火星移民に町をつくらせるというものだ。火星到着後に地球するということはない。それでも応募者はかなりの数で世界中からきていたとのことだった。広告がだされてからほどなく、ギリシャ問題からEUがしっちゃかめっちゃかになったので、この夢のある計画がどうなったかは判らない。

 宿舎に戻るとこんなニュースが携帯電話に表示された。「2012,02,06,17:45 津波注意報発令」すぐにブログに記事を書く。「さきほどソロモン諸島沖で地震があったそうで、私・奄美が出張先でいますところの九十九里南端・一宮町も17:00に、50センチの津波注意報がありました。海抜1・2メートルだったかな。もしアザラシとかマグロがうち上がったら、どういうふうに料理するか悩みました。姿焼きにするか、それとも、大きな鍋をみつけて煮込むか。うーむ。大雪警報がでてたので、有休をとってましたよ。ともかく何事もなくてよかったですね。(これも記録の一環)」(ノート2013/02/06)

 温暖な外房である彼の地でも珍しく雪が降って積もった。私自身は冬タイヤだが、このあたりの人は雪に対しては無防備だかから休みにした。アザラシとかマグロとか書いているのは、ネットで交流のあった女流とのやりとりだったのだろう。共通の友人の話によると女流作家様なのだそうだ。ドット絵が好きで、自称をマグロと称し、相手役にアザラシがいてよく食べられる。食べられるのだが、アザラシはマグロの頭を残しておきワカメを貼りつけてやるとまた生えてくる。そんな話を描いては発信なさっていた。

 ではいよいよ本題。このころ書いたブログ記事からだ。題して「シーサイドラウンジからみえた月」である。

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 午後の五時前だったか、家内から電話がかかってきて、世間話をした。野菜をとるべきだ。いつもゆく渚に臨んだファミレスでほうれんそうのソテーを注文したらいい。そういうないようだった。とにかく、一月最後の日曜日は出張先のアパートで、読書したりして時間を潰し、それまで一歩も外にでないでいたのだ。運動もせずにパスタばかり食べているのから健康にいいわけがない。

 滞在先は、外房黒潮ラインと呼ばれる道路をつかって、九十九里浜を南に下り、そこが終わったあたりにある。ファミレスは、宿舎から車で五分ばかりさらに南にいったところにある。昨年末近くの冬至が過ぎてしまえば日が延びる。まだ少し明るい。しかし満月、あるいはそれにほぼ近い状態の月が、煌々として、水平線に浮かび上がっていたのだ。

 駐車場に車を停めて、渚の月を愛でる。

 風がない。波打つ音というのも耳に入らない。波もほとんどたっていないそういう感じの浜辺に臨んだところだった。暗くなってきた。濃い藍色の空、月明かりは、なんと、一条の橋のようになって、月直下の水平線の彼方から、浜辺まで、橋をかけたようになってみえたのだ。巾は三メートルくらいで、一点透視図法のように、水平線の奥で小さく消えるのではなく、起点からして同じ巾三メートルを維持したまま、浜辺まで黄金の橋をかけているのだ。

 天人が月から舞い降りて、その橋を渡り、ここまでやってくる。

あるいは、月は球状ではなく、もともとは、きわめて長い円筒形で、いま宙に浮かんでいるのが月の切り口で、そこから、すぱっ、と斬られた。落ちた円筒形が、ゆらゆら、海中に落ち、底のほうから海面を一条の光で灯している。そんな感じにもみえる。

 あまりにも見事な月だ。ファミレスからは、残念ながら死角になって観えない。そこで、隣にあるバーに入った。サーファーのたまり場のようなところで、取り壊し寸前のような二階建てビルの上階にあり、外付昇降口を上がったところにある。換気扇シーリングファンは冬のためか停まっている。オーナー夫妻がサーファーなので、サーフィンが天井に近い壁に飾ってある。

 煙草に食用油を焦がした匂いが立ちこめていて、お世辞にも綺麗な店ではないのだが、洒落ていないというわけでもない。テーブルが五つあって、そのうちの三つが海に面した大窓側にあった。

 先客がいた。イケメンのサーファー五人と紅一点。それから女子大生風の女性が、四人。

 マダムが、「どの席になさいますか」と訊くので、サーファーたちと女子大生たちの間にちょうど空いた窓際の席を指さし、「あまりにも月が見事ですから」と答えた。サーファーたちも、女子大生たちも、「そうですよね、綺麗ですよね」と意外にも割り込んできた。波乗りの話もキャンパスのよもやま話も興味をひくところだが、演劇は始まっていた。プリマドンナが舞台で舞っているのだ。会話には首を突っ込まないことにして、とにかく、月を眺めた。空腹感はない。マダムが開いたメニューの写真にトムヤンクンというのがあったので、適当な感じでそいつを指さし、ろくに味わいもしないで、波にかかる月亮の橋を眺める。

 はじめは一直線だった。それがやがて、ノイズが横にはしったように、波が映り、楕円形にぼやけた光の輪となってゆく。月は水平線からだんだん上って、海上にある光の輪も小さくなった。

 店には、入り口にカウンターがあって、サーファーのいるテーブル席と隣り合っているのだが、そこで、サーファーたちの一部は腰掛けグラスをスコッチを傾けている。やがてサーファーが退出した。女子大生たちは話しを咲かせている。食べ終わった私も店をでた。車を運転してきたので、出来なかったのだが、つぎにくるときは、あそこのカウンターで飲みたいものだ(ノート20130207)。

     了

校正編集20160516

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