随筆/カップヌードルの衝撃 (感動した食べ物1971)
ブログサイトにFC2というのがあり、「感動した食べ物」という小題を公募していた。これにあわせて記事を書いてみた。
大阪万博で日本列島が湧いた一九七〇年の翌七一年。日清食品は、それまで袋詰めであった即席ラーメンを、真空冷却法システムを導入することにより、画期的な新商品とすることに成功した。定価百円。衝撃のデビュー作は、ここ、千代田区神田にある学生アパートにおいても多大なる影響を与えたのだった。
会社が出張先で用意してくれた宿泊していたレオパレス系のアパートでは、インターネットサービスがあり、そこでは独自の中継がなされていた。かなり昔に収録された番組をテレビ局から買ってきて入居者むけの番組を独自にやっている。大橋巨泉の番組『クイズダービー』もその一つだった。クイズゲストには〝宇宙人〟こと漫画家・はらたいら氏、〝三択の女王〟こと女優・竹下景子、篠沢教授といった回答者がいた。司会者のわきにいる女子アナウンサーが問題を読み上げる。
「一九七一年に即席ラーメンのカップヌードルが発売されます。それを最初に勝った人は、なかになにが入っていると思って買ったのでしょう……」
三択問題だったが、正解は寸劇に変えてご紹介するとしよう。
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ブロック塀に勝囲まれた二階建て木造アパートである。階段を上ったところに、大学三年生・佐藤の四畳半部屋があった。当時、学生運動は下火になりつつあったがまだくすぶっていた。学生たちはあまり学校に出なくなっていた。
そんな中にあって、身体の大きな佐藤はスポーツも好むのだが、学業を怠らずに受講する真面目な生徒だった。
夕刻、下の階の部屋に住む後輩・中居が階段を駆け上ってきて、ノックもせずに、ドアを開けた。
「せ、先輩。すげえんすよ。革命っすよ」
「革命? 選挙で投票すれば済むことだろ。中居、変なセクトに入るなよ。親が泣くぞ」
窓にはカーテンがついていない。壁際に本棚が二つ。押入れには一人分の上下の蒲団。畳の上にはちゃぶ台。しみだらけの天井には、傘のついた電球が吊下がっている。
佐藤は、読みかけたカントの哲学書に栞を挟んで閉じ、振り返った。対する中居は中肉中背の背格好だ。佐藤とおそろいで、キューバ革命の英雄ゲバラ肖像をプリントした白いTシャツにジーンズの格好だ。流しのヤカンに水を入れて、火をつけたコンロに、それをかけた。
中居の手には、薄手の発泡スチロールカップがあった。蓋はアルミ膜でできている。赤い線が引かれたシンプルなデザイン。蓋の半ばを開けてヤカンの熱湯を注ぐ。
「いいっすっか、先輩。三分後ですよ。三分後に革命が起こるんっすよ」
ちゃぶ台の真ん中にカップを置いた二人は、そこを挟んでSEIKOの腕時計の秒針を合わせる。一七〇秒が経過。そして、カウントダウン。
……3・2・1。
「じゃじゃじゃーんん。ヌード嬢、登場!」
狂喜した中居が、仮どめのテープを剥がす。
半信半疑であった佐藤も括目し、湯けむり吹き上がる中をのぞきこんだ。
現れたものは……。
カップヌードル
食べたその日から
味の虜に、虜になりましたあ♫
(↑ しまった。これ、カップスターのCMだった)
了
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ノート2012/校正20160516