随筆/幽霊
幽霊というと嘘くさく聴こえる。法則性=科学性がない、文字通りかすんだ存在だ。しかし、ものはいいようで「共有の無意識」となると奇妙な説得力を感じる。いうまでもなくそれは、意識を島にたとえるなら、無意識は海。海はほかの島々ともつながっている。眠っていたりすると、海中の一端をのぞきこむことができるらしい。
実家に近い勿来の関というろころは、辺地にあって古来から何かと事件の起こる場所だ。勿来の関は東北・蝦夷勢力の侵攻に備えた要塞であったようだ。阿武隈山地の一部が海に張りだして、自然の城壁をなしていて、幾分低くなった坂道を越えて、奥州から常陸へと抜け、東海道に合流したところだ。明治維新では、海上ルートの補給港平潟の争奪戦が行われ、激戦地になった。戦時中は風船爆弾の製造拠点で米軍の爆撃目標になっている。戦後は小学生二十名ばかりを乗せたボートが転覆して、大半が溺死するという事故もあった。その折、海中から防空頭巾をつけた子供たちが彼らの足を深海に引きずり込んでいったとか、いないとか……。
大学のとき寮にいた、そこでは恒例の夏キャンプがあり、勿来の関でテントを張って寮生たちが焚火にあたりながら酒盛りをするのだ。ビール二十杯ばかりを飲んだであろうか。ついに私は酔いつぶれ、砂上に伏した。翌日日中は二日酔い。砂浜で寝ていた。すると、水着姿の青年が仰向けで寝ている私を見下ろしていた。
「久しぶりだな。吉田(仮名)じゃないか!」
返事はない。夢だったのだ。
少し酔いがさめたので泳いだ。それから、帰りに兄が車で迎えに来た。
「おまえの中学の同級生に吉田っていたよな。三日前にここで海水浴に来て溺れ死んだんだ。野球部の後輩だったから、昨日、通夜にいった」
私は、幽霊というものはみないし、昨今は信じもしなくなった。別に彼らがいようといまいと溺れる人は溺れる。二日酔いの私が泳いでも溺れなかったし……。人を冥界に引きずり込む幽霊はいない。彼らは、恐らく、作家平井和正が「残留思念」と呼んでいるような、夢の住人として、ふわふわ、と海を漂っているだけなのだろう。
東日本大震災の少し前に、予知夢らしきものをみた。ほかに代わる説がないので、「共有の無意識」という奴で、時間軸を通り抜けた情報が、夢という無意識の海の浅瀬に迷い込んだものと理解している。
了
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ノート20120819