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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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「なぁ。俺の出番、まだ?」

 本隊先頭で前線の状況を眺めていた若者が、物悲しそうな表情で軍師を振り返る。

「もちろん、今回もありません」

 すっぱりと切れ味の良い回答を寄越した碧軍師は、馬上から先鋒の動きをつぶさに見守っている。

 寂しそうにがっくりと肩を落とし、溜息を吐いて項垂れる総大将は、副将が構ってくれないことに拗ねてしまう。

 将軍達は、総大将にかける言葉をなくし、苦笑を浮かべた後、軍師と同じく前線の様子を眺める。

「……今日は、犀将軍が先鋒を務めておられましたな」

 ふと、何かに気付いたように莱公丙が、顎に手をやり小さく呟く。

「えぇ。やはり、違いますね」

 その言葉に、笙成明が頷いてみせる。

「彩は、執念深い性質のようだ」

 くつくつと笑いながら利南黄が断じる。

 他の将軍達の言葉を耳にした嵐泰が、苦笑を浮かべ、肩をすくめる。

 ただひとり、彼等の会話についていけない青牙が、不思議そうな表情で先輩達の顔を見比べている。

「以前に、蒼瑛殿に彩の動きを封じていただいたことがあるのですよ」

 苦笑を浮かべた綜翡翠が、青牙に顔を向けて説明する。

「その時に、盗賊がそちらに向かったので、努々注意なさるようにと、蒼瑛殿が彩へ文を送られたのです。正規軍を送ったわけでなく、様子見に向けた兵を蹴散らされ、盗賊扱いされた彩は、まさか自軍だと言うわけにもいかず、煮え湯を飲まされ、蒼瑛殿を逆恨みしているわけです。あの方は、そういう洒脱な真似をなさるのがお好きですから、嬉々としてなさったのでしょう……数年前のことですが、彩には昨日のことのようですね」

「……はぁ」

 行動を共にするようになって青牙もわかったが、犀蒼瑛という青年は、己が酔狂に命を賭すことも辞さない傍迷惑な性格をしている。

 さぞかし、名演技で彩に煮え湯を飲み干させたに違いない。

「お役目を、某が承ろうと思っておりましたが、これでは蒼瑛殿にお任せするほかありませんね」

 残念そうな表情で、成明が呟く。

「そのようですね。ですが、成明殿には、その蒼瑛殿の助け手となっていただきたいと思います。その前に、利南黄殿、嵐泰殿にお願いが……」

 成明の言葉に頷いた翡翠は、付け加えるように言葉を添え、将軍達の顔を見上げる。

「何なりと、軍師殿」

「敵の将軍を捉えて欲しいのです。できるだけ、傷を付けずに」

「承知した」

 武勇を誇る二人の将軍は、気負うことなく淡々とした表情で頷く。

「策ができたのか、翡翠?」

 拗ねてはいたが、彼等の会話を聞いていた熾闇が、うずうずした様子で問いかける。

「えぇ。蒼瑛殿好みの茶番をひとつ。莱公丙殿と青牙殿には、本隊を率いて頂きますので、手抜かりなくお願いいたします」

 冷静沈着そのものの表情で告げる翡翠に、将軍達の表情が改まる。

「仔細は、蒼瑛殿が戻られてから、お話しいたしましょう」

 他国が動向を見守る中、颱が静かに動き出そうとしていた。


 草原に、西から東へと風が吹き抜ける。

 うねる風の中、後ろ手に縛られ、草地に座らされた捕虜が二名。

 不本意そうな仏頂面は、当然のことかもしれないが、周囲の空気の色さえも重く塗り潰しそうな不機嫌さだ。

「軍師殿、御意により、彩の将軍を捉えて参りました」

 彼等の両脇に立った利南黄と嵐泰が、重々しい声でそう告げる。

「ご苦労様でした、両将軍」

 場違いなまでに穏やかな声が響き、鎧が擦れ合う軽い金属音と共に二人の若者が現れた。

 赤紫の髪と闇色の瞳の白い鎧の若者が、彼等の正面にある床几に腰掛け、黒髪と翡翠の瞳の新緑の鎧の若者がその傍らに立つ。

 一軍の首人たる大将とその副官があまりにも若すぎること、そうしてそのどちらも彩では見ることもできないほど際だった美貌の持ち主であることに、虜囚の将軍二人は驚きに目を瞠り、僅かばかりの侮蔑の表情を浮かべる。

 だが、すぐにその表情は消える。

 相手が誰であるか、思い当たったからであろう。

「よく来られた、彩からの客人」

 にっこりと屈託なく笑った熾闇が、二人を労う。

「さぞかし疲れたことだろう。ゆるりと休まれよ」

「我らに何用か、颱の王子よ」

 まったく含み無い言葉にも関わらず、彼等は熾闇の言葉の裏を読もうと、仏頂面のままで問う。

「用? 用と言うほどのことでもないが、二、三日ほど我が陣でゆっくり休まれるとよかろう。彩には文を遣わしたゆえ、心配されることはない。五体満足で彩へ送り届けて進ぜよう」

 この後に、本隊率いての戦が待っていると翡翠に聞かされている若者は、上機嫌で虜囚の将軍と相対する。

 その表情が、彼等に深読みをさせることなど、まったくと言っていいほど気付いていない。

「……何が狙いだ?」

「客人達のお陰で、彩は我が国の同盟国となる。戦は終わり、南に平穏が訪れる。めでたいことではないか?」

「我々の……っ! 何をしたっ!?」

 訝しげな表情を浮かべていた彩の将軍は、ハッと顔色を変えると腰を浮かせて怒鳴る。

 気の弱い者であれば、気を失いそうなほどの迫力ある怒声であるが、ここに集まる者は顔色ひとつ変えず、成り行きを見守るのみである。

「文を遣わしたと言ったであろう?」

「あなた方が我々の提案を受け入れ、軍を撤退すると承諾したと、明日には広まっているでしょう」

 それまで沈黙を守っていた軍師が、穏やかに軍配を手に話す。

「その様なでまかせ、誰が信じるものか!」

「えぇ。そのままでは、ね。その言葉の前に、美酒と美女に酔い、と、付け加えておきましょう。将軍達は血迷うたと派手に喧伝することでしょう」

 彼等を流し見る美貌の軍師に、一瞬言葉に詰まる。

 奥に控えている侍女らしき女性達も、軍師には及ばないがそれでもかなりの美女揃いだ。

 彩では滅多にお目にかかれないほどの。

「文遣いは、あの者達です。まさか、彩ともあろう国が、女性の使者を殺すわけがないでしょうし、彼女達を見て、信憑性は増すでしょうね」

 くすっと笑った翡翠が、侍女達を軍配で指し示し、そう告げる。

「その様な偽りを……」

「真偽など、どうでもよいことです。大切なことは、結果です。くだらぬ戦など、もう飽きました。そちらだけがムキになって、一方的に被害を拡大しているだけでしょう。馬鹿馬鹿しくて付き合いきれませぬ」

 軍配で口許を隠し、実に面倒臭そうに話す軍師に、虜囚の将軍達は青筋を立てて反論しようと言葉を探すが、巧い言葉が見つからず、怒りを抱えたまま黙り込む。

「それとも、羌の二の舞を踏んで、滅びますか?」

 一切の表情を消し、無感動な瞳を向ける美貌の軍師を取り囲む一種異様な雰囲気に、怒っていたはずの虜囚達は凍りつきそうな寒気を覚え、総毛立つ。

 なまじ、類い希な美貌なだけに、表情がなくなると作り物めいた感が強くなる。

 今まで穏やかに微笑んでいたので、切れ者という雰囲気がまったくなく、彼等は見誤っていたことに今頃気付いたのだ。

 世慣れぬ子供だと思っていたら、熟練した刺客に喉元に鋭い切れ味を持つ尖った剣先を突き付けられていたというわけである。

「長年のお付き合いですから、仕方なくそちらの顔を立てるためにお相手しておりましたが、いい加減、退屈になりました。遊び相手にもなりません。つまらないので、帰ることに致します」

 四神国に次ぐ国力を持つ大国だと自負する彩にとって、この言葉は侮辱以外のなにものでもない。

 だが、言われていることは事実なのだと、軍師が持つ気迫からわかる。

 虎の子供が、獲物と見立てた鼠を指先にかけて遊んでみたが、それに飽きたのでそのまま押し潰そうとしているのだと、肌で感じ取る。

 同盟国などという言葉は、単に押し潰すことが面倒臭いため、鼠を放逐するための適当な理由なのだろう。

 思えば、この戦、初めから颱の対応が奇妙であった。

 短期決戦を好む颱が、ここまで長期戦に付き合ったことは、彼等の記憶ではない。

 つまり、退屈だったから遊んだということなのだろうかと、極論に達する。

「陣内をご自由に散策されて結構です。ただし、逃走と自害ができぬように呪で封じさせておりますので、無駄な努力などなさいませんように。では、お休みくださいませ」

 軍配をひらりと返し、合図を送る。

 控えていた侍女達が前に立ち、両脇を小姓達が固め、彼等を別の天幕へと案内する。

 虜囚の将軍達の姿が消え去り、その気配も完全に途絶えたと誰もが確認したとき、盛大な笑い声が天幕に響き渡った。


 お腹を抱え、目尻には涙すら浮かべ、ここまで笑えたらさぞかしすっきりするであろうと感慨を抱けるほど、見た目とは違いすぎる豪快な笑い方をしているのは、王太子府軍随一の美丈夫であった。

「犀将軍」

 末席に控えていた青牙が困ったように彼を窘める。

「いや……申し訳、な……っくっくっく……苦しい」

 一応、謝罪の言葉を口にしようとしているものの、形ばかりの言葉で、しかも途中から裏切っている。

「ははははは……こんな三文芝居によく引っかかっていただけましたな、彩は」

「蒼瑛! 御前だ、控えよ」

 呆れたように、嵐泰が注意するが、それでも蒼瑛の馬鹿笑いは止まらない。

「蒼瑛殿の演出通りに演技してみましたが、本当にこの程度でよろしいのでしょうか?」

 軍配を不謹慎にも団扇代わりに自分を扇ぎながら、翡翠は承服できかねるような表情で蒼瑛に問いかける。

「えぇ、上等ですよ。後は、もうひとつの噂をそれとなく流しておけば、彩は踊ってくれるでしょう」

「……わたくしも、策を練るとき、悪辣だの何だのと言われておりますが、蒼瑛殿はそれ以上に悪趣味ですね」

 目尻の涙を拭きつつ答える青年に、翡翠は肩をすくめて告げる。

「普段が、これ以上ないほどに趣味がよいので、これで差し引き零となるわけですよ。何事にも完璧な人間とは、他人に疎まれてしまいますからね、このぐらいが丁度いい加減というものです」

 悪びれることなく堂々と宣言した蒼瑛は、再び笑い始め、その場にいた一同は、呆れたようにあらぬ方向に視線を向けると一斉に溜息を吐いた。

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