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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
92/201

92

 新年の大祭は、王の感謝の儀から始まる。

 昨年作られた葡萄の蒸留酒を天と地に捧げ、天候と大地の恵みに感謝をし、新しい年も等しく恵みを与えてくれるように願う。

 この儀式は、王ひとりが行うため、草原まで馬を駆り、戻ってくるまで、誰も何が行われたのか知らないのだ。

 そうして、次に、颱を見守る白虎神に蒸留酒と果実を捧げる。

 王の観覧席の上に白虎神の座所が設えられる。

 捧げ物は座所と観覧席の間に置かれるのだ。

 この後、王が天帝、白虎神に三つの願いを祈る。

 祈り終えた王が、大祭の開幕を宣言するのだ。


 楽や舞、歌が白虎神に捧げられる。

 それらは白い神獣にとって、何よりの御馳走と同じなのだ。

 王の名代として、儀式を典例に則って行ってきた第三王子熾闇は、祭の開幕を告げ、観覧席に座る。

 その上には空白の御座所。

 彼等にとっても、御座所に白虎神がいないということは初めてのことである。

 地方都市では当たり前のことだが、常に王都で新年を迎えてきた王太子府軍の兵士達には、少しばかり落ち着かない気持ちになってしまう。

 何か、物足りないような気になるのだ。

 それでも、王都で行われる大祭と全く同じ様に祭は進行する。

 風舞・男舞の順番が回ってくると、舞台の上に第八王子晴璃が立つ。

 舞台と観客の位置が、非常に近いことに気付いた少年は、表情が強張り、硬くなっていることが見て取れる。

 緊張するなと言う方が無理だとはわかっていても、四年前、熾闇が舞ったときと比べてしまう者が多かった。

 正面に座る熾闇と目があった晴璃は、今にも泣き出しそうな縋るような表情で兄を見た。

「気楽にやれ、晴璃。間違えたとて、誰も気付かぬからかまわんぞ。俺も、散々振りをすっ飛ばしたからな」

 呑気そうな表情で、観覧席にいた若者は、とんでもないことを言い出した。

 もちろん、大嘘であるが、その言葉は切羽詰まった状況にいた晴璃を救ってくれた。

 ほっとしたような、落ち着いた表情を見せた第八王子は、観覧席に向かって一礼する。

 それが合図であった。

 楽師役の兵士達が、静かに男舞を奏で始める。

 音楽が始まると、観客達は静かに舞台を眺めた。


 ゆったりとした琵琶の音色。

 静かで穏やかな、だが、力強い音色が辺りを包む。

 その音色に負けぬように、ゆっくりとしなやかな動きで、晴璃が舞う。

 全体的に硬さが見受けられるが、それでも下手ではないと思える所作である。

 慎重に、丁寧に、手の動き、足の運びを追いながら、手本通りのように舞っていく。

 真剣そのものの表情には、どこか嬉しそうな光が映し込まれている。

 王の代理として観覧席に座する兄から、直接声をかけてもらったのだから、当然だろう。

 第三王子熾闇は、弟王子達にとって憧れの的である。

 顔すら滅多に合わせることなどない兄だが、幼い頃より戦場を駆け巡り、常に勝利を友とし、名を馳せる王太子府軍総大将は、彼等には生きる英雄、もしくは伝説である。

 戦場に立てるようになれば、兄の下で戦いたいと、いつも夢を見ていた。

 夢が叶い、そうして少年達は更なる夢を描く。

 兄に認めて欲しい、誉めて欲しいと。

 戦の手柄とは異なるが、それでも見事、この大役を果たし、兄に褒めて貰いたいと、晴璃は舞う。

 男舞は、そのゆったりとした曲調とは裏腹に雄壮な舞である。

 返しの手や、脚捌きにしっかりと力が入らなければ、貧弱な舞となってしまうだろう。

 上体をゆっくりと動かすことで体重移動や重心の変化を行うが、下半身がしっかりと受け止め、ついていかなければ力強さが表現できない。

 微妙に不安定な位置での止めや、曲に合わせての複雑な手の払いを正確に再現していく。

 次第に、晴璃は舞うことに没頭していった。

 ふと気付けば、楽は止み、周囲から拍手が湧き起こる。

 肩で息をしている自分に違和感を感じながら視線を上げると、観覧席で少年に向かって頷く兄の姿が見えた。

 何も、言葉はない。

 僅かに目を細め、口角を持ち上げるようにして笑みの形を作りつつ、ただ頷いただけ。

 それでも、晴璃は泣きそうになるほど嬉しくなり、ただただ深く頭を垂れた。


 男舞が終わり、楽師達が賑やかな曲を奏で始める。

 その後、しばらくして観客達はそろそろ女舞が始まる頃だと思い出す。

 戦場であるがゆえ、今年は女舞は見ることができなかったと、少しばかり残念に思いつつも、次の演目が何かと舞台に目をやり、驚いた様な唸り声をあげる。

 舞台の上で楽師達が交代したのだ。

 それ自体は珍しいことではない。

 だが、交代した者達が意外すぎる人物であったため、思わず声を上げてしまったのだ。

 王太子府軍にこの人ありと言われる将軍達が、手に楽器を持って舞台の四隅に座る。

 中には、楽器を扱えるのかと思うような人までいたため、驚きが広がったようだ。

 上層部が秘かに企んだこととはこの事だったのかと、将軍達が見事な楽曲を演奏し終えた頃に兵士達は感心したのだが、そのことが間違いであったことは、すぐに知れた。


 将軍達が音合わせのように爪弾き始めたのは、軽快な風舞の女舞であった。

 この時まで、彼等は全く疑っていなかった。

 単なる音合わせなのだということを。

 ふわりふわりと空から紙でできた花弁が舞い散り始め、あたりを甘い薫りが包み始める。

 花弁に焚きしめられた香の薫りだと気付くには、しばらく時間が掛かった。

 手の込んだ演出だと、ふと彼等が舞台へ視線を戻したとき、先程とは比べものにならないほどの声が轟いた。

 歓声とも唸り声ともつかない声が、大地を揺るがす。

 舞台の上に、いつの間にか瑞雲の巾を身に付けた天仙が佇んでいた。

 その声も、長くは続かず、静けさがすぐに戻る。

 目を瞠り、信じられないものを見るように、呆然と口を開けたまま舞台を眺める兵士達。

 それもそのはず。

 彼等が総大将同様に尊敬する副将兼軍師が、舞台の上に立っていた。


 夢を見ているのではないかと、彼等が自分の頬に手をやり、抓ろうとしたとき、さらに信じられない光景が目の前に広がる。

 瑞雲をたなびかせ、空から彼等の守護神獣が舞台へと駆け下りてきたからである。


 舞台へと音もなく着地した白虎は、舞姫の手に鼻面を擦り寄せる。

「……白虎様?」

「見に来たぞ」

 得意そうな表情で告げた白い獣は、観覧席を振り仰ぐ。

 上座に座っていた若者が、驚いた様に立ち上がり、白い神を睨み付けている。

「王都の大祭はどうされた、白虎殿!」

 乱暴な口調で怒鳴りつけたいのだろうが、口調は抑え気味で問いかける第三王子に、白虎はにんまりと笑う。

「影を置いてきた。おまえの親父にはちゃんと許可を貰ったぞ。心配するな」

「心配などしておらぬわ! 自分の役目をちゃんと果たせと俺に言うくせに、自分はここで何をしている!?」

「役目を果たしに来たぞ。俺は、今年最高の風舞を見るために来たのだからな。こんな好機会を逃すわけがなかろうが」

 横柄なまでに威張りくさって応じた獣の神は、翡翠の腕に太い尻尾を絡ませ、上機嫌である。

「……今日は妙に上機嫌だと思ったが、最初からそのつもりだったんだな」

「当たり前だ。ここを何処だと思っている? 俺が守護を与える地だぞ。何が起こっているのか、すぐにわかるわ。それでも、男舞までちゃんと見てきたのだから、とやかく言われる筋合いはないな」

 あっさりと反論を封じ、翡翠を見上げる。

「俺が見たおまえの舞を後から見せるという約束で、直接ここに来る許可を王に貰ったぞ。意外と高くついたな」

「舞を……そんなことが可能なんですか?」

「可能だとも。でなければ、こんな無茶なことはせんぞ」

 得意気に太く笑った白虎は、ぱたぱたと器用に尻尾の先だけを振る。

「存分に楽しめ、翡翠。それが俺の一番の御馳走だ」

「御意」

 ふわりと舞台を蹴り、宙に浮いた白虎は、それだけ告げると、観覧席の上座へと向かった。


 柔らかな笑みを浮かべた舞姫は、舞台中央へと進み、軽く膝を折る。

 上体を伏せ、踞礼を上座に向ける。

 じゃらんと、琵琶が低い音を響かせる。

 笛が澄んだ音色で風を表現し、琵琶が草原の草の音を体現する。

 そうして、琴と鼓がそれに絡み合う。

 軽快で華やかな女舞の音色に合わせ、舞姫が軽やかに舞い始める。

 ふわりと巾がたなびくたび、人はありもしない散華をそこに見る。

 舞台の上に、彼等は春の草原を見た。

 風になびき、そうしてたわみ揺れる草たちと、何処からともなく風に乗り、舞う、薄紅の花弁。

 つむじ風が悪戯に起こり、小鳥達が賑やかに囀る。

 翡翠はそのどれもを伸びやかに表現し、体現していく。

 しなやかな腕が大きな風の流れを、手首の返し、指先の僅かな動きが、小さな小さなつむじ風をその場に生み出す。

 ざっと音を立てて蹴り上げる裳裾の緑が、風に揺れてうねる草原の草を、手にした扇が空高く囀る小鳥の姿を想像させる。

 草原の民が愛する春の風景がそこにあった。

 陶然と酔いしれる兵士達の前で、びぃんと琵琶が一際大きな音を奏でる。

 はっと、思わず息を飲み、我に返った彼等の前には、今度は別の風景が広がっている。

 長閑な春の陽射し。

 花の蜜を求め、ふわふわと風に舞う蝶の姿。

 甘い薫りを何処までも遠くに漂わせる色とりどりの花々。

 それは、王宮の春の庭であった。

 馥郁たる香りを漂わせる大輪の華。

 百花の王が艶やかに舞う。


 観覧席から舞台を見守っていた熾闇は、服の上から胸を押さえた。

 今年最高の舞──おそらくは、歴代でも最高水準を誇るだろう見事な舞を目にし、心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 感じるはずのない痛みを感じ、思わず痛みを感じた場所を押さえたのだ。

 舞台の上で舞っているはずなのに、まるで目の前で舞っているかのように、しなやかで細やかな指先の動き、淡い微笑みを浮かべた柔らかな表情、裳裾が流れる様がはっきりと見える。

 今、翡翠の内にあるのは、ただ舞うことだけ。

 楽の音が続く限り、心のままにただ舞いたいと願い、その願い通りに舞っているのだろう。

「胸が、痛い。どうしてだろう……白虎殿、この様な病があるのかな? ずっと見ていたいのに、見ることが辛い」

 ぽつりと呟いた愛し子の言葉に、白虎は不思議そうに耳をぱたりと動かすと、上座からふわりと第三王子の許へと降り立つ。

「どうした、熾闇?」

「わからない。胸が痛いんだ」

 ふうっと溜息を吐きながら答えた若者は、暗い眼差しになる。

「見事だよな、翡翠の舞は。あんなに見事に舞えるのに、俺のためにそれを無駄にしていいのかな。俺に縛り付けてしまって、翡翠のためになるんだろうか? 俺に気兼ねして、自分のしたいことを諦めてるんじゃないだろうか」

「……おまえ」

 常に内にある不安を口に出す熾闇に、白虎は意外そうな表情になる。

 子供っぽいどこか拗ねたような表情を浮かべているが、瞳に浮かぶ光だけがそのすべてを裏切っている王子に白い獣の神は、何かを感じ取ったらしい。

「それはないだろうよ。翡翠はああ見えて、頑固で我儘だ。意に染まぬことに唯々諾々と頷く真似だけはせぬよ。舞うことよりもおまえの方が大事だから、人前で舞わないだけだ。例え、おまえの命令でも、翡翠はおまえの傍から離れぬよ」

「……うん」

 ほっとした様子で、白虎の言葉に頷いた熾闇は、翡翠だけを見つめている。

 内に熱を持ったような潤んだ瞳が舞台の上を追っている。

「人はな、熾闇。身体とは別に、様々な心の病を持っている。悪い病もあれば、良い病もある」

「病は悪いものだろう? 良いものなど聞いたことなどないぞ」

「あるさ。例えば、流行なぞ、人に移される病のひとつだろう? 程度の軽いものだが、人が持っていたから、どうしても自分も欲しいと探して手に入れる。それを見た誰かが、さらに同じものを欲してと、まるで風邪のように移っていくが、別に害はない。商人達の懐具合が潤い、さらに新しい流行が出回る。充分、心の病さ、人と同じものであろうとする、な。おまえの胸の痛みも、心の病のひとつだ。どんな病かは、おまえ以外、誰にもわからん」

「俺以外?」

「否、おまえ以外、誰にでもわかるかもしれぬな」

「は?」

 白虎の言葉に、わけがわからないと眉根を寄せるが、いつもなら彼を見つめるはずの若者は、翡翠から視線を外せないでいる。

「その痛みは、おまえだけのものだ。何故痛むのか、きちんと考えろ。理由がわかれば、病が癒えて、二度と痛まぬかもしれぬし、更なる深みにはまるかもしれぬ。他の病となるやもしれぬ。すべてはおまえ次第と言うことだ」

「……俺次第……」

 噛み締めるように呟く熾闇に、白虎は微笑む。

 父親が子供に向ける愛情に満ちた笑みであった。

「その痛みが、心地良いものが、不快なものか、おまえしかわからぬだろう? 時間はある、ゆっくりと考えるといい」

「……わかった。そうする」

 小さく頷いた若者は、ただ舞台を見つめ続けた。


 十二間の舞台の上で、翡翠は楽の音に合わせてただ舞っていた。

 真っ直ぐな気性を持つ将軍達の合わせる楽は、実に快い音色で、考えるよりも先に、身体が舞の所作を追っていく。

 これほど気持ち良いと感じることは、今までなかった。

 伸びやかに舞えることはない。

 おそらくは、今までで最高の舞だと、娘は思う。

 これほどの楽の音に推されて、舞うことができなければ、忙しい中、楽師の真似事をしてくれた将軍達に申し訳が立たないことも事実だが、それ以上に、素晴らしい神楽の演奏をしてくれる彼等に感謝をしていた。

 半ば諦めていた風舞を軍内部だけという最高の舞台で舞うことができた。

 一番、見て欲しい方々に舞を見てもらうことができた。

 何不自由なく、伸びやかに、晴れやかに、舞うことができる。

 今、翡翠の中にあるのは、すべてのことに対する感謝であった。

 舞えることが嬉しい。

 舞を見てもらえることが嬉しい。

 嬉しさと感謝が満ち足りた微笑みを導き出す。

 晴れやかな表情で、伸びやかに舞う翡翠を、誰もが陶然とした表情で見つめている。

 しなやかに、小刻みに動く手が、風や木の葉、花弁、そうして光を表現する。

 巾がふわりと風にたなびき、風を含んではらむ。

 複雑な脚捌きで位置を入れ替わり、ふわりと宙を舞う。

 人の身の重さを感じさせない、まるで天仙の様な軽やかな舞に、人々は美酒を含んだかのように酔いしれる。

 この美しい舞を目の当たりにした者達は、純粋にこの幸運に感謝した。


 感謝が感謝を生む。

 人の感情の中で、これほど素晴らしいものはない。

 白虎は目の前にある光景に非常に満足した。

 この感情を人が覚えている限り、人が道を違えることはない。

 例え、道を違えたとしても、正しい道へ戻ることが可能だ。

 星を抱いて生まれし者は、人の世の道標。

 常に幾多の可能性を秘めて、前を見据え、歩み続ける者だ。

 これほど素晴らしい舞を見せてくれた綜家の末姫に、何を以て褒美としようか、白虎は楽しげに尻尾を持ち上げ、ゆるりと考えた。

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