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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
9/201

 砂埃が舞い上がる。

 砂丘の上に馬を立て、眼下に広がる不毛の大地を睥睨する軍師の姿に、颱国王太子軍はその采配が振り下ろされるのを今かと待ち望んでいた。

 風が通り抜け、その緑なす黒髪をはためかせる。

 臣下と言えど、名門中の名門、そうして王族の血を引く軍師の姿は、壮麗な文官服ではなく、地味で実用的な甲冑姿である。

 風にさらわれうねる黒髪を片手で押さえた美貌の軍師は、羌の陣中を冷静に観察している。


 元々羌は、颱と同じく騎馬の民であるが、大きな違いはその考え方にある。

 四神国である颱は、自然に感謝し、白虎とその恵みに感謝して、日々の糧を地道に得ることを大事と考えているが、羌は不毛の砂漠をその領国とするため、糧は自分たちの手で紡ぎ出すものではなく、力で奪い取るものと考えている。

 その考え方自体は、翡翠とて納得できるものである。

 どうしても手に入れることができないから、あるところから奪い取る。

 至って簡潔な考え方だ。

 賛同はできないが、その考え方に至る経緯を理解することはできる。

 馬や羊などを量産し、それらと野菜などを交換すれば、市が立つ。

 その市をさらに発展させていけば、交易を求めて他国から商人が集まってくる。

 彼等の通行税、市の維持費、地税などをかけていけば、さらに国は富む。

 街を作る必要はない。

 ある一定の期間、その場所で市を立てればいいだけだ。

 そうすれば、彼等が望むものが手に入るようになる。

 奪う必要はなくなるのだ。

 どのようにすれば、国が富んでいくのか、翡翠は知っている。

 だが、羌はそれをよしとはしないだけなのだ。

 食料がなくなったから、近隣の富める場所へそれを手に入れに行く。

 それが今までのならいだった。

 その力の均衡が崩れたのは、今の女帝に代わってからだ。

 必要以上の富を欲しがり、力を欲しがり、大地を欲しがる。

 不羈の民が、女帝の私兵になった。

 晋と颱に挟まれる羌は、以前であれば、束縛を嫌い、他国へとその目を向けることだろう。

 だが、今の女帝はより富める大国、颱の地を欲しがり、時期を考えずに攻め込もうとしている。

 それが、翡翠には腑に落ちなかった。

 忌避すべき状況なのに、自らそれを組み上げ、乗り込むかの女帝の意志がわからない。

 よほどの勝算有りと見るべきなのだろうが、今ひとつ、理解に苦しむ。

 彼女のはなった細作たちは、まだ戻っては来ない。

 眼下に広がるあまりにもずさんな陣形に、眉を顰めながら、手綱を引き、碧軍師は本陣主将の天幕へと向かった。


「軍師殿! 出陣はまだにございまするか」

 天幕に集まった主だった将達が、口々に碧軍師へ問いかける。

「是非とも、先鋒はそれがしに!」

「おぬしは前回も先鋒を引き受けたではないか! 今回はわしにお任せあれ! 見事敵将の首を討ち取ってご覧にいれまする」

「方々の声、確かに。頼もしいことでありますが、今しばらくのご辛抱を。時期、風向きが変わりますゆえ」

 やんわりと彼等の勢いを窘めた軍師は、床几にどっしりと腰を落ち着けている主君の許へと向かう。

 王宮内ではあんなにやんちゃな駄々っ子も、戦場では頼りがいのある主将に見えるのだから、不思議である。

 妙な感慨を抱きながら、翡翠は熾闇の前に立ち止まると、両手を組み、恭しく一礼する。

「千歳、ただいま戻りました」

 王族に対する臣下の礼を施し、声をかけた翡翠に、熾闇は重々しく頷く。

「よく戻った。して、状況は?」

「騎兵四千、一里先に西方陣を展開中。現在、伏兵の有無を確認中にございます」

「……そうか。西方陣、か」

 翡翠の言葉に、一瞬眉を顰めた王子は、小さく頷く。

「長期戦になりますな。それに、騎兵四千というのも気になります。少なくとも、六千の騎兵を投じるはず……残り二千はどこへ置いたか……あるいは、隠したか」

 犀蒼瑛が、顎を撫でながら呟く。

 軍装でも都にいるように隙なく身支度を整えている辺り、彼の洒落っけはなかなかのものだろう。それに眉を顰める将達もいるが、面と向かって文句を言うものはいないようだ。

「当然隠しているのだろう。その兵士たちの行方を突き止めるまでは、こちらからは打って出るなと言いたいのだな、翡翠?」

「御意」

 同じく顎に手をやり、考え込む様子の熾闇が、その眼差しを片腕に向ける。

「定石を逸した手を打つとき、その裏にあるものを読まねば、この戦、我らの負けとなりましょう。本来、羌は機動力を活かした短期決戦を好みます。彼等にとって、必要な物さえ手に入れば、それだけで良いのですから、長居は無用というものでしょう。敢えて長期戦を望となれば、それなりの自信があるということにまります」

「……騎馬の民が、女帝を戴くというのは解せんな。新帝について、何か聞き及んだことはないか?」

 一同を見渡し、熾闇は問いかける。

 噂話でも良いから、何か知っている者はいないかという問いかけに、将達は黙り込む。

 今回ばかりは情報を集める暇がないほど世代交代と襲撃が急であった。

「少しばかり……先々帝の妾腹にあたる姫で、母親は先帝の妃の一人であったとか。年は定かではありませんが、おそらく蒼瑛殿と同じくらいかと……なかなかの美貌の持ち主で、先帝を廃したのは彼女だとか……」

 いつの間に調べたのかと言いたげな視線を受けながら、翡翠が状況をわかりやすく説明する。

「軍師殿、先帝を廃したというのは、もしかして、先帝を討ったという意味であろうか?」

 ふと気になった様子で、犀蒼瑛が彼女に問いかける。

「蒼瑛殿は、羌の王族のしきたりをご存知ですか?」

 その言葉に答えずに、男装の軍師は逆に聞き返す。

「それほど明るくはないが……」

「帝が死せば、後宮は次の新帝のものに……そのまま受け渡されます。そうして、先々帝の妃であった女帝の母親は、先帝の妃になりました。先帝は、先々帝の弟にあたり、やや思慮に欠ける人物であったことは、皆様ご承知でございましょう。一方、女帝は、先々帝の血をその身に引き継ぎ、聡明で、文武に長けた人物だと言われておりました」

「ははぁ……つまりは、義理の娘の美貌に目が眩み、彼女の寝所に忍び込んで返り討ちにあったと……そういうことですな?」

 納得がいったと明るい表情を浮かべる蒼瑛とは対照的に、その場にいた男たちはゾッとしたように青ざめる。

 不埒な真似をしたのなら、報いを受けるのは当然のことだとは思うのだが、殺さなくてもよいではないかというのが、正直な気持ちのようだ。

「それで、その姫君が女帝になった経緯は?」

「先帝の首級をあげた女帝が、その場で宣言なさったようです。道に悖る者は帝にあらず、正す者こそ、帝なり、と」

「道を正す者……ねぇ?」

 その言葉に、蒼瑛は皮肉げに笑う。

 所詮、道など、強者が作る都合である。

 他人に己の都合を突き付け、それを道というのは自分勝手というもの。

 己の所業を正当化する者ほど、信用に値しないというのが、彼の持論である。

「では、力で帝位を得た新帝が望むものは何か?」

「…………ッ!」

 熾闇の言葉に、翡翠は顔を上げた。

 支持を受けたのではなく、己の力のみで位を掴んだ者ならば、次の行動はたったひとつである。

 自分がその地位に相応しいことを他の者に証明するということだ。

 女帝の考えがわかった翡翠は、彼女の行動を初めから組み立てていく。

 簒奪者と思われないために、常に結果を出さなくてはならない女帝は、一番最初に有無を言わさぬ大きな結果を出そうと颱国を狙ったのだ。

 そうなると、目の前に展開している陣は、本隊ではない可能性が出てくる。

 熾闇の前に広げられた地図を睨み、難しい顔をして考え始めた軍師に、一同はかける言葉を見失う。

 その間に、各地へ放っていた斥候が戻って来、状況を伝え出す。

 いまだに戻って来ない者が数名いるが、話を先に進めようと総大将が軍師を見つめたとき、初めて彼女が反応した。

「斥候が戻ってきていないのは、ここの分ですね?」

 そう言って、彼女は地図のある地域を采配で示す。

「……はい、そうです」

「我が軍の前にいるのは、本隊ではありません。この地域こそが、羌の本隊が置かれている場所です! 急いでここを引き払います! ここでは、挟み撃ちにされてしまいましょう、東へ移動し、陣形を整えなさい」

緊迫した声で告げる軍師の言葉に気圧され、慌てて頷いた将達が、己の隊へと急いで戻る。

 まさに間一髪のところであった。

 移動を開始した彼等の右手側に、新たなる騎兵が出現したのだ。

 追いつかれる前に陣形を整え、逆に打って出た颱軍に、羌は一時撤退を余儀なくされた。

 消耗覚悟で戦に臨む羌が、これくらいのことで諦めるはずがない。

「羌の新帝は、なかなかの知恵者のようだな、翡翠」

 主将として、白の鎧を身につける熾闇が、ポツリと呟く。

「苦戦を強いられるな」

「御意」

 彼が言いたいことを汲み取り、翡翠は小さく頷く。

 今まで、どの戦も楽に勝ってきたわけではない。

 常に死と隣り合わせでいた。だが、今回ばかりは相手が悪すぎる。

 羌の兵は死兵だ。

 死を怖れない兵ほど、組みにくい相手はいない。

「どう思う? 新帝は苛烈な性格の持ち主のようだが、わざと作ったものか、それとも元々の性格か? 己の寝所で義父を斬り殺す気概の持ち主が、淑やかとは思えんが」

 血生臭くなって、使えんだろうにと、まったく別の心配をしている少年に、翡翠は苦笑を浮かべる。

 この分では、先程将達が何故青ざめたのか、意味が判ってはいないようだ。

「元々の性格の上に作ったという方が、正しいかと。新女帝は、羌の中にあって孤立無援の状態です。人を、臣下を信じずに、己の才覚と恐怖とで彼等を支配しているもようです。確たる勝利を得ずに長引けば、かの女帝、いずれは帝位を奪われることでしょう」

「なるほどな。それだけ言うということは、策ができたか?」

 ニヤリと楽しげに笑う熾闇に、翡翠は微笑み返す。

 彼女の主は、一度懐に入れた相手には全幅の信頼を寄せる。

 相手が動きやすいように、最上の場所を与え、そしてその結果を無条件に受け入れる。

 例え失敗したとしても、無用に責めることはない。

 これが、頂点に立つもののあるべき姿だと、翡翠はいつもそう思う。

 時々、どうしようもない駄々っ子になるものの、上に立つ者としての器がある。

「此度、犀蒼瑛殿には後衛をお願いします。先鋒には利南黄殿を、左翼には笙成明殿、右翼に莱公丙殿を配置します。嵐泰殿には遊軍を率いて貰いましょう」

 ゆったりとした口調で、翡翠は簡単に陣形について説明しはじめる。

「八方陣を用いるつもりか?」

「はい」

「わかった、任せよう。ところで、夜襲はあると思うか?」

「おそらくありません。最初の奇襲で失敗していますから、無理はしないでしょう。こちらの動きを警戒しているはずです。それに、ここでは気付かれずに夜襲をかけるのは無理ですから」

 起伏に富んだその一画は、絶壁に囲まれている。

 騎馬の民が馬を捨ててここへ来るのは難しいことだろう。

 それを踏まえて、翡翠はここに陣を張ることを提案したのだ。

「では、ゆっくりと休むように兵たちに伝えよう」

 主将自ら伝令に伝えるべく、熾闇はその場を離れる。

 風に髪をさらわれながら、翡翠は空を見上げた。

 平原に風が吹き渡る。

 王都よりさらに西へと数百里、春まだ遠い地では、血生臭い風が吹こうとしていた。

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