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小競り合いが続く中、確実にひとつの季節が終わろうとしていた。
陽射しが弱まり、曇天が何処までも覆い尽くす。
それが、颱南部の冬の特徴的な天候だ。
青々としていた草原も、今は枯れ果て、今までは全く見えなかった土の色が広がっている。
春になれば、また芽吹き、豊かな恵みがもたらされる。
そのことを知っているからこそ、この荒涼とした景色も耐えることができるのだ。
新年の大祭は、朔月の最初の白虎の日に行われる。
小競り合いの中、新年祭の主催者となってしまった犀蒼瑛将軍は、王太子府軍の中で最も忙しい人となっていた。
「いい加減、本当のことを教えたらどうだ! 嵐泰?」
「だから、正直に知らぬと答えているだろう」
式典の詳細なしきたりを尋ねようとする蒼瑛に対し、現在、王太子府軍に所属する王族唯一の成人男子である嵐泰は、あっさりとした口調で協力拒否を口にする。
それもそのはず、親友にはめられる形で式典参加を余儀なくされた嵐泰以下諸将軍達は、微妙に拗ねており、無意識に蒼瑛を困らせる態度を取っていたりするからだ。
「知らぬは聞けぬぞ! おぬし、実際に戦場で舞っていただろう。その時のことを思い出せばよいのだ」
「思い出すも何も、舞うのが精一杯で、何も覚えておらぬ。記憶にないことを話すことはできぬと正直に答えているだろうが」
声を荒げるどころか、表情すら滅多に変えない男達が、不機嫌そうにやり合う姿は珍しさを呼んで、かなり人目を引いている。
「舞うのが精一杯だと? よく言う。王族男子は、物心付いた時分から風舞の稽古をするそうだな」
「そうだ」
「すでに身体に染みついている舞を舞うのに、精一杯はないだろう」
長身痩躯の蒼瑛が、さらに長身の嵐泰を睨み上げて詰る。
「王の御子が大勢いる。俺に風舞が回ってくるはずがないと、殿下方がお生まれになってすぐに稽古を止めた。だから、俺の風舞は嗜み以下の技量だ。突然のことに慌てて、振りを間違えないように稽古を始めた俺が、それ以外のことに向ける神経など、ありはしないだろう」
本来ならば威張って言えないことを、すでに開き直ってしまった青年は、親友に向かって堂々と言い放つ。
「他の儀式や、式典の順番ぐらい、覚えているだろう?」
「言われるままに儀式を済ませ、その間ずっと振りを繰り返し諳んじてたんだ。それこそ、上の空で何も覚えていない」
「……使えないヤツ!」
不器用な親友の実体に、蒼瑛は文句を言う。
それをじろりと睨んだだけで、嵐泰は言葉を惜しむかのように何も反論しない。
実際、不言実行派の青年は、言葉を無為に操ることを良しとせず、態度で示す傾向にある。
「青牙殿は、全くと言っていいほどご存知なかったし、麟霞殿も晴璃殿も珀露殿も、帯刀の儀まで母君から参加を許されなかったからと仰られていたし……熾闇殿はあの性格ゆえ、ご存知ないだろうなぁ」
ぶつぶつとボヤく蒼瑛に、嵐泰は何とも言えぬ複雑そうな表情になった。
正確に状況把握する能力に長けている蒼瑛だが、見落としている点があることに本人も気付いていないようだ。
堅苦しいことが嫌いな熾闇だが、典礼儀式一般は、彼のお目付役である翡翠がしっかりと叩き込んでいるため、完璧に覚えているはずだ。
つまり、熾闇と翡翠のふたりは、完璧な式典を執り行うことができるのだ。
事実を知っているが、聞かれていないために答える必要はないと、嵐泰は判断し、沈黙を守る。
「もう、用はないな? 神楽の音合わせに行くぞ」
それだけ告げた嵐泰は、本陣の天幕へ向かって歩き出した。
一方、副将の天幕でも、可愛らしい騒ぎが起こっていた。
「……あり合わせでよいと申したのに、この見事な揃い……一体、これは何なのでしょうか」
風舞の女舞を舞うために、衣装を揃えるようにと侍女に頼んでいた翡翠は、すぐに揃った衣装一式に、表情を強張らせた。
「右大臣家の末姫様が舞われる御衣装が、あり合わせなど、私達の矜持が許しませんゆえ」
にっこりと、豪華な衣装を取り揃えた軍装の侍女達が、得意満面な笑顔で答える。
「初めから、用意しておいたのですね」
「はい! 犀将軍が、年を越す戦になるだろうと仰っておられましたから」
「図りましたね、蒼瑛殿」
ある程度、予想していたとはいえ、現実を突き付けられると腹も立ってくる。
眉間に深く皺を刻み込んだ娘は、すぐに表情を改め、衣装を見聞する。
すべて、淙の極上の絹糸で織られた綾錦の衣装である。しかも、肩巾も最高級の繻子を用意しているあたり、彼女達の並々ならぬ意欲を感じ取れる。
髪簪も、白金と純銀に鼈甲と、翡翠の黒髪に最も映える地金を用意し、そこに翡翠、真珠、血赤珊瑚と、贅を凝らした装いに仕立て上げている。
「ふふっ……犀将軍には感謝しても足りないくらいですわ。姫様の風舞を拝見できるなんて……仙女もかくやと噂に上るようにそれは美しく仕上げて差し上げますわ」
「夢のように幻想的で美しい舞姫を手掛けることができるなんて、ほんに幸せでございますわ。白粉も紅も、燁国産の上質なものを取り寄せておりましてよ。あちらの紅が、一番、姫様の口許を飾るに相応しいお色ですものね」
実に幸せそうに語る侍女達に、翡翠はがっくりと肩を落とす。
戦場ではそれこそ頼もしい女性達だが、こと、翡翠を飾り立てることに関しては、彼女と意見を異にし、非常に傍迷惑なまでの情熱を燃やし続けてくれるのだ。
「衣装合わせなどは致しませんからね。よろしいですね!」
「大丈夫ですわ、姫様。寸法もお色も、姫様に合わせて作らせておりますゆえ」
準備万端、後は当日を待つだけですわと、得意気に語る彼女達に、翡翠は負けたと思った。