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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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84

 颱より南、燁より西の位置に彩はある。

 気候も安定しており、農産物も一定量の収穫が常に見込まれる恵み溢れる地だ。

 しかしながら、彩は、己の幸運のみをよしとせず、より多くのものを望もうとする。

 それが颱の領土と交易路である。

 安定した国力を持つ彩ならば、新しい交易路を作ることなど不可能ではない。

 交易路を整備し、安定させるまで、多少の時間はかかるが、国が安定しているならば商隊は必ずその交易路を使うようになる。

 だがしかし、彩の国王は、新たに交易路を整備することよりも、現存する交易路を奪い取り、尚かつ己の領土を増やすことに代々執着してきたのだ。


 王都よりわずか数日で国境間近まで迫った王太子府軍は、突如、進軍速度を落とした。

 ここから先は、幾度となく繰り返された茶番である。

 国境に現れた彩軍に対し、国境侵犯の警告を出し、それが無視された後、初めて王太子府軍が現れるという段取りである。

 警告を出す国境警備隊は、死の脅威に晒される危険な役所を演じなければならない。

 だが、彼等が警告を出さなければ、颱国軍は出動できないという建前がある限り、警備隊の役目が重要となってくるのだ。


 入念な打ち合わせを何度も行い、布陣を確かめた武将達は、己の持ち場に戻りながら、逸る気を抑えるのに一苦労である。

 長期戦になるとわかっていても、先陣を切り、草原を駆け抜けたいという欲求に駆られてしまうのだ。

 これからがある意味正念場だと、己に言い聞かせ、彼等は部下に細かい指示を出す。

 末端にまで指示が行き届き、いつでも戦場に赴けると彼等が判断した頃、国境警備隊から領域侵犯の知らせが届いた。




 彩が国境に侵入してから早二ヶ月が過ぎた。


 両軍は小競り合いのみを繰り返し、本格的な戦闘へとはなかなか発展しないというのが現状である。

 完全に膠着状態の様相を見せているが、颱軍には焦りの表情ひとつ見えない。

 季節は実りの秋から冬へと向かっているが、颱の南に位置するこの国境では、風が冷たさを運んでいるものの、それ以外は暖かな気候であるため、馬が動くことに全く支障はない。

 だが反対に、国土の北方へと兵を派遣している彩国にとって、この爽やかな風も寒風としか感じられない。

 春から夏に向けて兵を動かすのなら、彩にも勝機があっただろうが、その時期に王太子府軍の国境見回りと重なったため、敢えて兵を動かさずにいた彼等は、時期を逸し、苦手な季節での開戦となった。

 この間、北方、西方の守りが手薄になるかと言えば、そうではない。

 現在、緑波軍が北方から西方にかけての国境見回りに出動している。

 攻守共に多種多彩な戦法奇策を用いる王太子府軍や、兵法に基づいた用兵を行う黒獅子軍のように派手な戦果こそ上げないが、緑波軍は弓兵や槍兵を多く揃えた奥行きのある遠距離戦法を得意としているため、思うように攻めることができぬと各国軍が尤も苦手としている一軍を派遣し、他国を牽制しているのだ。

 色を冠する主力軍隊の他にも名に負う王太子府軍、女子軍、禁軍近衛隊など、颱の戦力──軍事力にはかなりの余裕があることを周囲に知らしめることは、時に無意味な戦の数を減らすことに有効となる。

 内情がどうであれ、見栄やはったりが効くことが大国の優位だろうと、歴代の颱国軍師達が呟いていたことは、極秘事項である。

 他方面からの侵入を防ぐことにより、王太子府軍が彩国軍との戦に専念できることは明白な事実であった。


「長閑ですなぁ」

 向き合う大軍を眺め、のんびりとした感想を漏らしたのは、颱軍きっての美丈夫、犀蒼瑛であった。

 緊張感の欠片もないゆったりとくつろいだ雰囲気を漂わせ、草の波の遙か向こうを目を細めて見つめている。

「……そう、ですね」

 実に微妙な表情で応じたのは、第五王子青牙である。

 兄には及ばないものの、他の王子の中では充分に経験を積んだ彼であるが、さすがにここまで余裕がある態度を取ることはできないようだ。

「何か、お気に掛かることがおありのようですな。青牙殿?」

 長身の堂々たる体躯の偉丈夫、嵐泰が細やかな心配りで王子に問いかける。

「ん……バレてしまいましたか。実は弟たちのことで」

 先輩達の目は誤魔化せないと、苦笑を浮かべた青牙は、黙って風に髪を揺らしている翡翠に視線を向けた。

「此度の人事のことで、翡翠殿にお伺いしたい。弟たちは、何故、各将預け置きの身のままなのですか? 私の時は、一度目の戦で預け置きの身ではなく小隊長、その数ヶ月後の二度目の戦で中隊長を任じられていました。私の昇進が早すぎることは承知しておりますが、弟たちは、おそらく私と同じだけの昇進速度を期待していたのではないかと」

 疑問は疑問として晴らしておくべきかと、素直に問いかけた青牙の言葉に、翡翠は柔らかく微笑む。

「青牙殿と、彼等とでは、状況が、そして心が違います」

 女性としてはやや低めの、落ち着いた優しい声が諭すように響く。

「初陣の時点で、青牙殿は人の命の重さをご存知でございました。そして、それに押し潰されないだけの地位が必要でございました。七から九の君様達には、それがございません。未だ、夢物語の中にいらっしゃいます。血の赤さ、人の命を負うことの重みを知り、それでもなお足掻く者こそ、さらに多くの命を負うために上に登らなくてはならないのでしょう」

「命の重み……二の兄上を恣い奉った私は、兄上の命の分だけ生きねばならないということか。そして、それに見合う重さを背負い続けねばならないと」

「そうではございません。あの時、すでに二の君様の命運は尽きておられました。それを選ばれたのは、二の君様ご本人です。その命を摘むのは、青牙様ではなく、熾闇様でございました。呪詛を受けられた莱軌様は、その呪縛からわたくしや熾闇様を護り、ご自分の運命の背くために、死を選ばれたのです。咎があるとすれば、それを知っていて止めなかったわたくしに。青牙様ではございません。ですが、あの時、彼の君の命運の重みの為に青牙様がご自分の宿命を歪められようとなさっておいででした。それを正すためとはいえ、無茶をさせたのは事実でございます」

 謝罪の言葉を口にせず、ただ事実だけを淡々と述べる翡翠の潔い強さに青牙は笑みを浮かべる。

 すべての責を負う覚悟が常にある翡翠には、相手に詫びを告げ、己の罪の意識を軽くしようというつもりは一切ないのだ。

 亡き兄に詫び続ける自分との違いを知った青牙は、苦笑するしかない。

 同じ年だというのに、決して敵わないと思い知らされることは、追いつきたいと思うだけに堪えるものがある。

「参ったな。どうやら、私は一生そのことに囚われ続けてしまうらしい。忘れるつもりは毛頭ありませんが、これでは王になるのは到底無理です。三の兄上に、是非とも王になって頂かねば」

 くつくつと笑った青牙は、晴れ晴れとした表情を翡翠に向ける。

「王に相応しいのは、三の兄上だと思いませんか? 翡翠殿」

「……いいえ。王位は民意にございます。三の君様は、王位を望まれません。あの方は、風であることを望まれる方です。玉座は、他の皆様に」

「あなたがそんなことを仰るとは思わなかった」

 意外そうな表情で、青牙は首を傾げる。

「次の王が兄上であると同じに、その隣に立つのはあなただと、皆、信じているのですが」

「わたくしは、三の君様の臣下です。隣に立つことはできませぬ。それは、他の姫君がなさること。勘違いなさっては困ります。わたくしは、殿下の盾であり、剣である者。それだけの者です」

 あっさりと第五王子の言葉を斬り捨てた娘は、微笑みを浮かべ、その話題をお終いにしてしまう。

 戸惑いを隠せない青牙を宥めるように、その肩に軽く手を触れた蒼瑛が、さらに話題を変えてしまう。

「ところで、軍師殿。この戦況、このままだと新年を迎えてしまいますね」

「えぇ、そのようですね」

「新年の大祭には、王都に戻りたかったのですが……この分では無理ですね」

 実に残念そうに告げる蒼瑛に、翡翠は訝しげな視線を送る。

 形ばかりは表情を整えているが、その実、彼が次に何を言い出すのかを恐れていたりする。

「おそらくは、そうでしょうね」

「……新年ゆえ、一時停戦を申し入れるというのも、妙な話でしょうからねぇ……とは言っても、王族が揃って、新年の大祭をしないというのも古来のしきたりに反しますしねぇ」

「………………」

 慎ましく沈黙を守ろうとする翡翠に悪意はない。

「あ。いや、遠征先で仮の新年祭を行ったことがあったな、そう言えば……随分昔の話で、まだ、王太子府軍に従軍する前のことだが」

 ふと、思い出したように、嵐泰がぽつりと呟き、次の瞬間、珍しく表情を強張らせる。

 親友にはめられたと、悟ったようである。

「あぁ、あれか! 嵐泰、おまえが風舞の男舞を踊らされたというヤツだな?」

「嵐泰殿が男舞を? 残念……見とうございました」

 楽しげに告げる蒼瑛の言葉に、思わず翡翠も反応してしまう。

「あ、いえ! お目汚しにもならぬ拙い舞で……戦勝を祈願するための、本当にささやかなものでございました」

 慌てて応える嵐泰とは対照的に、その親友は見事な笑顔で翡翠を見つめている。

「……わかりました。殿下方がいらっしゃるのに、白虎様を讃える風舞を新年に行わないと言うのは、確かにおかしな話でしょうね。上将に申し上げ、仮の新年祭を行うように致しましょう。麟霞様、晴璃様、珀露様のどなたかに男舞をお願いすれば、形は整いましょう」

「せっかくですから、女舞もお願いいたします」

 にっこりと、極上の笑みを浮かべて蒼瑛が告げる。

「戦場ですから、姫君はおりませんよ?」

「おや、いらっしゃるではありませんか。とびきり御利益のありそうな御方が、ここに」

 にこやかな雰囲気を保ちつつ、周囲の気温が急激に落ちていくような錯覚をその場にいた青牙と嵐泰は味わう。

「蒼瑛殿、わたくしは……」

「よろしいではありませんか。ここは戦場です。王都ではございません。拝見する者は、兵のみ。勲を讃え、戦勝を祈願する舞のみと限定されるあなたの誓いに触れるものではないでしょう? 確かに女舞ではありますが、戦場で神の加護を祈る舞であれば構わないのでは?」

「……最初から、それが狙いのお言葉だったのですね?」

「おや。それは偏ったものの見方だとお答えしますよ。それでも抵抗なさるなら、貸しを返していただくことになりますね」

 にやりと意地の悪い笑い方をする青年に、翡翠は肩に掛かった黒髪を払い、軽く睨み付ける。

「衣装など、全く用意しておりませんよ? あり合わせでよろしいのですね」

「勿論ですとも。舞の神髄は、心と申すではありませんか。衣装などではありませんからね」

「……承知しました。上将に申し上げて参ります」

「わざと負けていただいて、申し訳ありません。軍師殿」

 人の悪い笑みを消さず、しゃあしゃあと言ってのける青年に、苦笑を浮かべた翡翠が、ついっと顔を背け踵を返す。

 どうにでも蒼瑛の言葉を封じれるはずの娘が、わざと言い含められた振りをして舞うことを承知したことに意外だと思いつつも、嵐泰は敬意を持って彼女を見送る。

「思いつきであの様な無体を申し上げるのは、控えた方がよいと思うぞ、蒼瑛。舞は衣装もその一部なのだろう? 舞手としては未練だと思うが」

「なんの。こんなこともあろうかと、軍師殿付きの侍女殿の前で、新年の大祭を戦場ですることになると話しておいたさ。紅葉殿や楓殿は喜んで衣装の用意をしていたぞ」

 窘めるつもりで発した言葉が、とんでもない事実を引き出したことに、偉丈夫はしばし絶句する。

「知れたら、お怒りになられるだろうな……」

「至上の眼福のためなら、姫君の一時の怒りなど恐るるに足らぬさ」

「……酔狂者め」

 平然と答える友の計画的犯行に、嵐泰は天を仰ぐ。

「なんの。おぬしのために琵琶を用意してきたぞ。親切だろう、俺は?」

「なっ!?」

 何処までも用意周到な蒼瑛に一杯食わされたことを知り、嵐泰は驚愕の眼差しを彼に向ける。

「愛しい姫君に捧げる楽だ。喜んで奏でるだろう?」

「図ったな!」

「麗しの軍師殿だけが割に合わぬ思いをしては不公平だろう? 何事も、犠牲は平等に、だ」

 愉快そうに笑った青年は、王族の若者に笑いかける。

「一度しかない人生です。どうせなら、心ゆくまで愉しむべきでしょう?」

「……あ、あぁ。そう、考えるべきなのでしょう」

 何と答えていいものか、返事に困った青牙は、反射的に頷きながらそう応じる。

「成明に笛を頼むとして、利南黄殿にも箏をお願いしないと。ふむ。あと必要なのは……」

 犠牲者が専ら将軍職に就く者達だと言うことは、部下に迷惑をかけないよい上司と考えるべきなのか、それとも同僚を巻き込む傍迷惑な性格だと考えるべきなのか、ひたすら戸惑う青牙であった。

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