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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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 本陣の天幕の近くまで戻った蒼瑛は、笙家の若者の姿を見つけ、片手を挙げた。

「犀将軍」

「嫌な呼び方をするね、成明殿」

 華やかな文官服を身に纏う青年は、器用に片眉を跳ね上げ、笑いながら答える。

「失礼いたしました、蒼瑛殿。おや、花冠ですか? 雅やかですね。素朴な花なのにこれほどの華やぎを与えるとは……花束を作られた女性は品の良い感性豊かな方ですね。あなたに良くお似合いだ」

 目敏く冠に飾られた花束を見つけ、成明はそう評する。

「おぬしの洞察力と審美眼も大したものだ。軍師殿に戴いたのだよ」

 得意げな表情を作り、そう告げた蒼瑛に、成明は目を瞠る。

「…………あの方、でしたか」

 しばらく絶句した後、溜息を吐くようにそっと呟いた。

「どうしたのかな?」

「正直に申し上げましょう。蒼瑛殿が羨ましい」

 そっぽを向いてぼそりと告げた若者に、蒼瑛は盛大に吹き出した。

「羨ましいではなくて、妬ましいだろう? 顔に書いてある。本当に正直者だな」

「某には、花は似合いませんから」

 すっきりしたいでたちの若者に、年上の青年は微妙な表情になる。

 似合わないと思い込んでいるようだが、しなやかな体躯と甘く爽やかな顔立ちの成明に、花が似合わないと言う女性はいないだろう。

 少なくとも、嵐泰よりは遙かに似合うと、密かに思った蒼瑛だが、慎ましく沈黙を守る。

「あぁ、そういえば。おぬし、どこへ行くつもりだ?」

「上将に、お時間を頂きましたので、久々に笛の練習でもしようかと」

 手にしていた笛袋を見せた成明が、笑顔で答える。

 何か手にしていることは気付いていたが、乗馬鞭だと思っていた蒼瑛は、意外そうな表情を浮かべた後、素直に納得する。

「そういえば、笛の名手であったな。ふむ。おぬしに良い場所を教えてやろう。ここから風を背にし、一町ほど歩いた場所に、音の響きが良くなり、稽古が熱心にできる摩訶不思議な場所がある。騙されたと思って行け」

「って、騙してるでしょう? 胡散臭いですよ」

「その場所を見つけたら、おぬし、泣いて喜ぶぞ。行ってこい」

 とんっと、成明の背中を小突いた蒼瑛は、東を指し示す。

 戸惑ったような表情を浮かべた成明は、仕方なさそうに肩をすくめ、苦笑する。

「わかりました。お言葉に従いましょう」

 ひらひらと無責任に手を振る青年にそう告げると、笙家の若者は笛を片手に歩き出した。


 草原を歩くことしばし。

 甘い花の香が仄かに漂う場所に辿り着いた成明は、足を止め、茫然と立ち尽くした。

「やはり、騙されたと言うことでしょうね……」

 がっくりと肩を落とした彼の視線の先には、黒髪の乙女の姿がある。

「成明殿」

 花を摘んでいた娘は、気配に気付くと顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべる。

 その優しげな笑顔に若き武将はドキリとする。

 万人に向けられる笑みだとはわかっていても、その中にかすかな期待を抱いてしまうのだ。

 ほんの少しでも、特別に想われていたいという切ない希望が奥底から滲んでくる。

「ごきげんよう、翡翠殿。こちらにおいでとは存じ上げませんでした」

「ごきげんよう。どうなさいました?」

 女性にしてはやや低めの、柔らかく響く声に問いかけられ、成明は眩しげに目を細める。

「蒼瑛殿にしてやられました。天幕の近くでお会いしたのですが、そこより風を背にして一町ほど先に、音の響きが良くなり、稽古が熱心にできる摩訶不思議な場所があるので行ってこいと勧められまして……」

「で、その場所は?」

「どうやら、ここのようなのですが……やはり、騙されたのでしょう」

「それは……」

 蒼瑛の悪戯に巻き込まれた青年を気の毒そうに見上げていた翡翠は、彼の言葉に何かあったのか、くすくすと笑い出した。

「蒼瑛殿らしい……成明殿、その話、まことでございましょう。どうぞ、稽古なさいませ」

「は? え? しかし……」

 あらゆる学芸に通じている翡翠を前に稽古など、教えを請う師の前で成果を見せる心地と同じだと、成明は緊張した表情で首を横に振る。

「蒼瑛殿は、わたくしに、成明殿の笛の音を贈って下さったのでしょう」

「……あ」

 笑いを堪える仕種を見せながら告げる翡翠に、成明はようやく気付く。

 花冠の礼に、蒼瑛は翡翠の好きな楽を贈ろうと成明を送り出したのだ。

 翡翠を前にして無様な音色は出せない。

 当然の事ながら、音の響きは良くなるだろうし、熱心に演奏せざるを得なくなる。

 確かに嘘は言われていない。

 だが、騙されたと思う気がするのは、なにゆえだろうか。

「聴かせて下さいませ」

「……そ、それでは」

 嬉しそうに願い請われると、彼も断れなくなってしまう。

 むしろ、望まれたことが嬉しくてしかたないのだ。

 今はまだ、口に出せない想いだが、何時か告げることができる日を願って、彼は錦袋から笛を取り出す。

 澄んだ音色が草原に響く。

 穏やかな表情を浮かべた若者達は、そっと目を伏せ、優しい音色に耳を傾けた。

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