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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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 国境見回りの任に王太子府軍が就き、すでに二ヶ月が過ぎた。

 例年であれば、そろそろ王都に戻る頃であるが、今回はまだ南東方面を重点的に見回っている。

 そのことに不審を抱く国も出ているであろう事は、彼等も承知している。

 だが、彼等はある事情により、のんびりと草原に駐留していた。


 領土の南側に位置する草原は、颱国内で最も薬草になる草花が豊富な場所である。

 見回りついでに、そういった薬草を摘み取り、王都へ運ぶのも彼等の仕事のひとつである。

 従軍している薬師や、薬草の知識がある者達が、草原で薬草摘みをしていた。

 風の国である颱は、摘み取った薬草を数日天日干しにすれば簡単に乾燥する。

 必要な分を摘んでは乾燥させ、種類に分けて束ねたり、粉に挽いたりと、実に長閑な光景が営まれている。

 薬草摘みの任に就いていない者は、久々の休日と言ったところで、思い思いに過ごしているようだ。

 この日、翡翠も薬草摘みを手伝っていた。

 本来であれば、乾燥させた薬草を取り分ける任を仕切るはずの翡翠が、わざわざ薬草摘みに参加したのはある人との約束のためであった。

 薬草だけではなく、野に咲く可憐な草花、珍しい花を摘んでは懐紙に挟み、仕切り板の中へ綴じていく。

 柔らかな笑みを浮かべ、懐紙に一言、二言、筆を走らせ、花を挟んではまた花を探していく。

 年頃の娘らしいたおやかな仕種に、近くで目にした者は思わず見惚れてしまっている。

「北の御仁へのお土産ですか? この様に麗しい光景を目にする眼福を嬉しいと思いつつも、北の御仁が憎らしいですな」

「蒼瑛殿」

 からかうような言葉に、顔を上げた翡翠は、洒落っけある美丈夫の姿に首を傾げる。

「何故、こちらに? 本陣で囲碁をなさっておいでではなかったのですか」

「なに。仏頂面ばかり揃ってあまりにも見苦しいので、気分転換に散歩をしていたまでですよ。花摘乙女の麗しい姿に心が洗われました。偶には散歩もよいものだと実感したところです」

 仏頂面が誰を差しているのか悟った娘は苦笑しかけ、そうしてその後に続いた言葉の意味を計りかねて彼を仰ぎ見た。

「花摘乙女、ですか? 薬草摘みに女性がおられましたか? わたくしは気付きませんでしたが」

「おや? 私の目の前に居られる御方は、女性ではないのでしょうか」

 にっこりと微笑んだ蒼瑛は、珍しく直球で言葉を返す。

「……わたくし、ですか?」

「はい。花というものは女性に捧げられるものだと思っておりましたが、これもまた風情があってよろしい」

 笑顔のまま、翡翠の傍に片膝をついた青年は、娘の顔を覗き込む。

「……風情……」

 理解に苦しむと言いたげな表情で、翡翠は蒼瑛を見つめる。

 その秀麗な美貌に相応しい柔らかな表情を浮かべた蒼瑛は、空を見上げる。

「良い天気ですな」

「えぇ、まことに」

「この分では、北も良い天気なのでしょう」

 世間話でもするように、青年はのんびりと言葉を紡ぐ。

「さて。いくらわたくしでも、遙か遠くの空模様まではわかりかねます」

 可憐な野花を摘んだ翡翠は、指先でくるくると茎を弄ぶ。

 そうして、何か思いついたように、同じ花を幾つか摘むと、小さな小さな花束を作り出す。

「わざと惚けておいでのようだが、私が何を言いたいのか、おわかりでしょう? なぜ、北を潰さなかったのです?」

 穏やかな声音で告げられた内容は、かなり不穏なものだった。

「甘いと仰る?」

「いいえ」

「若さ故の感傷だと?」

「いいえ」

 対する翡翠も穏やかな表情で、ゆったりとした様子で花束を作っている。

「あなたは、軍師であり、将軍であると同時に、政治家でもある。無骨者にはわからぬ政治的判断とやらを下されたのだと推察するばかりです」

「……仰いますこと。本当の無骨者でしたら、その様なことを気にも止めませぬよ」

「買いかぶりですな。ですが、私は疑問をそのままにはしておけない性質なので、無礼を承知で申し上げます。以前のあなたでしたら、こんな遠回しな方法を用いずに、直接北の狸を誘き寄せていたでしょう。その方法なら、巍の荒廃をここまで招かず、そうして秦の混乱も早期に終結していたはず。何故、躊躇いになられた?」

 表情ひとつ変えず、和やかな空気を保ちながら、問いかける蒼瑛に、翡翠は視線を落とした。

 珊瑚色の唇から、溜息がひとつ零れる。

「今は亡きある御方から、こう言われました。わたくしが『颱』だと。その時は、その言葉の意味に気付きませんでした。幼さ故と言えば、逃げになりましょう。ですが、その言葉の真の意味に気付き、わたくしは情けなくも臆しました。わたくしが望めば、争いが起こり、戦になる。望まずとも起こる戦にどう対応すべきか……水際で防ぐ以外、臆したわたくしには為す術がなかった。結果、流さなくてもよい血を流し、双方ともに被害を大きく出してしまいました。この身が『颱』だと言うのなら、わたくしは、他国へ嫁ぐことはできず、そうして無様に死すこともできず……何故、この身が大きなものを背負うのかと、この小さき我が身を思い知らされました」

 ぽつりと告げた重き言葉に、蒼瑛は沈黙を保ったまま、すべてを受け入れる。

「我が君にも、嵐泰殿にも申し上げられなかったことですのに、どうして蒼瑛殿にはお話ししてしまったのでしょう。この様に無様な話、お耳汚しでございましょうに。どうか、忘れて下さいませ」

「いえ。その様な星巡りなのでしょう。納得がいきました。その悩み、無理のないことだと思いますよ。しかも、あなたのことだ。律儀にその様なことを話した方を恨まず、真っ向から受け止めて何とかしようと思ったのでしょう? 癇癪のひとつでも起こしていれば、まだすっきりするでしょうに。今のあなたは、少しばかり早く生まれた者の言葉を聞いてみようという余裕はおありですか?」

「はい。ひとりで足掻く気力も萎えました。これ以上、他の皆様にご迷惑をおかけしないためにも、ご助言はありがたく頂戴いたします」

 力無い笑みを浮かべる翡翠を、一瞬、痛ましげに見やった蒼瑛は、すぐにいつもの飄々とした表情を作る。

「どなたが仰ったのかは存じませんが、その言葉、忘れてしまいなさい。もし、天命が来て、あなたが泰山へと旅立たれたとき、颱は滅んでしまうのでしょうか? 白虎殿が、それを許されるでしょうか。その言葉の意味は、おそらく正しいのでしょう。ですが、一歩間違えれば、それは傲りとなりましょう。あなたは、あなたでしかない。ご自分の幸せを一番に考えることが大事なのですよ。嵐泰や成明が申しておりましたよ。あなたは、ご自分のことを全く省みないと。彼等を安心させてあげてはいかがでしょう?」

「蒼瑛殿。実はそれが一番難しいのです」

「それなら、いっそのこと、浮き名でも流しますか。人は華やかな噂を好みますから」

 素直に納得しながらも、困ったように告げる翡翠に、美貌の青年は軽く答える。

「あなたに焦がれる者は、本当に多いのですよ」

「甚だ疑問を感じますが、考慮しておきましょう」

 苦笑を浮かべた翡翠は、出来上がった小さな花束を蒼瑛の冠にそっと差し込む。

 可憐な花束が、意外にも彼の玲瓏たる美貌を引き立たせた。

「やはり。よくお似合いですこと」

 満足したように、翡翠が微笑む。

「姿見がないのが残念です」

 軽く肩をすくめ、笑顔で応じた蒼瑛は、懐から色鮮やかな綾紐を二組取り出した。

「実は、これをあなたに差し上げようと思って」

 ひとめで極上の品物であるとわかる綾紐を翡翠の掌に乗せる。

「西の御方から、綜家の末姫へと。是非、我が庭を眺めていただきたいと言付かってまいりましたよ」

「西の御令室から? 何と見事な……これほどのものをお創りになられるのは大変でございましょうに……わたくしにくださるのですか」

「えぇ。綺麗なお嬢さんを飾りたがるのは、あの方の病気……いえ、趣味のようなものですから。申し訳ないが、お暇なときだけ付き合って下さいませんか? 育てられた身としては、恐ろしくて制止できないのですよ」

 おどけて告げる青年に、翡翠は軽やかな笑い声を響かせる。

「ありがたく頂きますと、お伝え願えますか? わたくしが、礼を申しておりましたと」

「わかりました。では、私はこれで」

 目を細め、明るい翡翠の表情を見やった青年は、すっと立ち上がると一礼し、そのまま優雅な足取りでその場を立ち去った。

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