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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
79/201

79

 蒼い空の下、弧を描き、炎が空を切り裂く。

 タタタタタンッと、小気味良い音を立て、矢が大弩の木造土台に突き刺さった。

 火が消えぬようにと油を染み込ませ、巻き付けられた布から土台へと炎が燃え移る。

「敵襲だぁ~っ!」

「……どこから!?」

「火を消せっ!!」

「後ろからだ! まさか、そんなっ」

 有り得ない場所からの攻撃に、柢軍は浮き足立つ。

「あれだけの本隊の兵力の他に、まだいるのか……」

「一体、颱の兵力はどれだけあるのか!」

 混乱、不安、猜疑、恐怖といった負の感情が柢を包み込む。

「早く火を消せ! 我々には大弩がある! あれさえ組み立てられれば、颱の騎兵など恐るるたらぬわ」

 あくまでも大弩の威力に頼る将兵は、部下達を叱りつけ、勝機を見出そうと鼓舞する。

「大弩は、動かぬ相手でないとその威力は発揮できぬではないか! 城や砦とは違い、あんな小さな動く標的を一体どうやって射抜くというのだ?」

 弩を操る兵士のひとりが、拳を握り締め、そう叫ぶ。

 その言葉に、懸命に火を消そうとしていた歩兵達は身を竦ませた。

「一体、どこを狙って撃つのだ? 前か、後ろか? 本当に、他の方角には敵がいないのか!」

 疑心暗鬼に駆られた歩兵達は顔を見合わせる。

「後ろから来るってことは、退路を断たれたってことだよな? 俺達、どこへ逃げればいいんだ?」

 気付きたくないことを気付かされた彼等は、混乱の中、出口のない思考の迷路に落とされる。

 敵が目前に迫る中、身動きひとつできない兵達は茫然と立ち尽くしていた。



 予定通りに状況が変化していく様を馬上から見て取った分大将の嵐泰は、口許を僅かに綻ばせた。

 柢軍は下級兵から恐慌状態に陥って、それが徐々に広がっている。

 右手に剣を、左手に手綱を握った青年は、その手綱を離し、手を上げる。

 丁度良い頃合いだと、合図したその手の動きと共に、東西からさらに騎馬隊が現れる。

「戦意喪失した者は、討たなくて良い。念のため、武器を取り上げよ。逃げる者は追うな! 無駄な血を流さぬように」

 すでに戦いの勝敗は決している。

 僅かでも命は惜しむべきものだと、そう告げた嵐泰は、周囲に気を配る。

 例えすでに勝ったとしても、油断を許すわけにはいかないと、気を引き締める。

 本陣へ戻り、総大将に報告をするまで、彼の戦いは終わってはいないのだから。

 向かってくる敵を打ち据え、嵐泰は指揮官としての仕事を見事にこなした。


 敗走する柢軍の中で将たる者だけを追わせた左翼軍は、本陣へと引き上げる。

 翡翠に寄り添うように随っていた珀露は、すでに分隊将である嵐泰が帰隊していることに驚いた。

 この分では本当に主だった将達を捕らえたのだろう。

「軍師殿」

 翡翠の姿に気付いた嵐泰は、彼女のところへ歩み寄ると、轡を取り、残る片手を翡翠に差し出す。

「お早いですね、嵐泰殿。分隊をお任せしてようございました」

 にこりと微笑んだ翡翠がその手に自分の手を重ねる。

 嵐泰の手から翡翠の近従が轡を取り上げると、青年は軽々と翡翠を抱き上げ、馬から降ろす。

「失礼を。ご無事で何よりでございます」

 柔らかく目を細め、そう告げる嵐泰に、翡翠がくすりと微笑う。

「相変わらず心配性ですこと。白華様のお気持ちがよくわかりましたわ」

「……妹が何か?」

「気配り上手な心優しい兄君に、心から感謝をしていると仰っておりました」

 はんなりと微笑む翡翠に、嵐泰が憮然とした表情を浮かべる。

「正直に仰ってもよろしいですよ、軍師殿。口喧しい兄にげんなりしていると」

「まぁ……」

 くすくすと笑い出した娘に、嵐泰もつられて唇の端を持ち上げる方に笑む。

 静かだが一幅の絵を思わせる情景に、思わず見とれてしまう。

「翡翠!」

 そこへ、総大将が駆け寄ってくる。

「これは、上将」

 すっと翡翠から離れた嵐泰が軽く頭を垂れる。

 同じく、胸の前に両手を組んだ翡翠が、主に向かって頭を下げた。

「我が君。只今帰参いたしました」

「あぁ、無事か?」

「はい」

「そうか」

 彼女の目の前で足を止めた熾闇は、軽く頷くと腕を伸ばし、彼女を自分の胸の中へと引き寄せる。

「よく戻った」

 ぎゅっと彼女を抱き締め、そう告げる若者は安堵に満ちた表情を浮かべている。

「嵐泰も怪我はないか?」

「はい。すべて、軍師殿のおかげにございます」

「そうか」

 嵐泰の腕をポンと叩いて問いかける熾闇に、青年は穏やかに答え、和やかな雰囲気が漂う。

「珀露もよく戻った。勉強になったか?」

「はい、兄上……いえ、上将」

 頷きかけた珀露は、自分の立場を思い出し、さり気なく訂正すると、頭を垂れる。

「まだ、すべてが終わったわけではないから、安心しろとは言えぬが、よく休むといい。連日緊張し通しで眠れなかったのではないか? 今日は疲れを取るために早めに床につけ」

「ありがとうございます」

 一礼して告げる珀露に頷いた熾闇は、翡翠と嵐泰に視線を向ける。

「向こうで今後の話をしよう。王都への報告もあるしな」

「御意」

 主の言葉に頷いたふたりは、側近に二言、三言、今後の対応を告げると、本陣の天幕へ向かって歩き出した。



 本陣の天幕へ戻ると、将の殆どが集まっていた。

「……おや。わたくしが一番最後でしたか」

 熾闇の後に姿を現した翡翠がおどけたように言う。

 その言葉に、将達はどっと笑う。

「報告をしようにも、上将がどこかへ雲隠れなさいましたし、本陣は大変でしたよ、翡翠殿」

「遊んでいろと言ったのは、蒼瑛だぞ! 俺がいると邪魔だから、散歩してただけだ」

 肩をすくめる蒼瑛に、熾闇が反論する。

 戦を終え、荒ぶる気を抑えるための掛け合い漫才に、彼等も茶々を入れ出す。

 今回の戦は小規模から中規模程度のものであり、兵も全騎を投入したものではないため、今、歩哨に立っている者達に疲れはない。

 しばらく遊ばせておいても平気だろうと、にこにこと笑みを浮かべながら翡翠は見守る。

 その間に近習達が茶器を用意し、お茶を煎れていく。

 良い薫りのする花茶が全員に振る舞われ、近習達が静かにその場から退出した後、ようやく娘が口を開いた。

「さて、皆様。王都には何と報告致しましょうや」

 気楽にふざけあっていた将達の表情がすっと引き締まる。

 上座にある床几へと歩き、それに腰を落ち着けた第三王子熾闇は真っ直ぐに前を見据える。

「……聞かせて貰おうか」

 各部隊でどのようなことがあったのか、詳細を報告するように促す主将の言葉に、武将達は順番に私見を交えず報告を始めた──

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