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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
74/201

74

 王都を少し離れれば、そこは見渡す限りの草原となる。

 風の民、騎馬の民と言われる颱の国民は、己の身ひとつ、友たる馬さえいれば、どこでも生きていけると笑って言う。

 城を構え、街を造っても、心は草原にあるのだと、風に吹かれるたびに思うのだ。


 白虎神へ捧げる奉納舞は、技藝天もかくやと思わせる見事な舞であったと、噂話が駆け巡る。

 簡素な舞台のその上で、名だたる将軍三名による剣舞は、息を忘れるほどのものであったらしい。

 王と、守護神獣の言葉を背に、王太子府軍は一路、南へ下る。

 恒例の国境見回りと称しての訓練であると、どの国も思っているようだが、それは真実からは程遠いものである。

 それでも、表面上は穏やかに、王太子府軍──騎馬大隊は、南を目指していた。


 草原を駆け抜ける騎馬隊のあちらこちらに、白い鎧の少年達の姿がある。

 颱では白は貴色である。

 身に纏うことができる者は、ごく限られた者達のみ。

 鎧ともなれば、王族直系のみである。

 全身白の鎧を許されるのは、総大将の熾闇だけだが、武将のひとりとして名を連ねている青牙も白の鎧に青の組紐と外套を使っている。

 今回、初陣を切る王子が三名。

 第七王子麟霞、第八王子晴璃、第九王子珀露である。

 熾闇と同じ年の第六王子聯明は、大学者となるため大学寮で天文学について学んでいる。

 熾闇の一つ下の弟たちは全部で五人いる。

 三人が武官になることを選び、二人は文官としての道を選び取った。

 それより下の弟たちは、まだ帯刀を迎えていないため、未だ母親と共に後宮で暮らしている。

 麟霞王子は利南黄将軍が、晴璃王子は莱公丙将軍が、珀露王子は碧軍師が預かりとなり、今回の遠征中、彼等の後見人役を務めることになっていた。


「翡翠様」

 翡翠の傍に馬を並べた珀露は、明るい眼差しで美貌の従姉妹を見つめる。

「九の君様、何事でございましょうや?」

「珀露、と。僕は、あなたの部下ですから。三の兄上ほど白の鎧が似合う御方はいらっしゃいませんね。いくさ神の申し子と言われるのも無理もありません。七の兄上は三の兄上に面差しが似ていらっしゃいますが、やはり見比べるまでもありませんね。風格が全然違います」

「まぁ……珀露殿は仰いますこと。麟霞殿に失礼ですよ」

 くつりと笑いを噛み殺した翡翠は、部下となった少年を形ばかり窘めると、真っ直ぐに前を見据える。

「珀露殿の目にも、熾闇様と麟霞殿が似ていらっしゃるように映るのですね」

「──と、仰ると? 翡翠様には三と七の兄上が全然似ていないように思えるのですか」

「生まれてよりお仕えしている我が君と、七の君様はまったくの別人でございますゆえ。母君様は従姉妹同士であられるので、他の君様よりは確かに面差しが似通っているかもしれないとは思うこともございますが」

 珀露に視線を転じ、肩をすくめた翡翠は答える。

 この第九王子と熾闇が似た処を探すのは難しいだろう。

 淡い金の髪と空色の瞳を持つ少年は、その色彩や仕種から柔らかな印象を受け、質実剛健で硬質な熾闇とは実に対照的な王子だ。

 だが、その柔らかな印象を覆すほど鋭敏で豪快な槍捌きを見せる。

 広範囲な視野と先を見通す明晰な頭脳を持つため、参謀としての経験を積ませようと翡翠が彼を預かったのだ。

「従姉妹君は、優しげに見えて手厳しい御方ですね。三の兄上を主と呼びながら、同じ立場にある僕らを従兄弟としてしか見ては下さらない。三の兄上以外の王子は、主に値しないと仰っているも同然だ。僕らはあなたに近付きたくて一生懸命だというのに」

 苦い笑みを浮かべた珀露は、冗談めいた仕種で本音を漏らす。

 しかしそれは翡翠の耳には届かなかった。

 風が珀露の言葉を消し去ってしまう。

「風が……今、何と仰ったのですか? 珀露殿」

「いいえ。何も。さて、そろそろ初日の野営地へ到着ですか? 綜翡翠将軍?」

 聞き逃した言葉を問いかける翡翠に、珀露は笑顔で首を横に振ると、逆に切り返し、話題を変える。

「もう間もなく。上将の許へ参ります。珀露殿はこちらで兵士をまとめていて下さい」

 その言葉に、有能な参謀の顔になった娘は、部下へ指示を出すと馬の腹を蹴り、大将の許へと向かう。

 その巧みな手綱捌きは、騎馬の民の中にあっても舌を巻くほどである。

 見事な姿勢で総大将の横に馬をつけた軍師の姿を見送って、第九王子は仕方なさそうな笑みを浮かべた。


 白の具足を身に纏う闇色の髪の若者は、あちこちから寄せられる気配にギュッと眉を寄せ、こっそりと溜息を吐く。

「浮かぬ表情でございますな、我が君」

 柔らかな声がからかうように届けられ、熾闇は複雑そうな表情のまま振り向いた。

「あの綺羅綺羅しい視線が痛くてならん。どーにかならぬのか?」

 げっそりした様子でぼやく若者は、がっくりと肩を落としてまた溜息。

「憧れの存在を目にして、瞳を輝かせぬ者はおらぬでしょう。諦めて流して下さいませ」

「だがな、何をするにしてもあの綺羅綺羅しい視線が追い駆けてくるのだぞ。息もできぬ程、縛られたような気になる」

 そう拗ねたように言葉を紡いでいた熾闇だったが、何かに気付いたように片腕である娘をまじまじと見つめる。

「我が君?」

「そうか! どこかで見たことのある視線だと思っていたら、王宮の女官達がおまえに向ける視線に似ているんだ。なるほどな……」

 妙に感心した口調で納得したように頷く熾闇に翡翠が極上の笑みを浮かべる。

 実に見事な、絵に描き留めていたいと思えるような美しい笑顔である。

 だがしかし、若者には周囲の温度が急激に下がっていっているように感じられた。

 思い出してはいけないことだったらしい。

 いつもにこやかに対応している翡翠だったので、別に何も思っていないだろうと考え、つい口に出してしまったのだが、実は思い出すのも嫌な記憶だったらしいと思い当たり、表情は笑顔のまま、冷や汗をたらりと流す。

「いや、あのな、翡翠」

「……はい。何か?」

 柔らか笑みと口調、そして態度だが、どこか素っ気ない。

「今、やっと、おまえの大変さが身に浸みたぞ」

 慌ててそう告げた若者に、娘はにこりと微笑んだ。

「経験は得難い師とも申します。よい教訓を得られましたな」

 ほんの少し、翡翠の態度が軟化し、それに伴い周囲の温度が平温へと戻る。

 窮地は脱したようだと、熾闇は安堵し、神々に感謝の言葉を呟きそうになった。

「あ。それで、用件は何だ?」

「じき、野営予定地に到着いたします。先発隊を向かわせ、場所の確保を」

「あぁ。そうだな。笙将軍、頼む」

「御意」

 笙成明は、総大将の言葉に頭を垂れて同意すると、自分の近くにいた兵に目配せをする。

 それだけで何もかもを心得た兵士は、一礼をしてその場を離れる。

 一個小隊が先鋒を追い抜き、駆け抜ける。

 野営予定地となる場所に異常がないかを調べるためである。

 それを見送った成明は、次に各大隊に伝令を送るべく、片手を挙げ、伝令隊に合図を送った。


 走り抜ける騎馬隊を見送った少年は、目を細め、一際目立つ白い鎧の総大将の姿を見つめる。

「兄上と翡翠殿だ」

 何処かうっとりした響きで告げる声は、第三王子そっくりである。

 近くにいた兵士達は驚いた様に声の主を見やり、そうして納得したように沈黙を守る。

「麟霞殿、どうなさいましたかな?」

「利将軍。いえ。今、騎馬の一群が通り過ぎましたので、どのような理由で兵を動かされたのかと、愚考いたしておりました」

 柔らかな癖のある闇色の髪、繊細さも同時に滲ませた精悍な顔立ち──確かに、血の濃いさを感じさせるほどに面差しが似通っている。

 ただ、はっきりとした違いが判るのはその瞳の色である。

 同じ暁の瞳でも、熾闇は暁闇の瞳だが、麟霞は朝焼けの瞳なのだ。

 全く違う瞳の色と、利き手の違いで遠目でも二人の差異が際立つ。

「あぁ。野営地設営のための先遣隊ですな。彼等が場所を確保できたら、野営の準備を行うのですよ。野営の準備には身分は関係ありません。自分のことは自分でするというのが、この王太子府軍のしきたりとなっております。まぁ、今日は初日ですから、誰彼となく教えてもらえることでしょうが、明日からは覚悟なさいませ」

 ニヤリと含みのある笑いを浮かべた利南黄が、年若い王子をからかう。

「はい。足手まといにならぬよう、勉強させていただきます」

 自分たちの評価はそのまま総大将である兄への評価に繋がると、長兄となった第三王子への憧れを隠さずに緊張した面持ちで生真面目に頷く。

 帯刀まで後宮で暮らしていた王子達にとって、十歳に手が届く前にすでに帯刀を終え、戦場で数々の武勲を立ててきた熾闇は、それこそ生きた英雄か伝説である。

 その熾闇と半分だけは血が繋がり、尚かつ母方の血もさらに濃い麟霞にとって、三の兄は特別な存在だったのだ。

 早く兄の傍で役に立ちたいと願っていたものの、思った結果が出せず、初陣を迎えるまでかなりの年月が過ぎてしまったことを口惜しく思っているのだが、そう思っているのは本人のみで、他の王子達よりも武人としては有望視されていることを麟霞は知らない。

「利将軍。兄上と翡翠殿は本当に仲がよろしいのですね。我々よりも余程兄弟らしく見えます」

「共に何度も死線を潜り抜けた者達の絆は、肉親よりも強いものです。我々は軍師殿のお陰で何度も危機を脱して参りました。あのお二方が特別なのではなく、王太子府軍の将兵達は皆、結束が硬く、より強い絆を築いておりますよ」

 麟霞の気持ちがよく理解できる将軍は、敢えてきつい言葉を選ぶ。

 それに気付くか気付かないかは、麟霞の資質だと言うように。

 ただ羨むのではなく、その信頼関係に隠された彼等の苛烈な経験を感じ取れなければ、腕の立つ兵士になれたとしても、有能な将校にはなれないのだ。

「……将軍。あの二人の初陣は、国境見回りの任のような安全なものではなかったのですか?」

「上将の初陣は、秦との交易路を巡っての戦でございました。年端もいかぬ若年の兵がよく生き残れたものだと、あの戦を知る者は思うことでしょう。翡翠様もまだ軍師の任に就く遙か前のことでございましたからな。生還を絶望視された戦で、それでも生き残り、勝利を手に入れられた。幸運だったからではございませぬ。強い意志で運を呼び寄せたのでしょう。そして今も、強運を招き寄せるために常に努力をなさっておられる。それゆえ、我らは常勝軍と言われるのでしょう」

 穏やかな口調で告げる利南黄に、麟霞は目を伏せる。

「以前、戦からお戻りになられた兄上が、後宮へ顔を出して下さらず、奥宮にも戻らず、太子府で過ごされることに不満を持っておりました。戦場では、兄上は決して剣を交えることなく本陣で指揮し、怪我を負うこともないと思っておりました。知らずにいた自分が恥ずかしい。兄上は、傷を負った姿を見せないように我々に気を遣っておいでだったのですね」

 こうして話を聞くことによって初めて気付くことばかりに、麟霞は口惜しくて唇を噛み締める。

 血族として一番近しいと自負していた自分が愚かな子供であったと嫌悪したくなる。

 そんな王子の様子に利南黄は柔らかく微笑んだ。

 王の子供達は、皆、真っ直ぐな気性で微笑ましく映る。

 誰が王となっても、その御代は安定することだろう。

 そうして、その頃の自分もやはりこうして草原に立っていることだろうと、実直な武将は風に吹かれながらそう思った──

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