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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
70/201

70

 秦と巍の開戦は、思いのほか早くあちこちへと広まった。

 流言飛語、ありとあらゆる噂が飛び交う中、巍の王子、璃穆は穏やかな表情を崩さないままだった。

「私は、留学中の身ですから」

 秦との開戦を機に、様々な人々に尋ねられる立場となった璃穆は、飄々とした態度でそう答え続けた。

 自主的な颱への人質である自分の立場と、巍の王族直系の血筋を絶やさぬ役目をよく自分に言い聞かせているであろう優等生の態度であった。

 即座に自国へ取って返し、前線で剣を取り、指揮を執りたいであろう王子は、表面上は穏やかに、そうして何も感じていないかのように振る舞っている。

 この愚かしい質問をするのは、決まって颱へ滞在している他国の使者達であった。

 颱の民は、璃穆に対し、愚かしい質問をしなければ、これ見よがしの見舞いの言葉を送ったりもせず、ごく普通の淡々とした態度を取り続けていた。

 それどころか、公式の場以外で接触したがる他国の使者達を完璧に排除してのけたのである。

 これには璃穆本人も驚いていた。

 丁のいい人質であるはずの璃穆を、ここまで丁寧に扱う颱の態度がわからなかったからだ。

 文化を学ぶ留学生は、その義務の重要性から、各国では大使並の破格の待遇を約束する。

 その彼等と同等の待遇を璃穆に与えた颱の真意を、彼は疑問に思ったのだ。

 そうして、颱の無言の圧力に、各国は屈しざるを得なかった。


 王宮を吹き渡る風はいつも心地良い。

 ゆったりと一つに束ねた髪を風に煽られながら、綜家の末姫は口許を綻ばせた。

「翡翠姫?」

「はい。何でございましょう?」

 怪訝そうな璃穆の声に、翡翠は小首を傾げて応じる。

「いえ。微笑っておられたから……何か良いことでもありましたか?」

「えぇ。今日も風が心地良いと……白虎様の御機嫌がよろしいと、嬉しく思っておりました」

 素直に応じる娘の言葉に、璃穆は納得したように頷く。

「今日はまた一段と心地良い風ですね。なるほど、風向きで白虎様の御機嫌がわかるというわけですか」

 良いことを知ったと、何度も頷く璃穆は、再び翡翠を見つめる。

「翡翠姫にお伺いしたいことがあったのです」

「何なりと」

「以前は実に愉快なお話をなさる方々が大勢いらっしゃったのに、最近ではまったくお見かけいたしません。あなたが手配して下さったのですね?」

「何のことでしょうか?」

 穏やかな表情で首を傾げてみせる娘に、璃穆は微笑む。

「ありがとうございます。率直に申し上げますと、表面だけを取り繕った自称狸ほど、見苦しいモノはありませんので、話しかけられる度、笑いを堪えるのに苦労していたところなんです」

「何のことかは判りませんが、確かに腹芸に長けていると思い込んでいる方ほど滑稽なものはございませんね。我が国は武を尊ぶ傾向がございますので、言葉を飾ることは由と思う者は少ないのでしょう。人を不快にするような話題を口にする方がいらっしゃると、つい、退場願いたくなってしまうのですよ」

「……なるほど」

 あくまで世間話を装う翡翠の言葉に、璃穆は苦笑した。

 彼の祖父の言動は、颱の民人の逆鱗を触れまくったに違いないことは、想像に難くない。

 それゆえに『歴史』から退場させられたのだろう。暗愚の王として。

 しかし、一方で前巍王とその孫王子である璃穆を別のものとして捉え、彼の存在を鷹揚に認めてくれている。

 この寛容さが不思議でたまらないのだ。

 風のように捉え処のない自由気ままな性質のせいなのだろうか。

 真っ直ぐすぎて不器用にも見える彼等なのに、懐深く情に厚く鷹揚である。それでいて、ひやりとするような酷薄さも同時に持ち合わせているのだ。

「あぁ、いけない。お伝えしなければならないことがございました」

 世間話のついでのように、何気なさを装って翡翠が手を打つ。

「わたくし、暫くの間、王都を離れることになりました」

「え?」

「国境見回りの任に就くことになったのです。何もなければ二月ほどで戻って参りますが、その間、璃穆殿にはご不自由をおかけすることになるかと思います。後任の者へ引継はしておりますので、後ほど璃穆殿にご紹介いたしましょう」

 にこやかに笑って告げる翡翠に、璃穆は一瞬声を失う。

 何でもないように言っているが、国境見回りは激務である。

 領土に侵入した軍を発見すれば、その場で開戦となる。

 備えが不備であれば、呆気なく殲滅されてしまうだろうし、充分すぎるほど配備すれば、機動力に欠けてしまい、距離を稼がれてしまう。

 常に周囲の情報を手に入れ、各国の動向を探り、尚かつ充分な備えをしなければならないのだ。

 そんな予断を許さぬ厳しい任務に、王子や王族に連なる者達を派遣すること自体、他国では考えられないことだ。王族とは、護られるべき一族なのだから。

「それは、寂しくなりますね。一日もお早いお戻りをお祈り申し上げましょう……と言うのは、姫君の言葉のようですね。ですが、あなたのいない王宮が精彩を欠いたものになってしまうのは、私の中の事実ですからしようがない」

「ありがとうございます。では、わたくしの帰りをお待ちいただける姫君には、国境からのお土産をお持ちいたしましょう。素朴で健気な草原の草花を」

 無理矢理に笑顔を作り、茶目っ気たっぷりにおどけて言う璃穆の心遣いに、翡翠も笑顔で切り返す。

「え、本当ですか!?」

 その翡翠の言葉に、巍の王子は喜色を浮かべ、思わず声を上げる。

「はい。さすがに生花で持ち帰ることはできませんので、押し花にすることをお許し頂ければ」

「勿論ですとも。本当に夢のようですよ。草原の花は可憐で、きっと力強く、美しいのでしょう」

「えぇ。お約束申し上げました。では、後日」

 ゆったりと会釈をした翡翠は、髪をなびかせてその場を後にする。

 複雑そうな視線を向ける璃穆を振り返らず、彼女は真っ直ぐに歩いた。


「見事な男殺しでしたな。いえ、姫君殺しと言った方がよろしいでしょうか」

 書類の束を持った犀蒼瑛が生垣の脇から現れ、呆れたように翡翠に声を掛けた。

「……おや、覗き見など、無粋ですこと」

 璃穆から姿が見えないことを確認し、垣根に添って歩を進めながら王太子府軍の軍師は皮肉げに答える。

「それを仰いますか、他ならぬあなたが。事務処理など、私の本分ではないというのに」

「憂いても騙されませんよ。本来、犀蒼瑛殿と言えば、文武両道、有言実行の有能な将校。このような事務処理など、対して問題にならぬはずでございましょう? それに、その書類は、蒼瑛殿が処理すべきものばかりですが」

 拗ねて詰る蒼瑛に対し、翡翠は軽く肩をすくめてみせるだけである。

「冷たいお言葉ですね」

「利南黄殿のご提案です」

 表面上は生真面目に、冷静そのものを装って、綜家の娘は冷ややかに答える。

 翡翠が過労で倒れたことは内密にはなっていたが、普段から事務処理が集中しがちなことを心配していた利将軍が、事務処理の分担化を申し出、同じくそのことを考えていた熾闇が承知したため、以前は細々な雑用をしなかった将軍達も相応の仕事をしなければならなくなったのだ。

「働きたい者だけが働けばよいものを……まぁ、仕方のない繰り言をするもは趣味ではありませんから置きますが、見事に巍の王子を殺してましたね」

 肩をすくめ、ぼやいた蒼瑛は、すぐに表情を改め、翡翠をからかいにいく。

「何のことやら……人聞きの悪い。世間話と社交辞令の練習ですよ」

「本当につれない方ですね。あの王子様、あなたを慕っておられるようですよ。あの様に甘やかしては、いらぬ誤解を生んでしまいますが。それとも、それが狙いですか?」

「何も狙ってなどおりませんが。蒼瑛殿は何用でわたくしを捜しておられたのですか?」

 放っておけばどこまででも脱線しそうな蒼瑛を、翡翠は半ば無理矢理に軌道修正かける。

「そうそう。忘れておりましたよ。軍師殿の花押が必要なので、お捜し申し上げておりました」

 のんびりとした表情で答えた蒼瑛は、手にしていた書類を翡翠に見せる。

 その書類に目を通した娘は、納得したように頷く。

「承知いたしました。では、参謀室へ参りましょう」

 そう、彼女が応じたとき、新たにもうひとり、武将が近付いてきた。

「こんな処にいたのか。捜したぞ……っと、これは、軍師殿」

「ごきげんよう、嵐泰殿」

 蒼瑛の親友と名高い嵐泰に、翡翠は素直に挨拶をする。

「こちらにおいでとは思いませんでした。お身体の具合はもうよろしいのですか?」

 どこまでも生真面目な青年は、穏やかな声音で問いかける。

「はい。その節はご心配、及びご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳なく思っております。わたくしの思慮が至らず、お二方の手を煩わせてしまい、本当に……」

「謝罪など、なさらないでください」

 思いやり深い嵐泰の言葉に、翡翠は頬を染めて俯く。

 冷静なはずの若い軍師の表情に戸惑いが見て取れる。

 困惑と羞恥が、彼女の美しい容を彩っている。

「何だか不公平だ」

 ふたりの様子を窺ってた蒼瑛がぼそりと漏らす。

「は?」

「どう見ても、不公平だ。私の時には、軍師殿は冷たい態度だったのに、どうしておまえの時には、頬を染めて愛らしい仕種をなさるんだ!」

「そんなことを俺に言われても……俺、いや、私が何かしたわけではないだろうに」

 親友に責められ、狼狽えた嵐泰は、救いを求めるように翡翠を見る。

 だが、翡翠は頬を染めたまま頬に手をあて、困ったように蒼瑛と嵐泰を見比べている。

「あの……嵐泰殿は蒼瑛殿に何かご用があったのではないのですか?」

 困惑した表情のまま、軍師は問いかける。

「あぁ、はい。そうでした。おまえに紹介しておこうと思ってな……軍師殿にも、いずれお目通りをと思っておりましたが……」

 少しばかり端切れ悪い口調で嵐泰が用件を述べる。

「紹介したい者? 何だ? おまえの許嫁かなんかか?」

「阿呆! それなら紹介する前におまえの耳に入っているだろうが! 遠縁の者より預かってな、近習として置くことになったのだが……」

 不機嫌そのものの嵐泰がそこまで言ったときだった。

 甲高い少年の声が近付き、元気良く嵐泰へと飛びついた。

「見つけました、兄上! こんな処にいらっしゃったのですね。いきなり置いていかないで下さい」

 幼さを多分に残す若者は、おそらくは翡翠達と同じ年頃だろう。

「……兄上?」

 不審そうに蒼瑛が首を傾げる。

「血は繋がってない。昔から、これの両親がうちへよく出入りしていたため、馴染んだらしくな」

 むすりとした表情のまま答えた青年は、背中に貼り付く少年を睨め付ける。

「麗倫! 私は動き回るなと言っておいたはずだが? ここは、おまえが自由に動き回って良い場所ではない。立場を弁えよ」

「嵐泰殿。そうきつく仰らなくてもよろしいでしょう。初めて来た王宮に、心細くなったのでしょうから」

 厳しい口調で叱りつける嵐泰を片手を挙げて制した翡翠が、優しい笑みと共に告げる。

「……うわぁ……美人。ねぇ、おまえ、名前、何て言うんだ? 俺は、高麗倫」

「高麗倫殿ですか。わたくしは、綜翡翠と申します。女子軍の将を務めさせていただいております」

 物怖じしなく、人懐っこく問いかけてくる麗倫に、翡翠はにっこりと笑って答える。

「麗倫! 控えよ! こちらの御方は……」

「良いのですよ、嵐泰殿。わたくしも同じ年頃の方とお話ししたことがないので、嬉しいのですから」

「へぇ……武官だったんだ。俺、てっきり女官だと思った。こんなに美人なんだもんな」

 どう見ても男装しているとしか思えない官服姿の翡翠を前に、怖い者知らずの年頃の少年は嬉しげに笑う。

「嵐泰、この坊や、おまえの親戚か?」

 呆れたように蒼瑛が問いかける。

「とりあえず、そうなっているが……あまり自信はない」

「だろうな。近年、稀に見る大物だ」

 大人達の会話に気付かず、麗倫は翡翠の美貌に賞讃を湛えた表情で見惚れている。

「麗倫、もう一度言う。控えよ。こちらの御方は、綜家の末姫、王太子府軍の軍師であらせられる」

 苦い表情で嵐泰が言うと、少年は目を丸くする。

「うそっ!? 本当かよ!? だって、綜家の姫って言ったら、宝石みたいな瞳の……うそ……」

 一瞬、嵐泰を仰ぎ見、そうして翡翠へ視線を向けた麗倫は、茫然とする。

「……本当に……?」

「えぇ。綜右大臣の末子であることは確かです。嵐泰殿の近習になられるのでしたら、これから会う機会が増えることでしょう。よろしく御願いいたしますね」

「……あ、うん……」

 がっくんと頷いた麗倫は、信じられない様子で嵐泰を見上げる。

「蒼瑛殿、嵐泰殿、わたくしからお願いがあるのですが、聞き届けて下さいますか?」

「なんなりと」

 軍師の言葉に、有能な将ふたりは即座に頷く。

「出陣式の奉納舞、お二方に剣舞をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 意外な申し出に、青年たちは目を瞠る。

 奉納舞は、翡翠が舞う数少ない場所なのだ。

 あの見事な舞を見ることができる王太子府軍の兵達のひそかな楽しみでもある。

 それを何故、彼等に頼むのか、理解に苦しむ蒼瑛と嵐泰は眉をひそめる。

「今回は、ご覧になる方が大勢いらっしゃるので、わたくしの他にお二方にも是非一緒に舞っていただきたいのですが」

「……なるほど。そういうことでしたら、お引き受けいたしましょう」

 彼等の疑問をあっさりと答えた翡翠に、蒼瑛がすんなりと応じる。

「嵐泰、おまえも舞うな?」

「は? しかし、私は、舞は不得手で……」

「翡翠殿と舞える機会は、これを逃すと二度とないと思え」

 狼狽える嵐泰を逆に脅す蒼瑛に、翡翠は苦笑する。

「成明殿もいらっしゃいますし、無理にとは申し上げませんから」

「成明に奪われても良いのか? 俺は知らぬぞ、嵐泰」

「……私でよろしいのであれば、お引き受けいたしましょう」

 がっくりと肩を落とし、嵐泰は承知する。

「もちろんです。お二方ともありがとうございます。その件で詳しい話など致しましょう、嵐泰殿もどうぞ参謀室へ。麗倫殿もおいでなさい。菓子もございますから」

 笑いながら謝礼を口にする翡翠は、傍に佇む少年へ視線を投げかける。

 同じ年頃のはずなのに、完全に年下扱いであることを本人は気付いていない。

 ある意味、それは仕方のないことだと苦笑する青年ふたりの後ろから憮然とした表情で少年がくっついて歩いていたことを、将達はまったく知らなかった。

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