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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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69

 どこか無機質なはずの参謀室が華やいだ気配を放つ。

 それは、特別に許可を貰いやって来た嵐泰の妹、白華のものであった。

「まだ無理をなさらずに、横になって下さいませ、翡翠様」

 一見、おとなしやかな美女は、それとは対照的に華やかで、しかし穏やかな微笑みを浮かべてそう告げた。

「いえ、もう大丈夫です」

「えぇ、それでも、ですわ。大丈夫と思ったときが一番大事なのです。もう暫くお休み下さいませ。それから、とぉっても苦いお薬湯ですわ」

 湯気の立つ茶碗を差し出す白華に、翡翠は苦笑を浮かべる。

 その言葉は、以前、翡翠が白華に諭した言葉だったからだ。

「苦いのは嫌いです」

 だからというわけではないが、子供っぽい我儘を口にした娘に、妙齢の女性は軽く吹き出した。

「そう仰ると思って、御褒美も用意いたしましたわ。さぁ、どうぞ飲んで下さいましな」

「あぁ、嵐泰殿を恨んでしまいそうです。わたくしが白華様に逆らえないことをご存知でこちらにお呼びになられたのですから」

 拗ねたように、だが芝居っ気たっぷりにぼやいた翡翠は、おとなしく薬湯の入った茶碗を受け取り、一口含むと盛大に顔を顰めた。

「……苦い」

「ですから、最初に苦いと申し上げました。私は、翡翠様に嘘は申し上げませんわ。さぁさぁ、良い子ですからちゃんと最後までお召し上がり下さいな」

「…………」

 くすくすと笑った白華は、翡翠がいる長椅子の前に床几を引き寄せ、そこに淑やかに座ると彼女がきちんと飲み干すのを見つめる。

「……負けました。頂きます」

 がっくりと肩を落として、だが、一気に薬湯を飲み干した娘は、口許を手で覆い隠し、白華から顔を背ける。

 相当苦かったらしい。

 眉が寄り、眉間に皺が入っているのが何よりの証拠である。

「では、お約束の御褒美と口直しですわ」

 穏やかな笑みを浮かべた白華は、小さな漆盆に冷たい白桃水と干菓子を乗せて翡翠へ差し出す。

「良い糖が手に入りましたので、先程作っておりましたの。翡翠様にお届けしようと思っておりましたから、良い口実になりました。白桃水は、果樹園から桃が届きましたので、冷水の薫り付けに」

「生き返る心地がします」

 ほっとしたような表情を浮かべた娘は、白桃水を一口含み、目を細める。

「良い薫りですね。仄かな甘みがまた上品で……干菓子も頂きます」

 先程の悲壮な表情とは異なり、実に幸せそうに甘味を口に含んだ翡翠は、柔らかく微笑む。

「白華様は本当にこういった内向きのことがお上手ですね。嵐泰殿が羨ましい。わたくしも姉達も、あまりその様なことは得意ではないので、兄達には申し訳ないと思ってはいるのですが……」

「私としては、翡翠様が羨ましいですわ。季籐様も偲芳様も鷹揚な方で、少し離れたところで見守って下さる様な大らかな感じがいたしますから。兄はとても心配性で口喧しいのです。時々、本当にうんざりしてしまいますのよ」

「まぁ……」

 嵐泰の思わぬ一面に、翡翠は目を瞠り、小さく声を上げる。

「少しは親友の蒼瑛様を見習って、大きく構えて下さればよろしいのに……」

「それはそれで問題なのでは?」

 普段のふたりのやり取りを知る翡翠は、軍部の問題児である蒼瑛がふたりもいる図を想像し、思わず真面目な表情で突っ込みを入れてしまう。

「嵐泰殿は、ご苦労が多い分、他人の痛みがわかるとても優しい方だと思います。だから、時折、度を超した心配性におなりになるのでしょうね。わたくしも、散々ご心配をおかけしてしまっていますし」

「心配するのは、相手が大切な人だからだということは、私も承知しております。でも、もう少し信用して下さっても良いのではないかと、いつも思ってしまいますわ。あまりに心配されると、信用されていないのかと、つい、僻みたくなってしまいますの。私、翡翠様より年上ですけれど、ずっと子供みたいで呆れてしまいました?」

「いいえ。白華様は、わたくしの憧れなのですよ。呆れることなどありません。白華様はそのままで」

 笑みを深くして告げる翡翠に、白華はほんのりと頬を染める。

「過分なお言葉でございますわ。私こそ、翡翠様がいらっしゃらなければ、今頃世を儚んで泰山を目指していたことでしょう」

「白華様、それは……」

「もう、大丈夫です。雪雷様のことは、今も思い出す度に胸が痛みますが、後を追うことだけは致しません。あの方のことを忘れることはできませんが、その想いを胸に生きていこうと、あの方の分も生きて、そうして幸せになろうと思います。いつか、常世でお会いしたときに、精一杯生きたと申し上げられるように」

 晴れやかな笑みと共に告げられた言葉に、翡翠も安堵する。

 想う相手を失い、幽鬼のような表情で虚ろな眼差しで、辛うじて息をしているだけの白華を目にしているだけに、今の彼女の様子にほっとしてしまうのだ。

「きっと、雪雷殿も喜ばれましょう」

「えぇ。そうであればと、願っております」

 柔らかな微笑みを浮かべ頷いた白華は、さらりと衣擦れの音を立てて立ち上がる。

「そろそろお休みになって下さいませ。お薬湯が効き始める頃でしょうから。暫くの間は、無茶をなさいませんよう、お願い申しあげますわ。お役目がございますのなら、兄に申しつけて下さいませ。今、翡翠様に一番必要なことは、身体を休めることなのですから」

 塗盆を手に、静かに後片付けを終えた美女は、幾重にも衝立を立て、内と外を遮断してしまう。

 外から人の気配を探ることはできないだろうし、内から外の声を聞くこともできない。

 人の気配に聡い翡翠が安心して休めるようにという心尽くしなのだろう。

 そのことに礼を述べながら、翡翠は長椅子に横になると目を閉じた。


 ふわりと浮き上がる浮遊感。

 ゆらゆらと揺れる意識の中で、翡翠は自分が間もなく目覚めることを自覚した。

 階段を駆け上がるかのように、急速に意識が浮き上がる。

「………………」

 見慣れた高い天井。

 填め込まれた板のひとつひとつに美しく彩色が施されている。

 精緻に描かれた颱の風景は、部屋の主の疲れた心を和ませると同時に、もうひとつ重大な意味が隠されている。

 そこが参謀室であることを確認した娘は、己の体調が先程に比べ、非常に良くなっていることに気付く。

 動くことに関して、殆ど問題はないだろう。

 ゆっくりと意識を全身に行き渡らせ、確認した翡翠は、内側だけではなく、外界へも意識を向ける。

 一切の気配を感じ取れないほど、静かである。

 それゆえに、翡翠はそこが結界の中であることを悟る。

「……目覚めたか」

 低く柔らかな声。

 何時までも聞いていたいと思わせるその声は、人間のものではない。

「白虎様」

 舞の所作であるかのように、緩やかに上体を起こした翡翠は、声がした方向へと視線を巡らせる。

 白い獣の神は、彼女の足許近くに寝そべっていた。

 前足の上に乗せていた顔を持ち上げ、ひたりと翡翠に視線を合わせる。

「気分はどうだ? 顔色も随分と良いようだな」

「ご心配をおかけいたしました。復調したと申し上げてもよろしいでしょうか」

「ふむ。大丈夫のようだな」

 前足を立て、上体を起こした白虎神は、そのまま腰を上げて完全に立ち上がると、長い尾をふいっと跳ね上げる。

 軽く尾を振るという仕種は、彼が上機嫌であることを示している。

「……白虎様、この結界は、一体?」

 不思議そうに首を傾げる翡翠に対し、白虎は驚いた様に目を瞠る。

「鋭いな。よくわかったな。時の結界だ」

「はぁ……時、ですか?」

「そうだ。結界の内と外とでは時間の早さが違っている。おまえの身体が必要としている回復の時間をそのままの流れで取れば、おまえはさらに無茶をしでかすからな。結界の中の時間を早く進ませ、おまえが休息をとっている間、外の時間の流れをゆっくりにした」

 良いことをしたと思っている白虎は、とても御機嫌な様子で簡単に説明する。

「ここでは、おまえは四刻ほど眠っていたが、外では半刻ほども経ってはおらんよ。まったく無茶をする。自分が子供であることを忘れて、一人前の大人と同じように動こうとしても、身体はついてこないと何度言ったら判るんだ、この馬鹿娘。大人になれば、いくらでも無茶をしなければならない場面が来るから、子供の時は周りの大人に任せてろとあれほど言っただろうが」

 怒った素振りで言ってはいるが、怒っていないことは確かである。

「ですが、白虎様。子供の内は、大人を振り回して心配させるだけの元気があればそれで良いと仰ったのは、白虎様ですよ」

「……意味が違う」

「子供の時に、無謀でも良いから冒険しろとも」

「冒険違いだろうが」

 速攻で突っ込んだ白虎神は、深々と溜息をつく。

「まぁいい。しばらくは無茶をするなよ」

「白虎様。時の結界など敷いて、大丈夫なのですか? 干渉することになりはしませぬか?」

「大丈夫だ。この程度、干渉などという大層な言葉に抵触するほどでもない。それにな」

 心配そうに問いかける翡翠に、守護神獣はにやりと太く笑う。

「時間を操ることができるのは、俺ひとりだ。実際に干渉したところで、天帝にもわからんよ」

「……ッ!?」

 とんでもないことを聞いてしまった娘は、驚愕のあまり目を瞠る。

 自分たちを見守ってくれる尊敬すべき守護神獣が、実は相当な危険人物であると天帝にみなされていると、賢い娘は悟ったからである。

「細かいことは気にするな。ようは、バレなきゃ問題にはならないってことなんだから」

 茶目っ気たっぷりに告げる彼に、翡翠はこの喰えない獣が確信犯であることを実感した。

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