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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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 綜家の末姫と第三王子が連れ立って歩く姿を久々に見た王宮の者達は、目を細め、笑みを湛える。

 在りし日──幼き頃の幸福な日々を思い起こさせるふたりの姿を、彼等は憧憬を持って受け入れる。

 平和で穏やかな日常を彼等の中に見出すからだ。

「なぁ、翡翠」

「はい」

「いい天気だよなぁ」

 空を見上げ、のんびりとした声を上げる熾闇は、ふと周囲を見渡す。

「じき、天気は崩れますよ。風が湿り気を運んでいます。遠駆けは無理ですよ」

 熾闇が言いたいことを察した翡翠は、首を横に振る。

 いつもであれば、供を言い出したであろうが、大事な主君に風邪を引かすわけにはいかない。

 そう簡単に風邪を引くような若者ではないことは承知の上だが、翡翠にとって、本当に大切な主であり、乳兄弟であり、親友なのだ。

「そうか。おまえが言うことは、何時だって正しいからな。遠駆けは止めておこう。手合わせをする時間くらいならありそうか?」

「そうですね。そのくらいなら……」

 曖昧に頷きかけた翡翠の足が突然止まる。

「翡翠?」

 従妹の反応に気付き、足を止めた熾闇は、彼女の視線の先を追い、渋面になる。

 官服姿の娘は、拳を片方の掌で包み、胸の前まで上げると、ゆるりと頭を下げる。

 長く艶やかな黒髪が、肩から滑り落ちる。

「御機嫌麗しく存じます、漣華様」

 武人として、貴人へ対しての礼が、実に優雅な仕種に見える。

「ごきげんよう。熾闇様、翡翠様」

 にこやかに微笑んだ漣華は、軽く膝を折って、翡翠の礼に返す。

「お会いできて良かったこと。お捜し申し上げておりましたのよ」

「それは、大変申し訳ないことを致しました」

「よろしいのよ。私が、ご挨拶をしなければならないことなのですから」

 それまで笑顔の漣華の表情が一転してきりりと引き締まる。

「私、お別れを申し上げに参りましたの」

 凛とした声が、確かにそう告げた。


 意外な言葉に、第三王子は茫然と立ち竦んだ。


 うららかな昼下がり。

 王子達の住まう春宮近くで立ち竦む第三王子熾闇と、北の貴婦人へ武官として礼を施す綜家の末姫翡翠、そして男装の麗人からの礼を受け入れる秦の王女漣華。

 囀りたがる女官達がこの光景を見れば何と言うやらと、意外に暢気なことを考えつつも凍ったように動けないでいる若者は、進退窮まったと言いたげな様子で冷や汗をかいていた。


 熾闇の心情を知ってか知らずか、麗しい娘達は穏やかな表情で会話を楽しんでいる。

「それは、残念でございますね、漣華様。北からの華やぎが無くなってしまうとは、寂しい限りです」

「嬉しいこと。翡翠様にそう仰っていただけるなんて……夢のようですわ。本当に、翡翠様が男君であられれば、私、喜んで綜家へ文をお出しいたしますのに」

「それは、申し訳ないことを致しました。もしそうであれば、わたくしも喜んで秦へ参りましたものを」

「……翡翠、何の話をしている?」

 割り込めない状況だと感じつつも、何だかとっても嫌な話題のような気がした熾闇は、ふたりの会話を遮る。

「わたくしが男でありましたら、漣華様はわたくしの妻になって下さるというお話でございます」

「はぁ?」

「本当に残念ですわ。もちろん、熾闇様も充分魅力的な殿方でございますわよ? でなければ、私もこのような無茶を言い出しはしませんでしたから」

 にこにこと、何の含みもなく笑い合う娘達の神経がわからずに、熾闇は茫然としている。

「その話だが、漣華殿。俺は何度言われても、頷けない。申し訳ない」

「本当に熾闇様は誠実な方でいらっしゃる。わかっておられるのかしら? あなたが女性に対して誠実でいらっしゃればいらっしゃるほど、私達はあなたを諦めきれなくなってしまうわ。だから、私は熾闇様にさよならを申し上げに参りましたの。私、秦に戻らねばならなくなりました」

 穏やかに微笑んで告げる漣華の表情は、肉親に向ける慈しみの表情であった。

「漣華殿?」

「兄達が、巍へ宣戦布告を致しましたわ。北はこれより動乱を迎えます。私は、私の民を守らねばなりません。それが、私に与えられた役目なのですから」

「そう、か。御武運を祈る。漣華殿なら、良い王になられるだろう」

 毅然とした態度で告げる漣華に、熾闇は率直な言葉を紡ぐ。


 巍と戦を回避する方法は、今、この颱でならいくらでも手が打てる。

 今現在、巍の王太子と、秦の世継ぎがいる颱でなら、和睦が可能だ。

 だがしかし、それは客人を預かる国として、超極秘事項を彼等に告げることはできないのだ。

 一言でも告げようものなら、颱は信用を無くす。

 それゆえ、和睦の方法を知りながらも、彼等は口を閉ざすしかない。


 優しげな笑みを浮かべた漣華は、軽く小首を傾げる。

「熾闇様からのお言葉は、本当に身に浸みますわ。その言葉に恥じないよう、務めますとも」

 笑顔のまま、漣華は熾闇の傍へと歩み寄る。

 白い繊手が熾闇の頬へあてられる。

「熾闇様もどうかご健勝であられますよう。遠き地よりお祈り申し上げますわ」

 囁くように告げた漣華は両の手を引き寄せると同時に、自らも爪先立ちになって背伸びする。

「……ッ!?」

 相手が女性であると油断していた熾闇は、驚愕のあまり目を瞠る。

 仄かに甘い香りと、柔らかな唇。

 女性に無体はできないと、拳を握り、何とか衝撃をやり過ごす。

 これが世慣れた蒼瑛や藍衛であれば、漣華の腰を抱き寄せるくらいの芸当はしてみせるだろうが、生憎と熾闇には彼女を衝動的に突き放さないように堪えるのが精一杯であった。

 満足したのか、漣華はそっと唇を離し、踵を降ろす。

「接吻けの最中に、目を開けておくのは少しばかり興醒めでしてよ」

 くすりと笑った王女は、そう告げる。

「不意打ちなさって、そう仰るか。あまり無茶なことをなさらない方がよろしい。俺は無骨者ゆえ、親しいと言えぬ者がいきなり近付けば、反射的に距離を取ろうと動いてしまう。冗談ではすまされないようなことになってしまうゆえ、程々に願いたい」

 憮然とした表情で告げる熾闇に、漣華は首を傾げる。

「もう少し狼狽えられるかと思いましたのに……意外と慣れていらっしゃる?」

「慣れているんじゃなくて、慣らされたというのが正しいな」

 律儀に訂正した若者は、不機嫌そうにそっぽを向く。

「その昔、お妃様方の格好のからかいの的でございましたから」

 くすくすと笑いながら翡翠が暴露する。

「まぁ、そうでございましたの? それは残念。てっきり、初めてだろうと思いましたものを……この次は、別の悪戯を考えることに致しますわ。それでは失礼」

 少しばかり肩をそびやかした漣華は、実に残念そうに告げると、茶目っ気たっぷりの言葉を残し、元来た道を辿っていく。

「……引き下がって頂けて、よろしゅうございましたね、我が君」

「俺の隠したい過去を暴露してくれたな、翡翠」

 からかうような口調で告げた翡翠に対し、恨みがましい口調で乳兄弟を睨み付けた熾闇は、ふてくされたようにあらぬ方向を見やる。

「それは失礼を。ですが、お妃様方は、本当に熾闇様がお好きでからかっていらしたのですよ?」

「だから、始末に負えないんじゃないか!悪気であれば、いかようにもお返しできるのに、親愛の情でやられたと言われれば、仕返しすれば情け無しと言われるんだからな。翡翠、予定変更だ。将棋の相手をしてくれ。それから、軍の状態についての報告を。北が乱れれば、南が動く。備えなければな」

「御意」

 少しばかり歪みの入った愛情表現に悩まされていた幼少時代を持つ若者は、鬱陶しそうに顔を顰めて答えていたが、不意に武将の顔に戻る。

 そうして、彼の傍に控える有望な参謀は、すべて悟っていると穏やかな表情でひとつ頷き、主の居室へと歩き出した。

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