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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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66

 一度、逃走したせいで味を占めたのか、第三王子の逃走癖の間隔は、次第に短くなってきた。

 熾闇が逃走する度に呼び出される翡翠を見て、璃穆は同情に満ちた視線を彼女に向ける。

「毎度の事ながら、大変ですね、翡翠姫」

「いいえ。上将がお隠れになるのは、国内外が表向き平和だからでしょう。何処かで戦が起こっていましたら、決してこのようなお遊びをなさる方ではございません。それに……」

 青年の労りの言葉に、穏やかに返していた翡翠は、くすりと悪戯っぽく笑う。

「ああ見えても、意外に律儀な御方で、お逃げになるときは、すべて業務を終えてから行かれるのですよ」

「おや、それは……確かに律儀とも言えますが、執務が終わっていれば、逃げる必要はないのでは?」

 至極尤もな事実を指摘した璃穆は、不思議そうに首を傾げる。

「わたくしもそう思いは致しますが、逃げる方が楽しいのだとか……では、また後ほど」

 にこやかに微笑みながら会釈をした翡翠は、滑らかな足取りでその場を後にする。

「……いつ見ても隙のない見事な身のこなしですね。足音ひとつお立てにならない」

 その後ろ姿を見送りながら、璃穆はそう呟く。

 彼の言葉に警護に就いていた武将達の瞳に剣呑な光が浮かぶ。

「舞の名手ともなれば、かくも優雅に歩けるものなのですね。さて、何方か書庫へ案内していただけないでしょうか。戯曲の詩を写したいのです」

「それでしたら、こちらへ。御案内仕ります」

 控えていた莱公丙が先に立ち歩き出す。

 歩く彼等の髪を風がからかうようになびかせる。

 北から舞う風が、再び不穏な色を纏い始めていた。


 王太子府にある己の執務室へとやって来た翡翠は、予想通りの展開に少しばかり頭痛を覚えていた。

「もう少し芸のある隠れ方をしたらどうだ、小僧!」

「だぁっ! 人のこと言える立場か! 翡翠に相手してもらえないからって、拗ねてこんなところに来ている白虎殿にそんなこと言われたくない!!」

「生意気だぞ、熾闇! ええいっ! こうしてやる」

 本気なのか冗談なのか、ぎゃあぎゃあとはしゃいで口喧嘩をしていた神獣と王子は、ノリに乗った白虎が前足で王子の腹を軽く踏みつけるという荒技に出ていた。

「うわっ! 重っ!! ちょっと待て! それは卑怯だぞ」

「先手必勝!」

「……お二方とも。愉しそうでございますね」

 ふうっと溜息を吐いた翡翠は、ゆったりとした口調で割って入った。

「翡翠!」

 それでも助けてくれと言わない辺り、熾闇も意地になっているようだ。

「おう。愉しいぞ。何せ、この子供はすぐにムキになるからなぁ……実にからかい甲斐があっていい」

「何事にも限度というものがございますので、程々に願います。熾闇様も、あまりお逃げになさいません様に。将軍方も困っておりますよ」

 僅かに眉を寄せ、困っているような表情を作った翡翠がふたりに平等に声をかける。

 途端にひとりと一頭は、しゅんと小さくなる。

 声を荒げることなく、怒りを露わにすることなく、淡々とした穏やかな態度で臨むだけなのに、何故かひどく自分が悪かったような気になってしまうのは、やはり相手が翡翠だからだろうか。

 常に穏やかな表情を装う彼女の軍師としてのしたたかさは承知しているものの、やはり罪の意識が非常に刺激されてしまうのだ。

「いや……その。悪いとは、思ってるんだ、一応……」

 口ごもりながら、熾闇は正直に告げる。

「だけど、その……」

「そんなにお嫌ですか? 漣華様のこと、お気に召していらっしゃったでしょう? 何も、本当に正妃にお迎え下さいと申し上げてはおりませぬ。暫く滞在なさっておられる北のお客人のお相手をお願い申しあげているだけなのですよ」

「……苦手、なんだ」

「漣華様は、すべて承知なさっておられますよ。初めから、熾闇様を夫になさるおつもりはございません。あの方は王なのです。ご自分の身の振り方というものを誰よりもよくご存知でいらっしゃる。あのお申し出は、即位前の一時の夢なのでしょう。お付き合いなさって下さいませ」

 主の傍に膝をつき、諭すように告げる娘に、若者は渋々と言った表情で頷く。

「わかってはいる。本当に、わかってはいるんだが……」

 頷いているものの、表情は暗い。

「俺以外の誰かを俺の中に捜されては、俺としても対応のしようがない。俺はその方ではないのだし、知らない者を演じることもできない。そんなことをすれば、漣華殿に失礼だろうし」

「そうでございますね」

「情けないとは思ったが、だから、逃げた」

「本当に情けないヤツだな、おまえ」

 呆れたように告げた白虎は、熾闇の腹の上に乗せていた前足を退けると、人型に変じ、若者の髪をくしゃくしゃに撫で回す。

「嫌なら、一言、そう言えばいいんだ。自分は自分だ、誰かの面影を探すなと、そう言えば、大抵の女は落ちてくれるぞ。大体、十七歳にもなって、女に興味がないこと自体、俺はおかしいと思うが? 先代だったかな? あいつなんか、十五で今の王が生まれていたぞ。十三歳という強者もいたな。家系的には女好きだと思うんだが……百人以上の妻を持った王など、ざらだったしな」

「俺には関係ない!」

「奥手で喜ぶのは年増だけだぞ。惚れた女を歓ばせる手管くらいは覚えておくべきだと……」

「……白虎様」

 熾闇の癖のある短い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら尤もらしく告げる白虎の背後で、溜息混じりに翡翠が呼ぶ。

 その瞬間、ギクリと白虎の背筋が強張った。

 心なしか表情までもが引きつっている。

「先日、楼閣で銀の髪の偉丈夫を見かけたと仰る御方がおられましたが」

 穏やかに話す声に何の含みもない。

 何の含みもないのだが、白虎は視線を彷徨わせ、奇妙な緊張感を漂わせている。

「無粋な真似をするつもりはないので、声をおかけしなかったということですが、いささか悪目立ちをなさっておられたとか……お心当たり、ございませぬか?」

「な、何のことだ? 俺は別に花街などに行った覚えは……」

「やはり、行かれたのですね。もちろん、守護神たる御方のことですから、お考えあってのことだとは存じ上げておりますが、もう少しお姿を考慮なさった方がよろしいかと」

 冷ややかに釘を差した娘は、にっこりと極上の笑みを浮かべる。

「楼閣? あんなに面白くない場所へ行って、一体何をしたんだ、白虎殿? 香料臭くて、胸が悪くなるだけだろうに」

 きょとんとした表情で、熾闇が無邪気に問いかける。

 その質問に、美丈夫姿の白虎は天を仰いだ。

「これが素だというなら、絶対に問題があると思うぞ! おまえ、育て方間違ったぞ」

「わたくしは、三の君様の母君ではございません」

 訴えてくる白虎に、翡翠は即座に切り返す。

「暦によれば、わたくしは、熾闇様より後に生まれております。お育て申し上げるには、いささか無理がございますが」

「……それでも、おまえが育てたようなものだろうが。素直で人懐こそうに見えて、我儘だったからな、こいつは。おまえの姿が見えなくなると、すぐに不安がって大泣きしていたようなガキだったからな」

「なっ!? いつ、俺が大泣きした!」

「そうさなぁ……むつきを着けていた頃だ」

 ぎくっと肩を揺らした若者は、大慌てで抗議を入れると、白銀の偉丈夫はしたり顔でそう告げた。

「赤子なら、いつ大泣きしても当たり前だろうが! しかも! そんな昔のこと、記憶にあるわけがない。物心なんてついてないし」

「……つい最近の話だろうが」

「十六年以上昔の話だろうが、じじいめ!」

 不思議そうに小首を傾げる白虎に、熾闇はふんっと鼻を鳴らす。

「じじい……俺は、四神の中では一番の若輩者なんだがなぁ……そうか、じじいか」

 熾闇の言葉に、妙に感慨深げに呟いた白虎は、遠い目になる。

 永遠にも似た永劫の時を司る神は、人と同じ姿を形取っていても、その姿に何ら変化はない。

 瞬く間に人は一生を終え、その傍らに立ち、見守る形で取り残される白虎は孤独だ。

 天帝によって人間界に封じられ、眷属と会うこともなく、他の四神とも見えることもなく、移ろい流れる時の川を眺めているだけなのだ。

「白虎様……」

「そんな顔をするな、翡翠。おまえは聡すぎる。それでは心が疲弊してしまうぞ」

 苦笑した白虎は立ち上がると、翡翠の艶やかな黒髪を大きな手でゆっくりと撫でる。

「俺達には本当の意味での忘却はない。だから、いつでも会いたい者に会える。孤独でもないし、寂しくもない。これから先も、おまえ達の子に会うことができる。その孫や子孫達にもな。いい役所を貰ったものだと思っている」

 大らかな優しい笑顔で告げる白虎の胸に、翡翠は額を押し当てた。

 無条件で未来を信じられるのは若さゆえの特権だ。

 四神の中で白虎が若いと言われるのは、そのせいだろう。

 時を操る者でありながら、未来への希望を持ち続けられるのだから。

「さて、あまり翡翠を独り占めしていては、他の男達にやっかまれるな。それこそ役得だが、男の嫉妬は醜すぎるから見たくもない。小僧を連れて、部屋に戻れ」

「はい」

 素直に頷いた翡翠は、熾闇を促し、王太子府を出た。

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