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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
65/201

65

 それは、ある晴れた初夏の頃。

 穏やかな陽気に小鳥達も羽根を広げ、心地良さげに囀る朝。

 それは突然やって来た。


 その日も翡翠は璃穆に請われるまま、庭の散策に付き合っていた。

 璃穆も大分、王宮に馴染んだようで、与えられた居室の近辺なら自由に歩けるようになっていた。

「今日も良い風が吹いておりますねぇ」

 のんびりと、目を眇め、空を見上げながら、璃穆は呟くように言う。

「えぇ」

「そういえば、こちらに来て随分経ちますけれど、未だに白虎様にはお目にかかっていないのですが、もしかして、私は白虎様に嫌われているのでしょうか?」

「……」

 はいそうですとは答えられず、翡翠は首を傾げる。

 巍の太子の世話を続ける翡翠に構ってもらえず、拗ねた白虎はあちこちをふらふらと彷徨っているらしい。

「白虎様は風の神。この風のように気紛れで、捕らえ所のない御方でございますから……」

 そうとしか言いようがない。

「なるほど。もしかしたら、この風に乗ってお目にかかっているのに、私が気付かなかったと言うこともあるわけですね」

「はい」

 にっこりと笑って誤魔化した娘は、空から感じる視線に窘めるように見上げる。

 姿を現さなくても、どこかで水鏡越しにこちらの様子を眺めていることは、先刻承知である。

 以前はそれで驚いて、火焔樹の枝で指を切ってしまったが、今ではすっかり慣れてしまった。

「是非、白虎様にお逢いして、神仙界についてお教えいただこうと思っていたのですよ」

「それは……璃穆殿が良い風を掴まえられましたら、叶うことでしょう」

 当分の間は無理だろう。

 だが、熾闇を放って水鏡で様子を窺うくらいには、璃穆に興味があるのなら、叶うかもしれない。

 困った神だと、そっと溜息を吐いたときだった。

 慌てふためいた足音がこちらへと近付いてきた。


 護衛を務めていた犀蒼瑛と嵐泰が、素早く翡翠に目配せをする。

 それだけで、翡翠は足音が同僚のものであると悟った。

「軍師殿! 御無礼仕ります!」

 ざっと植え込みを掻き分けて姿を現したのは、莱公丙と笙成明であった。

「何事ですか?」

「は。上将はこちらには……」

「我が君がどうなさいました?」

 静かに、ゆっくりと問いかける翡翠の前で、莱将軍と笙将軍は見る間に落胆の表情を浮かべた。

「鬱屈が堪ったので、姿をくらましてやると……そう書き置きが……」

 自分たちの手落ちであると、小さくなりながら青年たちは畏まって答える。

「大変ではありませんか、翡翠姫。熾闇王子をすぐに捜さなくては」

 目を丸くした璃穆が即座に娘に話しかける。

 だが、翡翠の反応は違った。

 口許に手をあて、何やら考え込んでいる。

「半月以上も、よく保ちましたね。今までで最長記録ですね」

「三日も保たないだろうと思っておりましたよ、私は大損です」

 したり顔で頷く蒼瑛に、嵐泰が冷ややかな視線を送っている。

「藍衛と賭けでもしましたか? 相変わらず仲がよろしいこと」

「えぇ。一方的に嫌われております。これはもう愛ですね。毎日に張りがあって、これ程充実した日々を送れるのも久し振りですよ」

 嬉しげに告げる蒼瑛に、翡翠は苦笑する。

「さて。鬱屈の原因は執務ですか? それとも?」

「は。漣華姫だと思われます」

「困った御方ですこと。助かったと仰っておきながら……わかりました。莱将軍と笙将軍は、このままこちらに。わたくしが三の君様を執務室へお連れしましょう」

 熾闇逃亡の原因が執務ではなく客人であると聞かされ、さらに苦笑を深くした翡翠は、何でもないことのように告げる。

「ですが、城下へ降りられたのでは?」

「王宮内にいらっしゃいますよ。供をつけず、おひとりで降りられる方ではございませんから」

 熾闇は自分の立場を良く理解している。

 だからこそ、ひとりで城下を行動するようなことはしない。

 必ず、翡翠を供に連れて行くのだ。

 それができなければ、信頼を置く蒼瑛か嵐泰を。

 今その三人がこの場にいるとするなら、王宮内に留まっていると断言できる。

「璃穆殿、しばしの間、失礼いたします」

 柔らかい笑みを浮かべた翡翠は、ゆるりと一礼すると、踵を返して施政宮に向かって歩き出す。

 青年たちはそれを黙って見送るほか術はなかった。


 綺麗に整えられた庭を横切り、彼女達だけが知る近道を使って向かったのは、王太子府であった。

 穏やかな表情を浮かべたまま、彼女は自分の執務室でもある参謀室へと歩を進める。

 不意に足許に擦り寄る気配に、翡翠は苦笑した。

「白虎様」

 大きな白い獣が、彼女にじゃれついている。

「歩けません、白虎様」

 苦笑を浮かべ、抗議を申し入れる。

「歩いているだろうが」

「足がもつれそうになっていますよ」

「そりゃ失敬」

 飄々と嘯いた白虎神は、身体を彼女の脚に擦り付けるのをやめる。

「それから、覗き見もやめて下さいね。あまり気持ちの良いものではありませんから」

「悪かった! 怪我はもう良いのか? 俺が驚かせたせいだったろ?」

「えぇ。成明殿に手当をしていただきましたから」

「あれは、なかなか好い男だな。嵐泰と比べても遜色ない」

 何を比べてそう言っているのかは疑問だが、言葉自体に否やはない。

 軽く笑った翡翠は、ふと白虎に尋ねる。

「我が君がどこにいらっしゃるか、白虎様はご存知でいらっしゃる?」

「もちろんだ。この国の中なら、どこでも感じ取ることはできる。だが、言わなくても、おまえにはわかっているだろう?」

「そうですね」

 穏やかに微笑んだ翡翠は、参謀室にはいるとさらにその奥の中院へと向かう。

 歴代の参謀が疲れを癒した中庭が、ひっそりと開ける。

 それほど広くないが、ここの場所を知る者は参謀の任に就いた者と、その親しい者しかいない隠れ家的場所である。

 そこに、熾闇はいた。

「……我が君」

 階段に膝を抱えて座り込んでいた若者に声をかける。

「来たか」

 疲れた声で答えた若者は、彼女がここへ来ることを知っていたようだ。

「どうなさいましたか、白の若狼と呼ばれし御方が」

「言うな、その名は。俺の名とは違う」

 敵対国の兵士から異名を授けられた王子は、嫌そうに告げると、膝に顎を乗せる。

「疲れておいでですね」

 くすりと笑った翡翠は、熾闇の隣に座る。

 ふわりと甘く爽やかな香りが漂い、若者は目を和ませた。

「翡翠の香りだ。久し振りだな」

「そうでございますね。同じ王宮内でも、逢おうと思わなければ、会わないものでございますね」

「それが、堪えた」

 くしゃりと癖毛を掻き混ぜて、深く溜息を吐きながら正直に答える。

「漣華様でございますか? 真っ直ぐな瞳をしたとても美しい方だと思いましたが」

「うん。綺麗な方だと思う。何方かお好きな方がおられたのではないかな。時々、俺の中でその方を捜しておられるような眼差しをされるから」

「定かではございませんが、王子の中に想いを交わした方がおられたと伺っております。王がお亡くなりになられた直後、王子方の中で起こった争いに巻き込まれ、亡くなられたとか……暗殺されたと言った方がよろしいでしょうか」

「それは……辛いな」

 ポツリと呟いた熾闇は、目を伏せる。

「強い方だと思う。俺の反応を見て楽しんでいらっしゃるようだが、無理強いはなさらない。己の心を殺さないで、王として立とうとしている。好ましい方だと思うが、こればかりは、どうもな……」

「お眼鏡にかないませんでしたか」

「正直、わからない。違うという気はする。妃などいらん。俺には、一緒に駆けてくれる友さえいればそれでいい。おまえと草原を駆けている方が、どれだけ幸せか……ここは、息が詰まる」

 珍しく弱音を吐く熾闇に、翡翠は表面上穏やかな視線を注ぐ。

 乳兄弟以外に対しては希薄な人間関係を受け入れてしまう第三王子にとって、ここのところの客人と王宮の人の多さは、かなりの鬱屈になっているらしい。

「草原へ還りたい」

 還る場所は王宮であるはずなのに、そんなことを言い出す王子に、翡翠は苦笑を浮かべる。

 草原へ戻るとき──それは、戦に向かうときなのだ。

「風に吹かれたい」

 切実な願いを口にする若者は、かなり重症なのだと、翡翠は傍らに佇む白虎神に視線を向けた。

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