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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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60

 王宮の謁見の間には、奇妙なまでに緊張した空気が漂っていた。

 玉座に泰然と座する王には何の憂いも見られない。

 だが、傍に控える第四王子紅牙や列席する大臣達、そうして警護の者達も、この突然の使者に堅い表情を隠せないでいた。

 玉座の正面に用意された椅子。

 それだけで、相手の身分がわかる。

 まだ若い、二十歳を幾つか過ぎたばかりの青年である。

「さて、巍よりの使者殿。改めて話を聞かせていただこうかの」

 ゆったりとした口調で話しかける玉座の王は、さすが四神国の一画を担うだけの貫禄に溢れている。

 柔和な表情にくつろいだ様子で声をかける王に対し、巍の使者も落ち着いた様子を保っている。

 椅子から立ち上がった青年は、一歩前に出ると、そのまま膝をつき、頭を垂れる。

「突然の訪問に対し、この様なご厚意を賜り感謝に堪えません。私は前巍王孫子、璃穆と申します」

「今、前王と、申されたか?」

 颱王は、周囲の者達にも聞こえるようにゆっくりと尋ねる。

「はい。先日、我が国王陛下は崩御なさいました」

 璃穆の言葉に、僅かながらの動揺が周囲に走ったが、すぐにそれは収まり、静けさが戻る。

 事の重大さに気付きながらも、みだりに騒がない廷臣達にさすが四神国の者だと、青年は自国の官人と比べ、感心する。

「つきましては、我が国と貴国の極めて遺憾な状況に、次代王たる前王の第一王子より、お願いにあがりました」

 表面上は穏やかに、璃穆は恭順の姿勢をとりながら、滑らかな口調でそう告げる。

「ほう? 聞かせていただく前に、璃穆殿がお会いしたいと思っている者を呼んでもよいか?」

 取次の近従に耳打ちされ、頷いた紅牙が目配せするのに気付いた颱王は、緩やかに笑みを刷き、そう尋ねる。

「……は? えぇ」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、璃穆の表情が崩れる。

 落ち着き払っていた青年は虚を突かれ、無防備な表情を浮かべた後、相手が誰だか悟ると、表情を引き締め、頷いた。

「お召しにより、参上いたしました」

 重なるふたつの声。

 闊達な若者と清艶な乙女の穏やかな声が響き、その声の主と、二人の青年が姿を現した。


 誰が招かれたのか、その場にいる全員がわかっていたはずであったが、その意外な姿に誰もが目を瞠る。

 それほど、翡翠の正装姿は珍しく、目を惹くものであった。

「ふたりとも、これへ……おや、そなたがその様な姿であるとは珍しい」

 招き寄せた颱王が優しげな表情を浮かべ、目を細める。

「璃穆殿、紹介いたそう。これが我が三の息子、熾闇と、我が姪、綜翡翠である」

「巍の璃穆と申します。以後、お見知りおき下さい」

 顔を伏せたまま、青年は名乗る。

「我が息子と姪よ、璃穆殿は巍国王の訃報を新王の名代として知らせに来られたのだ」

「初めてお目にかかる。我が名は熾闇。王太子府軍を預かり、大将を任じられている。この名は、貴殿にとっても忌まわしきものであろうが、それは戦場でのこと。今はしばし赦されよ」

「同じく王太子府軍が副将、また女子軍を預かります綜翡翠と申します」

 王の言葉に、挨拶の言葉を述べた二人は、余計なことを言わずに王の膝元へ寄ると、その場に座る。

「では、先程の続きをお聴かせ願おうか。巍の新王は、我が颱に何と申されるか?」

「はい。前王からの綜家の姫君、翡翠姫への求婚を破棄、それに伴い、我が国が一方的に行っておりました戦の停戦及び和平を願いたいと。この様な申し出、誠に勝手ではあると重々承知の上でございますが、何卒、お聞き届け下さいますようお願い申しあげます」

 颱王に促され、璃穆は覚悟を決めたようにそう告げる。

 自分勝手な申し出と言われても仕方がないことだと、巍でもわかっていることだ。

 申し出が気に入らなければ、使者の命は消える。

 それがわかっているために、この役は相当な覚悟が必要だ。

 そうして、捨て駒では許されない立場の者が使者として立たなければならないことも重要な鍵となってくる。

 それゆえ、前王の孫であり、新王の第一子である璃穆がこの役目を与えられた。

 何としても果たさなければ、生きて巍へ戻ることのできない役目を、璃穆は苦笑しながら引き受けたのだ。それは、四神国がその名にかけて、使者を不当に扱わないことをよく承知していたからだ。

「ふむ。和平は願ってもないことだが、確かに勝手な申し出である。前王から我が姪への求婚は、あくまで翡翠が学ぶべきものが多いため、成人まで返答を待っていただきたいと申したにもかかわらず、力尽くでもと兵を挙げたは、頑是ない子供のような前王の不明。それを死したから無いものとせよとは、どうであろうかのう」

 玉座の肘掛けをとんとんと指先で叩きながら、王は思案げに笑う。

 父の対応を熾闇は不快げに見守る。

 大国であるがゆえに、国との国の駆け引きを疎かにすることはできないことは、熾闇にもわかるのだが、このような勿体ぶった態度を取ることは、彼には到底真似できない。

 これが王の条件なら、絶対に王にだけはなるまいと、その表情が正直に伝えている。

「もちろん、すべて無いものにはできませぬ。戦で死した者達は、帰ってはきません。前王の愚行を諫言できずにいた我々の咎も……それゆえ、父より颱国の皆様へお渡ししたいものを預かって参りました」

 伏せていた顔を上げ、璃穆は背後へ合図する。

 彼に従っていた小者が、塗盆に乗せられていた封書を掲げ、前へ進み出る。

 近従がそれを受け取り、紅牙の元へと運ぶ。

 紅牙はその封を開け、書状を取り出すと、父王へと差し出した。

 書状のの中身は目録である。

 巍国の特産である宝玉の数々と、金銀を、補償として贈ると書かれてあった。


 書状に目を落とす颱王を見つめる璃穆にも、この時ばかりは緊張が走る。

 巍の国庫が空になる覚悟で認められた目録を、颱王が受け入れれば巍は生き残るが、そうでなければ滅びるしかないのだ。

 四神国の民は、非常に誇り高い。

 祖父王が翡翠にした無礼を許し難いことだと思っていることは、戦の折り使者として立った者達から聞いている。

 そうして、その返礼が巍の滅亡ではないかという憶測も、おそらく間違ってはいないだろう。

 普段は温厚で眠れる獅子の颱ではるが、一度牙を剥けば、その牙から逃れる術はないのだ。

 彼等が鷹揚なことを良いことに、調子に乗りすぎてその鋭い顎に砕かれたのは、両の手では足りないほどだ。

「さて、どうしたものか」

 目を通し終えた颱王は、書状を紅牙に渡すと、のんびりとした様子で呟いた。

「この場での即答はしかねるな、使者殿」

「無論でございます」

「返答するまで、しばしこの王宮でくつろがれるがよい」

 その言葉に、璃穆は深々と一礼することで応える。

「颱王陛下に今ひとつ、お願いがございます」

 そのままの姿勢で、青年は言葉を紡ぐ。

「璃穆殿、何なりとお申し出下さい」

 そう答えたのは紅牙であった。

「私は、常々颱の文化、その施政を学びたいと思っておりました。どうか、遊学のご許可を頂きたく」

「颱と巍とでは、いささか趣が異なるようにお見受けしますが、断る理由はございませんね」

 双子の兄王子は、父王の表情を読み取り、そう応じる。

「そなたの世話は、翡翠に任せよう。何なりと翡翠に申すがよい」

「は……ありがとう存じます」

 鷹揚に告げる颱王の言葉に、一瞬、璃穆は固まった。

 とんだ皮肉である。

 無体を強いられた国の王子の世話をせよと命じられて、素直に世話をするようなお人好しなどこの世にはいないだろうと、青年は伏せたままの顔を顰める。

 だが、所詮差し出された人質の身分である。文句を言える立場ではない。

「翡翠姫にはご迷惑をおかけすることと存じますが、何卒、よろしく御願い申し上げます」

 淀みなく決まり文句を告げた後、璃穆は顔を上げ、初めて綜翡翠の顔を見た。

 玉座の膝前に座る若者と乙女。

 想像以上の美貌の持ち主達に、快い驚きを禁じ得なかった璃穆は、翡翠の瞳がその名の通り碧の宝玉のようだと感動しかけたその瞬間だった。

「北と西とでは、気候も何もかも違うことでしょう。何なりと仰って下さいませ。できる限り便宜を図りますゆえ」

 玲瓏たる美貌の紅唇から、やや硬質な、だが不思議と暖かみのある声が紡ぎ出される。

 声と美貌、そしてその気配に、目が離せなくなった。

 魂が絡め取られてしまうと、どこかで警鐘が鳴るのを聞きながら、璃穆は笑みを浮かべる。

「ありがたいお言葉、嬉しく思います」

 礼を述べながらも、璃穆は翡翠が引いた紗のような柔らかな線に気付いた。

 巍で噂に聞いていたとはまったく異なる異国の美姫の姿に、改めて祖父の愚かな行動を忌まわしく思う。

 この姫を、ひと目でも間近で見ることがあれば、この様な愚かな真似をしなかったに違いない。

 颱を手に入れるため、この姫を娶る必要があるのなら、わざわざ力尽くで事を大きくする必要性はまったくなかったはずだ。

 自分は自分のやり方で、この美しい姫を手に入れようと、熱心な視線を彼女に送る。


 予想通りか、あるいは否か、この展開を忌々しく思う男達の視線が、璃穆に注がれていることに、彼はまだ気付いてはいなかった──

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