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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
6/201

 楽の音を遠くまで運ぶかのように、心地よい風が吹き渡る。

 新年を祝う風舞の舞台では、女舞に続いて男舞が披露されていた。

 華やかな女舞と違い、男舞は勇壮な戦勝祈願の舞である。王族男子が、その年の勝利を祈るために力強く舞う。

 その舞を気に入っているかどうかは、白虎が送る風でわかる。

 非常に上機嫌であれば、彼が紡ぐ風は人に心地よいものとなる。

 現在、彼はこの舞をお気に召した様子で、爽やかな風が送られている。

 玉座の上段に設えた席が、颱の守護神、白虎の座する場所であるが、彼の姿は見えない。

 さて、彼が今どこにいるのかというと、玉座より少し離れた王族の座所であった。

 王子達が座るその後ろに、従者の席がある。

 第三王子の従者の隣に、彼はいた。

 新年を祝う行事ということもあり、正式な軍師の礼装に身を包んだ少女の膝の上にちゃっかりと頭を乗せ、ごろごろと喉を鳴らして御機嫌である。

 これでは、男舞に満足しているのか、お気に入りの少女の膝を堪能しているのか、判断に苦しむところである。


「……よく、あの熾闇を説得できたなぁ、綜家の娘」

 舞台の上で煌びやかな衣装を身に纏い、ゆったりとした楽に合わせて力強く踊る少年を暢気に眺め、のんびりと白虎は呟く。

 白く長い尻尾をゆらゆらと神楽に合わせて揺らし、大変楽しそうである。

「将棋の勝敗で賭けました。もし、熾闇様がお勝ちになりましたら、他の御子様に舞をお願いすると……」

 内緒ですよと声をひそめて告げた翡翠の言葉に、白虎は大いに受けた。

「あの単純馬鹿の熾闇が、おまえに敵うはずなかろうになぁ? 翡翠」

 ぶくくくくっと、吹き出した神獣の言葉は容赦ないが、それゆえ彼が守護する者達への深い愛情が感じられる。

「単純馬鹿とは酷い言い様ですね、白虎様。我が君はそこまで直情型ではありませんよ」

 詰るような響きを持たせて告げる少女の声音にも、怒ったような素振りはまったく見えない。

「だが、そうだろう? あれの気性は真っ直ぐすぎて、非常に心地よいが、時々それが心配になる」

「つまり、ご自分がからかうには最適の相手ですが、他の者がからかうのは許せないと、そういう意味ですか?」

 白虎に促されるままに、彼の頭を撫でていた翡翠は、ふと手を止め、真面目な表情で訊ねる。

「……俺も人のことを言えんが、おまえも相当口が悪いぞ、綜家の娘」

「わたくしは、あなた様に育てられたようなものですから、育ての親に似てしまったのですね。困ったものです」

 ふと気付いたように告げる神獣に、即座に切り返した娘は、しばらく無言のまま、お互いの顔を見つめ合う。

 小さく吹き出した守護神と人間は、声を殺して笑い合う。

「本当に、人にしておくのは惜しいな、おまえというヤツは。どうだ、翡翠? いっそのこと、俗世を捨てて昇仙しないか?」

 くつくつと笑った虎は、面白そうに尋ねる。

「その俗世に未練がございますれば、どうかご容赦を」

 柔らかな笑みを浮かべ、男装の麗人は風舞の舞台に目を戻す。

 緩やかな音楽からどんどんテンポが速くなり、舞手の技量を容赦なく暴いていく。

 普段は剣や馬といった武術に勤しむやんちゃな男の子らしく、一切、舞に興味を持たない熾闇だが、意外なことに舞手の才能は充分あるようだった。

 白虎の頭を撫でていた軍師は、彼の喉を擽るように撫で上げ、笑みを浮かべる。

「そろそろ舞が終わるようですね。我が君をお迎えに上がらねば」

「…………相変わらず、あの坊主を甘やかしてるな、おまえは」

 面白くなさそうにボヤく白い神獣に、碧軍師は苦笑した。

 それでも素直に少女の膝から頭を退かし、ゆるりと立ち上がると、少女を見つめる。

「このお役目はしばらくの間ですから……我が君に相応しい姫君が現れるまで、ほんの一時のこと。その後は、ただの軍師に戻ります」

 小首を傾げ、柔らかに言う少女の黒髪がシャラリと音を立て、彼女の表情を隠してしまう。

「……それで良いのか?」

「我が君は、わたくしのことを『親友』と呼んで下さいます。臣下の身に、勿体ないことにございますれば、わたくしは、それに相応しい者でありたいと願っております」

 本心からの言葉に、白虎は躊躇う。

 神獣は国を護るもの。

 王を定めるもの。

 いつか、次期王の名を彼は口にしなければならない。

 現在定めたるは、次期正妃のみ。

 彼女が選ぶ王子こそ、次期王となる。

 だが、その名を口にすることはできなかった。

 まだ彼等は幼い子供だ。

 白虎から見て、儚い命の人間の中にありながら、彼等はさらに短い日数しか生きてはいない。

 そんな彼等に、残酷な運命を押し付けるわけにはいかない。

 右手に絹布、左手に軍配を持ち、舞台の退場口へと向かう男装の少女を見送りながら、白虎は、これから起こるべき事象に、思いを馳せた。


 ふわりと身を包む優しい風に、碧軍師は柔らかく目を細めた。

 颱国唯一の女性軍師の身を護るかのように、彼女の隣には彼の国の守神たる白い虎がゆったりと歩を進めている。

 緑なす黒髪を背に流し、その端を邪魔にならぬよう瞳と同じ綾紐で結い、滑るように歩く姿は、まだ幼さを残してはいるものの大軍を率いるのに相応しい貫禄が漂っている。

 珍しく煌びやかな軍師の礼服に身を包む彼女は、性別を越えた美しさ、華やかさがある。

 忙しく立ち働いていた女官達が、翡翠の姿に気付き、目の保養が出来たとばかりに嬉しそうに囀る。

「綜翡翠殿!」

 彼女が仕える三の王子の許へ向かう途中、少女は若い男の声に呼び止められた。

 聞き慣れぬ声にかすかに眉をひそめ、足を止めると顔だけ向ける。

 回廊の向こうから、煌びやかな衣装に身を包んだ若い男、少年と言っていい年頃の若者が大急ぎでこちらへとやって来た。

「これは、禮吏殿。わたくしに何か?」

 隣国の晋の世継ぎの君の登場に、翡翠は訝しげな表情を浮かべる。

 彼女より三才ほど年上の少年は、軍師の礼装に身を包む少女の手前で立ち止まると、礼儀正しく目礼をする。

「この様な場所で、あなたを呼び止めるとは無礼も承知。どうぞお許しを。ですが、どうしてもあなたにこの胸の内を申し上げたくて……」

 颱国と国境を接する晋は、彩とは違い、颱との友好を望んでいる。

 その条件として、晋は次代国王の正妃に綜家の娘を貰い受けることを申し出た。

「此度のこと、お腹立ちでしょうが、どうしてもあなたに本当のことを告げたくて、あなたにお逢いするためにこちらへ参りました。晋は確かに颱との友好を望んでいます。そのために、あなたを我が正妃と申し出たのではありません。私はそのような婚姻を望んではいません。ただ、先の羌との戦いのおり、熾闇殿の傍に控えていたあなたの姿が忘れられず……そのことを父に申したため、この様なことに……」

 自分の不用意な言葉のせいで、彼女を政治的取引の道具にしてしまったことを詫びる少年に、翡翠はわずかに微笑んだ。

 この王子は、真っ直ぐに愛情深く育てられた子供なのだろう。

 翡翠を道具ではなく、ただ一人の人間として自分の傍に望みたいと、真摯な瞳が告げている。

「禮吏殿のお心、ありがたく思います。ですが、このお話、わたくし個人の問題ではないことも確かでございましょう。わたくしは、この颱国の一兵卒。すべては我が王、そして白虎様の御心のままにございます。和平のため、この身が役に立つのなら、慶んでわたくしは晋へと嫁ぎましょう」

 柔らかな口調で告げる碧軍師に、晋の王太子の瞳に失望が浮かぶ。

 彼が望むものは、永久に手に入らないとわかったからだ。

「えぇ……そうなることを、心よりお待ち申し上げております」

 笑みを浮かべ、軽く頭を下げた少年は、昂然と頭を上げると、踵を返し、自らの席へと向かった。

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