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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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56

 すらりと音もなく剣が鞘から引き抜かれる。

 きらりと白刃が陽を弾く。


 構える間もなく神に奉納する剣舞が始まる。


 颱の民が敬愛する白虎神にではなく、運命を紡ぎ織る機織姫の錦絵を彩るために。


 一度剣を手に取れば、そこに築き上げる人の山──と詠われたように、第三王子と綜家の末姫は無駄のない動きで殺戮者を地に沈めていく。

 だが決して、命を奪おうとはしない。

 絶妙の見切りで、死には至らず、しかし容易く身動きができない程度の傷を負わせ、彼等の動きを封じていく。

 それは殺すよりも遙かに難しく、そうして正確で高い技術が必要である。

 命を狙ってくる相手に対し、相当の自信と余裕がなければならず、簡単にできる技ではない。

 だがそれは、ある意味、殺すよりも容易いことであった。

 黒髪が宙に舞い、その残像を目で追いかける前にひとりが地面に沈む。

 ふわりと長衣の裾が揺れ、飾り房が踊る。

 たったふたりしかいないはずなのに、彼等の目にはその倍以上の人間がいるように映る。


 それが、戦場を──地獄絵図を知る者と、そうでない者の差であろう。


 たったひとりの人間を死の淵へ追いやることに舞い上がっている者達と、揺るぎ無く冷静に対応する者達と、その差は大きい。

 これ以上もなく冷徹な眼差しで相手を見つめ、そうして相手の弱点を見抜くと間髪おかずにそこを攻め立てる。

 常に背を合わせ立つ若者達に死角はない。

 お互いの力量を呼吸するほど自然に把握しているふたりにとって、互いの姿が見えないことなど何の障害にもならず、相手の動きを妨げるようなことは一切しない。

 最高の舞手による剣の舞を目にする栄誉を手に入れたのが、一個小隊の兵士達だけというのは無粋極まりないことだった。


 半時もしない内に勝敗は簡単についた。

 一個小隊をたったふたりで地に沈めた若者達は、剣についた血糊を丁寧に拭き取る。

「……な、ぜ……?」

 地面に倒れ伏しながら、男達は第三王子と綜家の末姫に問いかける。

 何故、敵である者を殺さないのか、と。

「私達はこの国を護るためにいます。あなた方は敵である前にこの颱の民です。護るべき者をどうして殺せるでしょう?」

 穏やかに答える翡翠に、熾闇も頷く。

「それだけの怪我なら、おまえ達の主人も諦めるだろう。小隊を率いたところで敵う相手ではないと、そう伝えるが良い。戦場ではそれが当たり前なのだし、その程度では相手にはならんとな。仮にも一国数万の敵を相手取る軍師に、戦場を知らぬ貴族の私兵がどう戦うというのかとな。それにな、翡翠は貴族の姫だが、未成年ながら王太子府に属する公人だ。下手に手出しをすれば、理由はどうであれ、騒乱罪が適応されるぞ」

 痛い処を突かれた男達は、唇を噛み締め、黙り込む。

 武官とは言え、官人である翡翠に害を為せば、殺人致傷罪だけでなく、国を揺るがせたという騒乱罪が適応されるのは、当然のことである。無位の貴族の姫ではなく、高位の官人なのだ。女子軍大将、王太子府軍副将、そうして軍師を兼任している武人は、卿と同じ位になるのだ。

 卿は諸侯の下、大夫の上位に当たり、卿伯と呼ばれることもある。

 生まれもった家柄ではなく、己の実力だけでこの地位へと若年にして登り詰めた翡翠を相手にするのは、確かに得策ではない。

 欲に狂った主にはそのことがわからない。

 それが、彼等には哀しかった。


「殿下! 軍師殿! こちらに居られましたか」

 剣を鞘に収めたとき、よく知った声が彼等の耳に届いた。

「蒼瑛殿」

「何だ? どうかしたのか?」

 洒脱を好む青年の登場に、ふたりは顔を見合わせ、不思議そうに問いかける。

「どうかしたのか、ではありませんよ。それはこちらの台詞です。何やら不穏な動きがありましたので、嵐泰とふたりでお捜し申し上げておりました」

 渋面を浮かべ答える青年は、彼等の背後にちらりと視線をくれると溜息を吐く。

「やはり、こういう事だったわけですね」

「今回の件は、私事です。殿下は一切関係ございません」

 さらりとした口調で熾闇を庇った翡翠は、主を促し、蒼瑛の許へと歩き出す。

「そういう問題ではないことをご承知で、そう仰るわけですか。お小言は性に合いませんが、場合によっては嵐泰に言わせますよ?」

「……あのな」

 こういう場面でも真面目な表情を作って冗談を言う蒼瑛に、熾闇はがくりと肩を落とす。

「仔細は後でお伺いしましょう。それより、お召し替えの必要がありますね。わたしの屋敷へ参りましょう。この近くにありますし、嵐泰も来ることになっております」

「承知しました、蒼瑛殿。お手を煩わせて申し訳ありません」

 素直に礼を言う翡翠に軽く首を横に振った蒼瑛は、供であった小者を呼び寄せ何やら耳打ちすると送り出す。

「蒼瑛?」

「警邏の者へ通報するよう言い付けました。この場所では、この者達の仲間も見つけられますまい。せっかく助けた命を無駄に散らすわけにもいかず、さりとてのうのうと帰すのも癪ですから」

 澄ました顔で告げる蒼瑛だが、その飄々とした態度とは異なり、しっかりと怒りを抱えているらしい。

 誰に対してとは、ちょっと怖くて問いかけられない年少ふたりであった。

「あの……蒼瑛殿。正直に仔細お話しいたしますが、何卒、陛下と兄上には内密に願えませんか? 事が公になると、困ることがありますゆえ」

 おそるおそる翡翠が声をかけると、美丈夫は片眉を器用に跳ね上げた。

「おや? 右大臣殿には申し上げてもよろしいと?」

「えぇ、まぁ……申し上げなくても、城下で起こったことは把握されてると思いますので」

 仕方なさそうに答える娘は、ちらりと背後に視線を走らせる。

 倒れ伏した男達は、その半数が気を失っているようだった。

「嵐泰に遣いを出さなくても良いのか?」

 この場にいない青年のことを尋ねた熾闇は、それが愚問だったことに気付く。

 この青年のことだ、抜かりなく小者に言い付けていたことだろう。

「いや、いい。世話をかけるが、よろしく頼む」

 高貴な血筋とは思えないほど気さくに告げた王子は、従妹を促し、犀家へと向かった。

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