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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
55/201

55

 私塾帰りの良家の子弟といったふたり連れが、呑気な様子で市を歩く。

 道具屋へ寄り、楽器屋を覗き、興味津々というような表情で、あちらこちらをそぞろ歩く様子は、世俗の知らぬ年相応な若者に見える。

 主の命を受け、そのふたり連れを付け狙う男達は、予想外の展開に眉をひそめる。

 黒髪の若者の命を絶つよう言われたものの、それが綜家の末姫で、歴戦の勇将には到底見えない。

 滅多に人前に姿を現さず、付け入る隙も露ほどもないと言われているはずの智将は、あまりにも無防備で、無警戒であった。

 噂に聞く、絶世の美貌とは異なり、確かに顔立ちは整っているようだが、それほどでもないと思える。

 一体、彼等の主は何をそこまで気にしているのだろうかと、首を傾げたくなるほどだ。

 隣を歩く王子の打ち解けた様子に、仕方がないと思える気もするが、それはあまりにも気の回しすぎだと断じることも可能だ。

 機会を窺っていたら、幸運にも王子と姫君がふたり連れで王宮を抜け出し、市へと向かう姿を発見し、手勢を集めるために仲間を呼び、そうして数人掛かりで一定距離を分担して後をつけていたが、ようやく人数が揃い、あとは舞台を用意するだけとなった。

 さすがに市の中では人目がありすぎて、襲うわけにはいかない。

 しかも、王子は無傷に、姫君だけ命を奪うという条件では、暗殺を得意とする者なら市は好条件だろうが、彼等には良い舞台とは言えない。

 どこか都合の良い場所はないかと、一定距離を保ちながら二人の後を追っていたところ、何かを見つけた様子のふたりは大通りから外れ、横道に入る。

 しかし、後を追う彼等に気付いた様子はない。

 本当に彼等が常勝軍を率いているのかと疑問に思っていた彼等だが、ふとあることに気付く。

 王族が首領として名を連ねている軍は、その脇を固める将に名将が多い。

 彼等が己の武勇を主に捧げているという線も考えられる。

 いや、そうに違いないと、彼等は都合の良いことを信じた。

 これは、楽な仕事だと、そう思い込み、気を緩めた瞬間、前を歩いていたふたりの姿が消えた。


「何方をお捜しですか?」

 慌てふためく彼等の背後から、穏やかな声がかけられる。

「!?」

 ぎょっとして後ろを振り向いた彼等の視界に黒髪の若者が気配もなくひっそりと佇んでいた。

「……いつの間に……」

「一個小隊か。短時間で良く集められたな」

 脇にある路地から闇色の髪の若者が姿を現し、感心したように呟く。

「何の用だが知らないが、たったふたり相手に一個小隊とは、些か大袈裟過ぎやしないか?」

「我らは殿下に仇なす者ではございません。そちらの御方に折り入ってお願いがございまして、お迎えに上がったしだいにございます」

 熾闇に対し、礼儀正しく膝を折り、叩頭した男達は、用意された言葉を口にする。

「ほお。それはますますもって面妖な。大臣家の姫の迎えに兵士を寄越すとは、穏やかではないな。ついでに言えば、そいつに指一本でも触れた時点で、俺に仇なしたとみなすぞ?」

 尊大な口調で告げながら、熾闇はゆったりとした足取りで翡翠の許へと向かう。

 命を狙われたときは、互いの死角を無くすため背中合わせに立つか、敵の兵力を分散させるために敵の背後を取るべきだが、彼等の狙いが翡翠だけとわかった若者は、間に自分が立つことで直接翡翠に狙いを定まりにくくしようと考えたのだ。

「浅黄の姫は、お元気ですか?」

 不意に翡翠が問いかける。

 その言葉に、男達は取り繕う間もなく反応する。

「……浅黄? 誰だ、それは」

「もうお忘れですか? いつぞやは、従兄弟殿の寝間に遊びに来られた姫君でございますよ」

 不思議そうに問いかけた熾闇に対し、宝玉の瞳を持つ娘は、からかうような口調で答える。

「あぁ、あのば……」

 思わずポロリと言いかけた若者は、はっとしたように口を押さえる。

「……いや。顔は覚えておらんが、個性的な姫君だったな」

 辛うじて取り繕った第三王子は、ちらりと隣に立つ娘に視線を向ける。

 常日頃は臣下の立場を崩そうとはしない翡翠が、何故この場面で血縁関係を重視する呼びかけをしてきたのかと、不思議に思ったせいもある。

「なんだ? この者達はその姫の衛士だというのか?」

「はい。何度か王宮で見かけました」

「ふぅん。読めてきたな」

 落ち着いた様子で答える親友に、若者は、ゆったりと頷いた。

 藍衛が参謀室で女官を侍らせていたのもこのためだったのだと、将軍としての彼は悟る。

 何らかの事情で、藍衛は翡翠を狙う者の存在に気付いたのだ。

 王宮内でのことを最もつぶさに知るは女官である。

 今彼女は、その面とは裏腹に、必死になって情報を集め、そうして何らかの手を打っている最中に違いない。

 己の価値を良く知る女将軍は、あの夢のような美貌と巧みな話術を用いて己にできる最善のことを尽くしているのだろう。それほどまでに、彼女にとって翡翠はかけがえのない存在であるのだから。

「翡翠、隠形を解いてやれ。本心はどうであれ、礼を尽くす相手に姿を偽って対するは、褒められたことではないのは確かだ」

 隣に立つ親友に、若者は穏やかさを装って声をかける。

 その言葉の意味を取り違えるような翡翠ではなかった。

 本意を確かめるようにちらりと主を見やり、そうして溜息を吐くように目を伏せる。

 視線を上げたときには、まるで別人のような娘が立っていた。


 特に何をしたというわけではない。

 ただ、伏せていた目を上げただけだ。

 たったそれだけのことで、先程いた若者とはまるで異なる雰囲気の娘が佇んでいる。

 艶やかな黒髪も、新緑の瞳も、変わってはいない。

 しかしながら、先程よりも漆黒の髪は銀粉を馴染ませたように艶やかに光を弾き、宝玉のように輝く瞳は色を濃く増している。

 全身を包む覇気が光を放つかのように彼女を彩り、そうして顔立ちすら変わったように感じさせる。

 どこにでもいるような顔立ちがよい若者から、冬空に輝く冴えたる蒼星のような娘へと姿を変えたその娘に、兵達は息を飲んだ。

 陽に焼け、金色の鞣し革のような肌の熾闇と対照的に、透けるように白い肌の翡翠。

 お互いがお互いを寄り一層引き立てる見事な一対。

 並び立つとなおさら翡翠の美貌に酔いしれる。

 彼等の主が、何故も執着に似た憎悪を彼女に滾らせていたのかが、今やっと彼らに判った。

 ひと目で恋い焦がれた相手には、魂の半身とも言うべき者がいる。

 その絆は生半可なものではなく、割って入ることなど誰にもできないと、見た瞬間に悟らずにはいられない。

 だからこそ、できることならその半身に成り代わりたいと憧れ、追いつけない自分との差に気付き、憎悪せずにはいられなくなるのだろう。

 これは、確かに逆恨みの類である。

 実際、いくら翡翠と熾闇が近しい間柄だと言って、即生々しい関係にあるかと問われれば、否と誰が見ても即答できる。

 親離れの時期間近な仔狼の兄弟がじゃれ合っているようにしか、映らない。

 この先どうなるかは、わからないが、それでもしばらくはそのままの関係であることは誰の目にも明らかだ。

 それでも、命は命。

 主から与えられた命を果たさなければ、彼等に存在意義はない。

 例え、それが誤りであっても、失敗することは許されないことなのだ。

 幸いにも、彼等は一個小隊揃っている。

 たったふたり相手に手間取ることなど無いだろう。

 隊長格の男がゆっくりと立ち上がり、仲間にさり気なく合図を送る。

「無駄に命を散らせることもないでしょうに……」

 澄んだ声に哀しみが滲む。

 そこに潜む自分自身への信頼を感じ取り、彼等は僅かに眉をひそめる。

 一個小隊相手に、彼女は勝つつもりなのだと理解して、慌てて周囲の気配を探る。

 伏兵を潜ませておいたのかと思ったのだ。

「安心しろ。今日は、間違いなくふたりだけで出掛けたのだから、邪魔な輩はおらん。ふたりだけで、充分だしな」

 にっと太い笑みを浮かべて、熾闇が断じる。

「と、いうより、俺と翡翠の命を狙うなら、一個小隊では足りんぞ。せめて中隊を揃えんとな」

「手出しをなさるおつもりですか? あちらの狙いはわたくし一人だとわかっていますのに」

 どこか呆れたような素振りで、翡翠が口を挟む。

「こんな面白い話、黙って眺めてろとは、冗談きついぞ、翡翠! 本命は藍衛に譲ったのだから、せめてこちらは遊ばせてもらわねば割にあわん」

 実に楽しげに笑った若者は、剣の柄に手をかけた。


 市から通りふたつばかり先の小路で、血生臭いやりとりが始まろうとしていた。

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