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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
53/201

53

 第三王子が花街で騒動を引き起こしている最中、王宮でもちょっとした騒ぎが起こっていた。

 王太子府参謀室に現れた旅装の美丈夫がその種だった。


 取次役の小姓が、何処か怯えたような表情で、翡翠に助けを求めるように見つめながら、その名を告げる。

「碧将軍に、お会いしたいと……劉藍衛様が……」

「藍衛殿が? お会いしましょう。あなた方は下がっていてよろしいですよ」

 何故、小姓達が怯えているのかを承知している翡翠は、僅かばかりに苦笑を浮かべ、彼等が望む言葉を口にする。

 ぱっと表情を輝かせた小姓達は、すぐに深く腰を折って礼を施すと、客人に案内を告げ、そそくさとその場を立ち去った。

「劉藍衛、只今戻りました!」

 凛とした響きを持つ、だが低く掠れる甘い声が、戸口からかけられる。

「どうぞ、お入り下さい。良く戻りました、藍衛殿」

 筆を置き、扉に顔を向けた娘は、柔らかい声で告げる。

「失礼いたします」

 静かに扉が開けられ、現れたのは乙女の夢を具現したかのような美丈夫であった。

 伊達男として名高い犀蒼瑛と張り合えるほどの容姿の持ち主が、翡翠の姿を捜すように室内を軽く見渡す。

 クセのある藍色の髪と黄金色の瞳、蒼瑛よりも拳ひとつ背が低く、そうして痩身だが、その容姿と滲み出る凄艶さは見る者に忘れがたい印象を与えるだろう。

 翡翠の姿を認めた途端、黄金色の瞳が僅かに揺れ、甘やかに潤んだ。

「わたしの、宝玉の姫」

 掠れ気味の声が、そっと囁く。

 藍衛は大股で翡翠の傍に近寄ると、彼女の前で膝をつき、その右手を掴み取ると手の甲に唇を寄せた。

「お久しゅうございます、わたしの姫。また一段とお美しくなれましたな」

 うっとりとしたような視線で主を見上げ、そう囁く。

 翡翠は軽く肩をすくめて苦笑する。

「そう仰る藍衛殿も相変わらずでございますね。藍衛殿がお戻りになられるときはすぐにわかりますよ。女官達が囀りますから」

「つれないお言葉。この命、姫君のためにございますものを」

「蒼瑛殿と同じ様なことを仰っておりますよ」

 何気なさを装って返された言葉に、藍衛は見事に反応した。

 実に嫌そうに、整った顔が固まる。

「仲のおよろしいこと」

「ご冗談を! わたしは、世の中の男は嫌いですが、とりわけ、あの男を憎んでおります」

 きっぱりとした口調で告げた美貌の武将は、がちゃりと武骨な音を鳴らして立ち上がる。

「蒼瑛殿は、あなたのことがお好きですよ。あなたに女子軍の大将の座を任せるべきではと進言して下さるほどに」

 その言葉に、藍衛は思いっ切りそっぽを向いたことは、言うまでもない。


 劉藍衛──その名は、翡翠と同じく、男でも女でも使用できる上に、生まれもっての性格、性質、そうしてその容姿から、どう見ても女性には思えないのだが、医学上は立派に女性であった。

 武で名を馳せる劉家の長姉として生まれ、幼きときからの武勇談は数知れず、様々な軍団で功を立てた後、王太子府へと転任したのが蒼瑛や嵐泰と同じ頃だったが、嵐泰はともかく、蒼瑛とは反りが合わず、見かねた翡翠が女子軍へと引き抜いたのだ。

 もちろん、その頃はまだ幼かった翡翠が彼女の性質を良く理解できず、今頃になって早まったことをしたのではないかと考え込むようになったのは内密のことであるのだが。

 藍衛は、とにかく女性がとても好きだったのだ。


 藍色の髪の武将の性癖はともかく、その能力は疑う余地はないため、翡翠は女子軍の副将の地位を任せ、そうして一年ほど前に諸国の様子を探るようにと彼女をひそかに颱から送りだしていた。

「まずは、巍軍との戦、おめでとうございます。やはり、あの狸爺は穴蔵から出てはきませんでしたか。姫のお許しがあれば、このままあやつめの首を射抜いて参りましょうに」

「藍衛殿。あちらについては」

 ゆっくりと首を横に振った娘は、柔らかな笑みを浮かべる。

「旅の話をお伺いしましょう。そちらにおすわりなさい。お茶の用意をしますから」

 来客用の卓を示し、座るように命じると、翡翠は立ち上がり、お茶の用意を始める。

「主将! その様な仕度なら、女官にお任せなさい。いつも申し上げておりますでしょう。部下に、そのような気を遣うものではありません。我らは駒。例え、毒を盛られ、果てようと、主を守ることができれば、それで至福を持って泰山に昇りましょう。あなたが気を回すのは、あの王子だけでよいのです」

 茶碗に手を伸ばそうとしていた翡翠の手を取り、藍衛は耳許で囁く。

 その言葉に、翡翠は視線を上げる。

「ご存知でしたか……相変わらず、早耳ですね」

「暗殺に毒を使いたがるのは女のやり口……先程、こちらにあがるとき、匂いのしない女官が数名おりましたから」

 黄金色の瞳に気遣わしげな光が宿る。

「姫が私に茶を煎れてくださるのはいつものこと……ですが、来客がないのにすでに湯を用意してあることに不審を抱きました。その様子では、すでに何度か、湯に毒を混ぜられましたね」

「他の方々は気付かれなかったのに、藍衛殿は聡い。これでは、その様なことはないと申し上げられませんね。我が君はもちろん、他の皆様には内密に願います。益体もないことですから」

 穏やかに答える翡翠に、藍衛は眉間に皺を刻む。

「何方が何の為に姫のお命を狙っているのか、ご存知のようですね。わたしはあなたの副将として、聞く権利があると思いますが?」

「仕方ありませんね……わたくしが、王の姪だからですよ」

 何処か投げやりな口調で、娘は答える。

 その答えに、美貌の旅人は眉をひそめる。

「我が国の国王陛下の御正妃様は、四神国王族出身の方々が多い、と言うのはご存知ですか? 現国王陛下の姉妹の未婚の娘は、わたくしひとりだけなのです。思い誤って、この様な手段に出られたのでしょう」

「次代王の正妃様として、翡翠様が立つと?」

 考えられないことではない。

 現国王は、己の娘達と同じに翡翠を可愛がっていることは、周知の事実であるし、翡翠の母、桔梗は、国王の同腹の妹である。

 血筋的に言っても、翡翠が正妃に立つ可能性はある──現在、王の息子達の殆どが、翡翠に何らかの想いを寄せていることも、事実であるのだから。

「わかりました。その件はわたしにお任せ下さい。わたしには、あなたのお命を護る義務がございます。それに、須く女性は、幸せになる権利がございます。寵を争うなどと心醜くなるようなことを華のように美しい姫君達にして欲しくはありませんしね」

 溜息混じりに告げる藍衛の口許には笑みが浮かんでいる。

「これからしばらくの間、主将のお側に控えさせていただきます」

「藍衛殿。何をなさるおつもりですか」

「楽しいことですよ」

 にっこりと、実に楽しげに答えた女子軍副将軍は、ちらりと外を流し見る。

 扉の向こうで、こちらを窺う気配が感じられる。

 何を狙っているのか、あからさまにわかる気配に、美貌の副将軍はにやりと笑う。

「ほどほどになさいませ。捨て置いても、わたくしにはさほど害がないことですから」

 毒殺など、常に視線に身を置く翡翠にとっては大したことではないと、そう告げた娘だったが、そうはいってもこの美丈夫が聞き入れないことは承知していた。

 これから、どのような結末を迎えるにしても、劉藍衛が絡んでくれば地味な終わり方にならないことは、これまでの経験上、わかりきっていることだ。

 些かと言うには過大すぎる不安を抱え、翡翠はこれから先のことを思わずにはいられなかった。




 ──一体、ここは何処だろう。


 颱国王第三王子熾闇は、通い慣れた部屋に一歩入り、そう思った。


 昨日の約束通り、王太子府参謀室へ従妹で乳兄弟である綜家の末姫を迎えに来たところ、まったく見知らぬ部屋へ踏み込んだような、そんな錯覚に陥った。

 参謀室へ入るつもりで、武器庫へ入ってしまった程度なら、これほどまでに違和感を感じなかっただろう。まるで、出口のない迷路にはまりこんでしまったような感覚だ。

 そうして、この目の前に広がる光景に似たようなものをつい昨日見てきたばかりだ。

 そう。参謀室が、まるで花街の楼閣のような光景になっていたのだ。


 そこは、一言で言うなれば、美麗な空間であった。

 くすくすとさんざめくように笑うたおやかで華奢な女官達が、長椅子に座る美丈夫を取り囲むようにしなだれかかっている。

 その美丈夫の向かいにある椅子にも、これまた美貌の官人。

 男なら、一度はこうなってみたい光景が、実に煌びやかに広がっている。

 だがしかし、出演者全員が女性ということは、想像外のことだろう。


 長椅子に座っていた美貌の武人が、熾闇の姿を認めると、すっと立ち上がり拱手をする。

「お久しゅうございます、上将。御無沙汰を致しておりました」

 甘く掠れる声が、凛と響く。

「おぬし……藍衛か?」

「は。女子軍副将、劉藍衛、昨日戻りました」

 癖のある藍色の髪に見覚えがあると、記憶を探った熾闇は、少しばかり苦い表情で頷く。

「無事の帰還、嬉しく思う。道中、大変だっただろう。息災だったか?」

 蒼瑛と並び立つ女官の人気者の悪癖までもを思い出した若者は、苦手意識に駆られながらも、上司の務めである労いの言葉をかける。

「はい。お陰様を持ちまして。只今、道中の話などをしておりました」

 男嫌いの女性は、にっこりと愛想よく熾闇に笑いかける。

 些かどころではなく好き嫌いが激しすぎるこの女性、熾闇に対してだけは棘のある態度も毒舌も、まったくと言っていいほどなりを潜める。

 最愛の上司の半身と言えるべき人物ゆえ、特別扱いをしているのだと、彼女自身がそう言ったことがある。

「そうか。そのうち、俺にも聞かせてくれ」

 話の成り行きで、そう答えるべきだろうと思った熾闇は、適当に相槌を打つ。

 そう言いながら、彼は、藍衛らしからぬ態度に不審を抱いた。


 劉藍衛は、その性癖を除けば、非常に有能で仕事熱心な武将である。

 彼女の神聖なる仕事場である主将の傍で、見目麗しい女官達を侍らせて悦に入っているような浮薄な性格ではない。

 翡翠の副官として、非常に信用に足る人物であることは、熾闇も良く知っている。

 否、信用に足る人物であるがゆえに、翡翠の副官として留めているのだ。

 戦場では女子軍を預かる身だが、それ以外のところでは、こうして翡翠の傍近くで彼女の衛士の真似事をして、主将の身の安全に誰よりも細心の注意を払っている。

 その翡翠の傍で、女官を侍らせるなど、普段の藍衛からは考えられないことである。

 つまり、逆に考えれば、何らかの目的があって女官を侍らせているのだろう。

 女官は王宮の隅々まで通じている。

「……藍衛、すまぬが翡翠を連れ出しても良いだろうか? 昨日、おぬしが戻る前に、翡翠と約束していたのだが……」

「もちろん、ようございますよ。その旨、主将から承っておりますし、わたしは主将がこちらへ戻られるまでの間、留守居役として残ることになっておりますから」

 上機嫌で頷く藍衛の黄金色の瞳が熾闇を捉えて、強い輝きを浮かべる。

 確かに、翡翠を連れて行けと、その瞳が告げている。

「うむ。では、留守居役、よろしく頼む。翡翠、出掛けるぞ」

「御意」

 恭しくふたりの女性武官が頷き、そうして翡翠は立ち上がり、藍衛はそのまま床に膝をつく。

「お気をつけて」

 貴公子然とした典雅な仕種に、女官達がうっとりとした溜息を洩らす。

「お任せしましたよ、藍衛殿」

 やや大きめの袍に袖を通した翡翠は、副将に声をかけると、熾闇を促し、部屋を出た。


「藍衛は何を企んでいるんだ? 翡翠」

 隣を歩く娘に、熾闇はのんびりとした口調で問いかける。

「はい」

 にこっと笑って彼を流し見る翡翠は、どこから見ても少年だ。

 大き目の袍がほっそりとした体型を隠し、長い髪を一つに編んで腰に刀を佩いているその姿は、私塾に通う貴族の子弟といったところだ。

 よく馴染んだその姿に、熾闇は何故かほっとする。

「藍衛だ。女官をあの様な場所へ招いて、何をするつもりなんだ?」

「見たままでございましょう。藍衛殿は、華やかなことがお好きゆえ」

「仕事場以外の場所ならば、な。蒼瑛と違い、藍衛は、何より仕事が好きだからな」

 誤魔化すつもりではなく、言葉を濁す乳兄弟に、熾闇は闇色の瞳を真っ直ぐに向ける。

「ですから、その『仕事』でございます。詳しくは存じません。藍衛殿にお任せしておりますから」

 笑顔のままで答える翡翠に、熾闇は仕方なく納得する。

 女子軍の在り方は、正規軍と異なり、一風変わった形態をしている。

 女子軍の大将は王太子府軍の将軍でもあり、参謀でもあるが、女子軍自体は王太子府軍に組み込まれてはいない。

 あくまで独立した軍なのだ。

 そうして、その正式な人数や構成を知る者も殆どいない。

 女子軍幹部と国王だけが、その全てを知る存在だろうと言われているが、彼等は一切を公表しないのだ。

 さらに、彼女達が敵国を迎え撃ったという記述も、どこを探しても見当たらない。

 決して彼女達の戦闘能力が劣っているわけではない。翡翠や藍衛といったように、技を誇る武将、兵士の名は広く知られているが、滅多なことでそれを披露することはないのだ。

 彼女達の仕事は、専ら、彼女達が持つ特殊技能を活かした少人数による隠密行動なのだ。

 武を誇り、戦に勝つことが手柄などではなく、如何に戦を避け、被害を少なくするか、ということに重きを置いているのだろう。

 それゆえに、女子軍の所属する者達の行動には、複雑な意味が絡み合い、常に計算されたものであることが多いのだ。

 この場合、熾闇が裏があると考えても不思議なことではなかった。

「……そうか。まぁ、おまえに不都合なことをすることはないか。藍衛は、信頼できるしな」

 男性敵視の傾向が強い武将ゆえ、少しばかり苦手意識が先行しているが、熾闇にとって信頼できる部下であることには変わりない。

 若者のその言葉に翡翠は笑みを浮かべる。

 男性嫌いの藍衛が、熾闇を唯一認めるのは、何も翡翠の主だからだけではない。

 熾闇が、性別や身分を越え、相手をひとりの人間として捉え、接するからだ。

 同じ目線で立ち、相手の存在そのものを難なく受け止めて、認めてしまう懐の大きさ。

 王たる者に相応しい度量を生まれもって兼ね備えているからだ。

「はい」

 しっかりと頷いた翡翠は、王宮を護る門から主と並んで外へと出た。

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