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上座に座った熾闇は、脇息に肘を預け、頬杖をつきながら行儀悪く舞を眺めていた。
控えめに座った蕾子が、彼の持つ盃へと酒を注ぐ。
店に出る前の娘達は、技を磨く一方で行儀見習いとして、客の酒の相手をする。
花に例えるならまだ咲きかけの蕾──と言うことで、行儀見習いの娘達を『蕾子』と呼ぶのだ。
年の頃は十三から十五までの、幼さの残る美しい少女達は、美丈夫揃いの客達にほんのりと頬を染めて懸命に相手を務めようとしている。
誰に対しても表面上は愛想のいい蒼瑛は勿論だが、成明も公丙も慣れた様子で蕾子達に笑いかけている。
問題は、熾闇と嵐泰であった。
盃を持つ指先が、膝の上で楽に合わせるようにわずかに動く。
表情は面白くなさそうだが、熾闇なりに愉しんでいるらしいと、彼を見守っていた嵐泰がほっとしたように息をつく。
そうして、嵐泰は王子の手にある盃に硬い表情になる。
見た目は精悍で長身の若者だが、熾闇はまだ未成年なのだ。
流石にこの様な場所で無粋にも酒を飲むなとは言えないが、酔わなければいいがと心配げである。
そんな嵐泰の心配を余所に、熾闇は盃を口許へと運ぶ。
乱雑なようであって、不思議と品のある仕種に、彼の育ちの良さを感じずに入られない。
じっと、桔梗太夫の動きを見つめる瞳は、戦場に立ち布陣を眺めるときと同じである。
「……都一、か。これが」
ぼそりと呟いた若者の声に、嵐泰は非常に厭な予感がした。
初夏の陽射しと草原を渡る風を讃える舞を舞った太夫は、軽く肩で息をしながら笑みを浮かべて一礼する。
それにつられたように武将四人が拍手をする。
「いかがでございましたでしょうか、皆様」
すっと前に出た女将がにこやかに話しかける。
「今、都で一番の舞姫にございます」
「あぁ、見事な舞だった」
莱公丙が、皆を代表するように答える。
「舞上手で有名な綜家の姫君に勝るとも劣らないと手前共は自負しております」
「ほう。女将は綜家の姫の舞を見たと申すか?」
意外そうな表情で、熾闇が口を開く。
「わ、若君!」
ぎょっとした公丙が、制止の声を上げたが、熾闇はそれを許さなかった。
「是非聞きたい。翡翠の舞を見たのか?」
「いえいえ。綜家の姫君は、人前では舞をなさらないと評判ではございませんか。私共のように身分の卑しい者がやんごとなき姫君の舞を見ようはずがございませぬ」
「見たこと無いのに、どうしてその舞姫が翡翠より上だと言える?」
不思議そうに問いかける若者に、女将は笑顔を崩さない。
「そりゃあ、桔梗太夫の才能が本物でございますから。才能がある上に、毎日それこそ血の滲むような努力を積み重ねておりますもの、天賦の才だけではございませんから」
「なるほど」
納得したように熾闇は頷き、桔梗太夫に目を向ける。
「桔梗太夫と言ったか」
「はい。若様」
熾闇に名を呼ばれ、太夫は大きく頷く。
連れの中で一番年若く、上座に座る若者は、この場で一番華がある。
どの青年たちも見目良く、それぞれ異なった華やかさと独特の存在感を持っているが、この若者ほどではなかった。
すらりとした若木を思わせるようなしなやかで精悍な雰囲気と、何処かやんちゃな子供を思わせる無邪気さが矛盾なく混ざり合った品の良い若者に、矜持高い太夫は褒め言葉が貰えるものと信じていた。
「おまえより、俺の方が上手いぞ」
「……は?」
「中で二ヶ所、振りを飛ばしてたぞ。気付かないと思っていたか?」
にっと、悪戯が成功した子供のように、面白そうに笑った熾闇は、そう指摘した。
「若君、何を仰います? 桔梗太夫がその様な……」
「心当たりがあるみたいだぞ」
慌てた女将が言い差すと、熾闇は唇を噛み締め、色をなくした太夫を指差して告げる。
「桔梗……!?」
「悪いが女将、おまえの舞姫は、翡翠には及ばない。翡翠は俺の舞の師匠だ。当然俺より上手い。それに、あいつは一曲舞ったくらいで息を乱したりはしないぞ」
あっさりとした口調で告げる熾闇に、公丙と成明は頭を抱える。
世辞とは無縁な真っ直ぐで嘘のつけない性格が、時として爆弾になるとは思ってもみなかったらしい。
おまけに彼は、大切な親友で乳兄弟でもある従妹を過小評価されることを最も嫌っている。
「だが、舞自体は悪くはなかった」
「恐れながら若様に申し上げます。この花街随一の桔梗より舞が上手との仰せ、この目で確かめとうございます。わたくしにも意地がございます。この目で確かめなければ、納得できかねます」
巾を握り締め、きつい表情で見上げる桔梗太夫に、熾闇は笑う。
「よかろう。とくと見るが良い」
すくっと立ち上がった若者は、懸盤を跨ぎ越し、舞姫の方へと揺るぎない足取りで向かう。
「蒼瑛! じょ……いや、若君をお止めしなくても良いのか」
嵐泰が、珍しく驚いているらしい親友に素早く声をかける。
「いやはや。世にも珍しいこともあるものだ。あの若君が、人前で舞差すなどと……」
呆れたように呟く犀蒼瑛に、嵐泰は肩を落としながら言葉を紡ぐ。
「先程から御酒を召し上がられ、銚子をふたつほど空けられた」
「おや」
「おそらく、いや、確実に酔っていらっしゃるのだ」
絡み酒に入るのだろうか、これはと、主を心配しながら、嵐泰は遠い目になる。
「珍しい酔い方をなさる御仁だな。いや、驚いた」
面白そうに言う親友に、最早、頼るべき相手が何処にもいないことを彼は悟るしかなかったのである。