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緩やかな曲に合わせ、華奢な手がしなやかにくねる。
手の動きや指の表情、足の運びと、細かいところにまで神経を行き渡らせ、少女達が風舞を舞う。
風舞はその名の通り、風を体現する舞である。
颱を吹き抜ける風をその四肢で表現する。
緩やかに、そして力強く素速く。
色とりどりの衣装に身を包み、緊張した面持ちで型を追い駆け風舞を舞う少女達を、離れた場所で見つめる一団。
舞姫を選ぶ大臣達と、少女達の保護者である。
今年こそ我が娘を舞姫にと、その栄誉を願う親たちを余所に、舞姫の選考は難航していた。
風舞は風の神である白虎に捧げる感謝の舞である。
先の一年、平穏に暮らせた感謝の心と、これからの一年の加護を願う舞。
大切なのは、舞に込められた心であって、舞の型ではない。
だが、その舞の神髄を理解せずに舞う少女達に、彼等は落胆していた。
これでは、白虎に見せることなど出来はしない。
「……父上、次の者達を招き入れましょうか」
偲芳が藍昂に耳打ちする。
自ら絵を嗜み、芸術に造詣が深い偲芳は、愁いた表情を俯くことで隠し、溜息をついた。
「仕方ないようじゃな」
息子と同じく深い溜息をついた綜藍昂は、仕方なさそうに頷きかけ、ギョッと目を剥いた。
神楽の音に惹かれ、姿を現わした白虎がのんびりとした足取りで道場に姿を現わしたのだ。
「舞の練習か? ほぉ」
ウキウキした口調で藍昂に問いかける白虎は、嬉しげに尻尾を立てて振る。
「はぁ、まあそうですな」
「ふむ。まだまだだが、これから良い舞手になりそうな娘はいるな」
藍昂の隣にぺたりと腰を下ろし、白虎は上機嫌に言う。
彼は、人が舞う姿を眺めるのがとても好きなのだ。
型の上手下手を問わず、真面目に練習する心を良しと考える。
「ここから、来年の舞手を探すのか?」
邪気のない問い掛けに、大臣達は一同口を噤む。
まさか、今年の舞姫を選んでいるとは言えず、嘘も言えず、困り果てる。
「……おまえは、どう思う? 翡翠」
飄々とした声で、白虎は本日のお供に声をかける。
その声に、さらに驚いた一同は、硬直する。舞姫達も踊りを忘れ、美貌の碧軍師を見つめた。
「さぁ……ですが、白虎様に内緒で練習をしているものを、そうも堂々と眺められては、舞姫達が気の毒でございましょう。愉しみは後に残しておくものでは?」
にこりと笑った翡翠は、白虎を促す。
「それもそうか。俺を愉しませてくれるために舞の練習をしているというのに、それを俺が邪魔しては悪いな。今日の処は我慢するとしようか」
ぱちくりと瞬きをした白虎は、素直に男装の美少女の言葉に頷く。
簡素な官服に身を包んだ翡翠は、小さく頷く。
「あちらで、わたくしの箏などいかがでしょうか?」
「翡翠の箏か? 久しく聞いてはおらんな。舞を諦めるには相応しい代償だな。よし、それで手を打とう」
「ありがとうございます」
父と兄に軽く会釈をし、その場を立ち去ろうとした翡翠は、舞姫のひとりに呼び止められ、足を止めた。
「お願いがございます! 翡翠様」
「……わたくしに、ですか?」
ゆるりと肩越しに振り返り、少女を見つめた翡翠は、かすかに首を傾げる。
「はい! どうぞ、わたくしたちにご指南下さいませ」
綺麗に髪を結い上げた少女は、翡翠の足許に跪くと、膝の前で手を重ね、深々と頭を下げて訴える。
ひとりが言い出すと、同じように他の少女達も駆け寄り、翡翠の回りに膝をついた。
「……これは、困りましたね。わたくしは武人で、舞を嗜みませぬ」
「いいえ! 姉より聞いております。翡翠様は舞の名手。颱で翡翠様よりも上手な舞手はおりませぬと。どうか、ご指南下さいませ」
これには翡翠も困惑した表情を浮かべ、白虎と父達とを見比べる。
「舞わずとも、一言何か言ってやればよいだろう?」
ピタンと尻尾で翡翠の腕を軽く叩いた白虎が、言葉を挟む。
「……そう、ですね。わたくしから言えることは、風舞は、型を舞うのではなく、心を舞うものです。型を無視しても構いませんから、神楽の音を聞き、心を委ねてみると良いでしょう。それぐらいですか」
それだけ言うと、少女達に会釈して、再び歩き出す。
それ以上は何も語るつもりはないという姿勢に、少女達は黙って見送る。
白虎は、肩をすくめるような仕種を見せた後、太子軍を預かる軍師の後を追いかけた。
「翡翠! 本当に良かったのか、あれで?」
心配そうな声音で、白虎は先を歩く翡翠に問いかける。
「……白虎様」
足を止めた翡翠は、白い獣神を振り返り、その前に膝をつく。
ほんの少しだけ沈んだ表情を見せた娘は、次の瞬間にはいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべていた。
「わたくしには、舞姫の栄誉よりももっと大切なことがございます」
「正妃の遺言か? あれは、あんなものは……」
「我が君をお守りすることが、わたくしにとっては一番大切なこと。今、この時期に熾闇様のお側を離れるような真似はしたくありませぬ」
きっぱりと言いきる少女に、白虎は耳を伏せる。
幼い頃、正妃が旅立つ間際に翡翠に頼み事をしたということを知っているのは、傍にいた白虎だけである。
お気に入りの少女にあれほど惨い枷をつけた正妃の気持ちも分からなくはない。大切な息子を一人きりにしてしまう母の心を思えば、当然の結果と言える。
だが、それは翡翠ではなく、他の者に頼むべきだったと、白虎はずっと思っていた。
翡翠が舞を捨て、剣を手に取り、軍師として熾闇と共に従軍するように決意したのは、あの言葉があったからである。
「綜家の娘。俺は、おまえの幸福を願っている。いつでも、だ。だから、道は違うなよ」
国を守護するように天帝に命じられ、早数千年。
守護する国の大事には、その力を振るってきた白虎だが、たったひとりの人間の一生を左右するようなことは、いかな彼とて許されない。
幼い頃より大切に見つめてきた少女が、幸せになってくれることだけを願って、白虎は小さく呟いた。