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西からの風は、守護神獣からの祝福と、颱では古来より言い伝えられてきた。
時間を超え、ただ身護り続ける神のささやかな恵みを、人々は何よりも尊くありがたいものだと素直に感謝してきた。
その爽やかな風が、自分たちの心を後押しし、前へ進む勇気をくれるのだと、かの神の声にならぬ想いをその風に感じ取り、人々は歩いてきたのだ。
西の四神国、風の颱は、常に白い神と共に生きていた。
その颱国に不幸が襲ったのは三年前のことだった。
幼い頃から神童と詠われ、成人したときより摂政として父王を助け、政を行ってきた第一王子が、天命により病死した。
次期国王にと望む声が多い聡明な王子であったが、残念なことに生まれつき病弱で成人まで生きられないだろうと医師達に言われていた。
生まれてより一度も王宮の外に出たことがない第一王子であったが、その確かな見識に基づいて行われた治世により、民人に広く親しまれていた。
第一王子の訃報から数ヶ月も経たぬうちに、今度は庶子出の第二王子が流行病で亡くなった。
第二王子の生母である采女も、時同じくして息子と同じ病で死亡している。
あまりにも突然すぎる不幸に、颱国内は乱れるだろうと予想した周辺国は、この好機を逃さずに挙兵し、颱国国境を脅かそうとしたのだ。
だがしかし、西の大国と呼ばれる颱国は、乱れるどころか揺るぎもしなかった。
嫡子出の第三王子率いる王太子軍が中心となり、各国軍を平定していったのである。
帯刀前の幼いと言われても仕方がないほど若い王子は、その年齢に見合わず歴戦の武将であり、そうして彼の傍らには颱の宝玉とも呼ばれる彼の従兄弟にして右大臣家の末子が控えていた。
王家の血を引くこの子供達は、その幼い外見とは裏腹に、見事に乱を抑え、大陸の西側の安寧をもたらしたのである。
武力で敵わなかった周辺各国は、一旦武力を収め、今度は知略、政で颱への勢力を伸ばそうとした。
智と武を絡め、西の覇権を争うことを諦めぬ者達は、今もなお有り得ない夢地図を描こうとしていたのである。
王宮には大きく分けてふたつの区域から成り立っている。
王やその家族達が住む宮と、政治を取り仕切る宮。
本宮で王は暮らすが、その妻達は後宮と呼ばれる本宮の北側に位置する場所で生活している。ここは『宮』とついているがひとつの建物ではない。正妃や四妃達が住まう建物は『宮』、それ以外の側室や女官達が過ごす場所が『舎』や『殿』、『屋』と呼ばれる。
王子達は、帯刀までは母親の許で暮らすが、帯刀を過ぎると本宮の東側にある王子宮──別名、春宮へと移る。
ここで成人まで生活し、文武に励むことになるのだが、その後は本人の意志によって新たな宮に移り住むことや臣下に下り王都にて屋敷を持つこともできるのだ。
殆どの王子は妻を得るまで、この王子宮で過ごすことが慣例となっている。
一方、政治を司る場所は、官僚達が集まる思政宮と王族達の王太子府とに分かれている。
身分を問わず、また所属部署を問わず、官僚として名が登録されている者は、思政宮の中にある『院』や『蔵』、『寮』、『府』、『坊』、『所』という大小さまざまな建物で何かしらの仕事を請け負っている。
王太子府では、王太子軍に関する様々な手続き、また王族主催の催し物に関する雑務などを引き受けている場所である。
例えば、ある国が王子に婚姻の申し出をしたとする。
使者は書状を思政宮の大臣に預ける。大臣達はこの婚姻が両国にとって望ましいかどうかを調べるように手配し、望ましい、あるいは問題ないという結果がでた場合、それを王に報告する。
王は報告書に目を通し、婚姻を受けるか否かを判断する。
婚姻が決定した場合、その準備は思政宮ではなく王太子府に任せられるのだ。
花嫁となる姫君が国境から王宮まで、安全かつ快適に移動できるように王太子軍を派遣し、その道順や必要とする人数、必要な武具、食料、そして周囲の安全を確保できるようにする。
その後、無事婚姻した姫君と王子のお披露目をするための振る舞い物──主に酒と料理だが──を準備し、警備に関すること、また婚儀に招く招待客の人選などを行い、必要な予算を組んだ後、それを思政宮へと打診する。
その予算に基づき、思政宮では会議が行われ、そうして細かい調整が思政宮と王太子府とで行われるのだ。
そうして計画に基づき、婚儀が執り行われるという仕組みになっている。
別々に動いているように見える両者だが、実際は頻繁に行き来があるのだ。
尤も、現在のやり取りは、王太子軍の派遣に関することが殆どなのだが。
思政宮と王太子府との関係は、非常に良好なものであった。
王太子府に出入りする者は、思政宮に比べ、非常に少ない。
王族とその従者、そうして王太子軍の閣僚のみである。
建物内を掃除する女官達は、身元が確かな者のみを厳選し、尚かつ入ることのできる部屋を限定し、正午からの出入りは禁止されている。
軍に関する資料が置いてあるため、というのがその理由だが、単に生まれてずっと女官に囲まれ続けてきた王子達が、彼女達の視線から逃れる場所が欲しいと切実に願ったせいである。
建物内の清掃は彼等の小姓達がその殆どを行うので、実際は王子達がいない遠征中の間を女官達が預かるという形になっていた。
その他としては、思政宮からの使者ぐらいなものである。
他の場所に比べ、華やぎに乏しい場所というのが、一般的な感想であった。
そしてその中でも、最も華やぎに欠けているのが王太子軍主将の部屋であり、華やぎに満ちているのが参謀室であった。
というのも、王太子軍主将である第三王子熾闇は、どちらかというと女性恐怖症の気があり、従妹以外の女性を苦手と思っているフシがあるせいで、参謀室の主は、その第三王子の従妹であり、右大臣家の末姫だからである。
翌年に成人を迎える微妙な年頃の若者達は、現状に大いに不満を抱いていた。