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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
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 月を模した琴が、甘く切ない音を響かせる。

 何気なく無造作に爪弾くようでいて、その絶妙な音色に心が惹き寄せられる。

 月に咲く華を愛でる曲として作られたその楽は、月光そのものと華を表すように、どこまでも透明な切なさを感じさせる。


 綜家の離れにある末姫の庵では、訪れた客人達が部屋の主の月琴に僅かばかりの笑みを浮かべて聴き惚れていた。

 戦場での口約束を律儀に守る少女の生真面目さに、客人達は微笑ましく思いながらも、招かれた幸運を等しく噛み締める。

 これほどの才能を持ちながら、その腕を披露することはごく希であるため、誰もが惜しいと思うのだ。

 もし、武官でも文官でもなく、ただの名家の姫として、その美貌と余りある才を存分に発揮すれば、どれほど華やいだ人生を送れるものかと。

 だが、実際彼女は、武官としての才を発揮することを一番とし、他の才能を表立って披露することはない。それを見せるときは、極親しい一部の者のみなのだ。

 それゆえ、招かれることが誇らしくなるのだが、そのことを本人だけが知らない。


 ゆったりとした白く細い指が弦を弾き、最後の一音の余韻に浸る。

 ほうと、溜息が我知らず漏れる。

「大変素晴らしゅうございましたわ、翡翠様」

 明るい亜麻色の髪の娘が両手で頬を軽く押さえながら囁く。

 どこまでも抜けるように青い瞳は、感激のために潤んでいる。

「お気に召していただけて、わたくしも嬉しく思います、白華様」

 月琴を脇に置いた黒髪の少女は、柔らかく微笑む。

「兄からお招きいただいたとお聞きしたときは、本当に驚きました。わたくしごときがこの様な席に呼んでいただけるなど、身に余ることですもの」

「無骨者の不躾な申し出に御気分を害されるのではないかと思いましたが、そう仰っていただけて良かった」

「無骨者などと……翡翠様ほど造詣の深い御方はそうそういらっしゃいませんわ。琴も神域と言われるほどの手を持っていらっしゃるのに加え、月琴まで……二胡や馬頭琴も以前お聴かせいただいたときに溜息が出る想いを致しましたが、本当に夢を見ているようですわ」

 うっとりと余韻に浸る娘は感激の溜息を何度も吐く。

 妹の様子を、その兄は優しい穏やかな笑顔で見守っている。

「いや、まさに、五感の至福」

 麗しい娘達を眺めた男が、恍惚とした表情でうっそりと呟く。

 その途端、兄である青年が親友にきつい眼差しを送る。

「犀蒼瑛! おぬしな」

「この様なときまで鹿爪面をせずとも良いではないか、嵐泰」

「不謹慎な真似をするからだろうが」

 むすりとした表情で告げた嵐泰は、翡翠に向きなおり、一礼する。

「御無礼を」

「いえ。嵐泰殿と犀蒼瑛殿は本当に仲がよろしくて、羨ましい」

 にっこりと笑って答える翡翠の言葉に、青年ふたりは複雑そうな表情になる。

 それを見た白華が、高い声で笑い出す。

「兄上も、蒼瑛様も、翡翠様の前では形無しですわね。お二方のその様なお顔、わたくし、初めて拝見いたしましたわ」

「おや、そうでしたか。わたくしはよくお見かけしておりましたので、さほど珍しいとは思いませなんだが。白華様の前では嵐泰殿はどのような兄君なのでしょうか」

 年相応の少女らしい好奇心に満ちた表情で、黒髪の少女が問いかける。

 いつもの簡素な官服姿とは異なり、今日は良家の姫君らしい裳をつけた艶やかな姿である。

 艶やかな黒髪も、背中に流すのではなく、軽く結い、簪や生花で飾り立てられている。

 客を招くのだからと、彼女の侍女達が懸命に主を宥め賺して作り上げた努力の結晶だと言えよう。

「そう、ですわね。同じ年頃の方よりも随分と落ち着いておりますから、兄と言うより父がもうひとりいるような気がしますわね。最近はあまり家にはおりませんが、いつも家族のことを気遣って下さる優しい兄ですわ。例え戦場に行かれたとしても、わたくし、ちっとも心配しておりませんわ。三の君様と翡翠様が必ず兵を家族の許へ帰して下さいますもの」

 その名の通り、白い華を思わせる可憐な風情の美女は、優しい優しい笑みを浮かべる。

「白華。戦のことは口にするな。気力、地の利、時の運が勝る方が勝つ。ただそれだけのことだ」

 淡々とした口調で、嵐泰が妹を諫める。

「嵐泰殿、そう仰らずともよろしいでしょう。待つことしかできぬ家族は、兵を預かる大将にその想いを託すのは当然のこと。わたくし達は、ひとりでも多く、家族の許へ還れるように采配を振るわねばならない義務を負っているのですから……本当は、戦など起こさぬ方がよいのですが」

 柔らかな口調で嵐泰を宥めた翡翠は、小さく小さく息を吐く。

 その表情に、嵐泰と犀蒼瑛は素早く視線を交わす。

「それは翡翠様のせいではございませんわ。颱は決して他国へ侵略行為などしないと白虎様に誓っておりますもの。事情があるとはいえ、他国へ侵攻してきたその国の方がいけないのです。どのような理由であれ、先に剣を取っては無意味な争いを起こすだけなのですから」

 穏やかな外見に似合わず、毅然とした言葉を返した白華は、翡翠に向かって微笑む。

「そう仰っていただけると気が楽になります。さて、次は何をお聴かせしましょうか? 燁の流行歌でも弾きましょうか。先代の李家の神娘姫と王の恋歌などはいかがでしょう? 竪琴をお聴かせしましょう」

 気を取り直すように、明るい口調で話題を変えた翡翠は、竪琴を用意して白華に見せる。

 颱では珍しいその大振りな竪琴に興味を示した娘は、主の話に引き込まれる。


 一見、賑やかで平和な一時だったが、その陰に血生臭い風が吹き始めていることを武人達は気付いていた。

 その二月後、王太子軍に北方国境線の警備が命じられた。

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