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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
4/201

 太子府は、王子達の居住区となっており、それぞれ独立した建物になっている。その中でも一番飾り気のない建物が、第三王子熾闇の私室に割り当てられていた。

 自分の屋敷に戻った熾闇は、出迎えた小姓に木蓮の花枝を手渡す。王宮のどの場所にもいるはずの女官の姿は、この屋敷にはない。

 世継ぎ候補であるがため、次代正妃または側室を夢見る娘達が女官として傍に上がり、本来の仕事を忘れてしまうということが、以前少なからずあり、剣術に熱心なためあまりそういうことに興味を持てない熾闇には、女官の存在は邪魔なものとして認識されてしまい、最低限度の小姓しか、置かなくなってしまったのだ。


 戦場にいれば、身の回りのことは自分でするようになるし、それに常に彼の傍には翡翠がいる。常に片時も傍から離さない乳兄弟は、熾闇にとって便利な人間であった。

「……それで、右大臣への報告というのは、何についてだ」

 小姓達がお茶の用意をし、部屋を退出したことを確認した熾闇は、花瓶に生けられた木蓮を見映え良く手直ししていた翡翠に問いかけた。

「梅について、少々。今年は南西の彼方より、梅の香りが届きました。見事な紅梅ゆえ、手折るのがよいか、と……」

 木蓮の枝に手をかけたまま、主を振り返った翡翠は、父に話した通りの内容を伝える。

 熾闇は、小姓から茶碗を二つ受け取ると、ゆっくりと窓際へ移動し、乳兄弟の手に茶碗を渡した。


 しばらく緑茶の薫りを楽しんだ王子は、顔を上げて誰よりも信頼する軍師を見据えた。

「……南西……彩、か。思ったより早い進撃だな。それで、先手必勝を取るつもりなら、誰が行くのが一番だと思う? 綜季籐将軍あたりが、名乗りを上げそうだが」

「たかが彩一国の進撃に、将軍を送り出すのは我が国の名折れでございましょう。颱は四神獣を信奉する大国にございます」

 興味深げに問いかける王子に、翡翠はにっこりと笑い、長兄の出撃を否定する。

 一口、唇を湿らせると、碧の軍師の表情になった娘は、壁に飾られた大陸の地図に目をやる。

「国境を脅かす小蠅を追い払いはしても、自ら進んで国境を侵し、他国を平定するなぞ、愚かしいことを望んでは、白虎様に向ける顔がございませぬ。ゆえに出陣は致しませぬ」

「では、どうするつもりなんだ?」

「北西の晋との戦、今年から本格的になるとのこと。長期的なものとなりましょう」

 熾闇の問い掛けをさらりと躱し、全く別の事を話し出した翡翠に、王子はムッとした顔になるが、何か意図があってのことだろうと考え直し、彼にしては珍しく、先を促す。

「と、なれば、我が君の出陣もありましょう。今からでもその準備をせねばなりませぬな」

「準備……そうか! 翡翠、すぐに出立の準備をしろ。俺が出る」

 翡翠の言葉の意味を把握した少年は、嬉しげに言うと、自分が先陣を切るつもりで宣言した。

 だが、彼の軍師は首を横に振る。

「気をお収め下さいませ。我が君には新年の大祭、王族としての義務がございましょう。しかも、戦の食料調達にわざわざお出かけになるとは、颱は人手不足かと思われましょうぞ。ここは犀蒼瑛殿にお任せ下さいませ」

「……蒼瑛か。残念だが、あいつなら適任だ。蒼瑛を呼びに行かせよう」

 しばらく考え込んでいた熾闇は、非常に残念そうに溜息を吐くと、翡翠に彼の将の一人を呼び出すことを告げる。

「家を出るときに使いを出しておきました。間もなく、こちらへ到着するでしょう」

 その必要はないと笑みを浮かべた翡翠は、小姓が来客を告げに来る足音を聞きつけ、さらにその笑みを深くする。

 万事そつのない片腕に、王子は肩を竦めた。


「お話中、失礼いたします、殿下」

 扉を軽く叩く音と共に、少年の高い声が響く。

「何だ?」

 王子は扉に視線をやり、用件を促した。

「犀蒼瑛様が、お見えになりました。殿下にお会いしたい由にございます」

「通せ」

 短く答えると、第三王子は乳兄弟に視線を戻す。

「適任だとは思うが、蒼瑛が羨ましい。王宮は窮屈でたまらんな。おまえもそう思うだろう?」

「御意」

 うんざりしたような表情を浮かべる熾闇に、翡翠は微苦笑を浮かべながらゆるりと頷いてみせる。

 確かに王宮の一室で鹿爪面をして書類に目を通しているよりも、戦場の馬上で風に吹かれている方が似つかわしい少年である。

 翡翠としても、この馬鹿馬鹿しい茶番を繰り広げている王宮よりも、生か死かという殺伐とした場所でも真実だけがある戦場の方が、性にあっているとつくづく思う。彼女ですらそうなのだから、真っ正直な性格の少年が、この場所に嫌気が差しても無理はないのだ。

「熾闇殿下。犀蒼瑛、お召しに従い、参上いたしました」

 朗々と響く明るい声が、入室の許可を求めてくる。

「蒼瑛か、入れ」

「失礼いたします」

 小姓が扉を開け、その向こうからきらびやかな衣装の青年がやってくる。

 颱国随一の伊達男と評判の青年、犀蒼瑛である。武官とは思えない華やかな衣装が、何ともよく似合う男である。

「よく来た、蒼瑛」

「熾闇殿に新年のご挨拶もせず、申し訳もございません。やぁ、これは。翡翠殿もご一緒でございましたか」

 労う熾闇に恭しく一礼した蒼瑛は、その隣に立つ翡翠の姿に気付き、驚いたように声を掛ける。

 芝居じみたわざとらしい挨拶も、彼がすると嫌味には見えず、典雅にすら感じられるから不思議である。

「お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ございません、蒼瑛殿。少々、お願いしたい儀がございましたので……」

 わずかに苦笑した翡翠は、軽く頭を下げ、緑なす黒髪を緩やかに揺らして話しかけた。

「なんの! 美しいご婦人からのご招待であれば、何時如何なる時でも、馳せ参じましょう。麗しの軍師殿」

「これは……蒼瑛殿が女性にひとかたならぬ好意を寄せられる訳がわかりますね」

 蒼瑛は芝居がかった大げさな仕種で応じると、にこやかな笑みを浮かべて熱心な眼差しで『麗しの軍師殿』を見つめる。そして、その言葉に照れた様子もなく目を細めた娘は、軽く頷くと主を見上げた。

「どなたかも、見習わないとなりませぬな」

「何で、そこで俺を見るんだ? さっさと用件を済ませたらどうだ?」

 不機嫌そうに熾闇は言うと、小姓に蒼瑛の分のお茶を運ぶように命じる。

「仰せの通りに、我が君」

 主の不快をものともせず、さらりと受け流した娘は、かいつまんで状況を話し、彼に対する命を伝える。

「……なるほど、狩猟は戦の準備には必要なもの。食料調達という大義名分のもとに、兵を鍛える意味もある。そのついでに国境を侵した不逞の輩を処罰するは、模擬戦のようなちょっとした鍛錬にはなりまするな」

 腕組みをした青年は、低く唸る。

 翡翠が事細かに説明したわけでもなく、察しのよい男は、言外に匂わせた言葉をしっかりと読み取って、鍛錬の算段をしている。

「さすがは蒼瑛殿。やはり貴方にお頼みして正解でありましたな。鍛錬ほどのこともないでしょうが、二千ほど、騎兵をお連れ下されば、事足りましょう」

 軽く首を傾け、微笑みをたたえた穏やかな口調で、翡翠は告げる。

「二千で足りましょうか?」

「おそらく彩は、五千ほどの兵力で颱へ攻めてくるでしょう。ですが、利は颱にございます。狩猟目的で南に向かう兵が、二千以上では、目の利く者なら警戒するでしょう。このくらいでよろしいのです」

 面白そうな表情を浮かべ、問いかける蒼瑛に対し、翡翠は穏やかな表情のまま、さらりと髪を揺らして頷く。

「だが、敵の数よりも多い数でもって相手を制するのが、兵法というものではないか」

 熾闇はごく当たり前の疑問を口にする。

 五千の兵に対し、二千の騎兵というのは少なすぎるのではないか、と。

「御意にございまするが、此度の場合、二千が適当かと。この時期、敵の意表を突いて攻めるは、確かに有効ではございますが、彩はこの方法を用いては、決して颱には勝てませぬ」

 にっこりと笑った碧の軍師は、彩が颱に勝てぬ理由を幾つか挙げてみせる。

 その一つが、地の利がないこと。いかに隣国とはいえ、彩が己の国境より向こうの地形を熟知しているわけではない。そして、二つ目は南国に位置する彩が、位置的に北方になる颱に攻めること。年が明けたはいいが、まだ風は充分に冷たい。南方育ちの兵が、寒さに対抗できるはずもないのだ。さらに三つ目は、颱の隙を突こうと進軍する彩が、遠征の疲れを溜め込んでいるということ。

 他に挙げればきりないが、負ける理由があると、翡翠は言うのだ。

「さらにもう一つ。昨年は、彩では作物が不作だとか……兵糧に事欠くようでは、此度の遠征、初めから失敗していると明言しているようなもの。負けるわけがありませぬ」

 静かな口調だが、明らかに戦を仕掛けてきた彩国の上層部を痛烈に批判している。

 兵を移動するためには、それ相応の兵糧が必要になる。兵を養うための食糧が不足しているなら、戦を起こしてはならない。施政者として、民を飢えさせるようなことをやってはいけないのだと、この娘は幼い頃より徹底した教育を施されて育ってきた。

 国が兵を挙げるのは、民の生活のため。

 それ以外に戦をすることは、四神国の一画を担う颱国としては赦されるべきことではない。神獣に守護される国としての矜持が許さない。

「彩の兵士を皆殺しにする必要はないのです。国境に現れた無頼漢を追い散らすということが、今回の目的ですので」

「……ふむ。なるほど……わかり申した。では、騎兵二千を率いて、食料調達に国境近くまで足を伸ばして参りましょう」

 にっこりと笑った青年は、優雅に一礼すると、すぐに行動を起こす。

「吉報をお待ちしております」

「碧軍師の許へ、すぐにお届けいたしますよ」

 戸口で振り返った蒼瑛は、翡翠に笑いかけると、王太子府を後にした。

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