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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
37/201

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「翡翠!」

「軍師殿?」

「翡翠殿っ!?」

 血相を変え、足音荒く駆け込んできたのは、王太子軍の将軍と王子達であった。

 それらを睥睨した莱軌は、翡翠の細い首に腕を回す。

「兄上っ! 何を血迷うておられます!! 翡翠殿をお放し下さい」

 青牙が手にした剣を握り締め、二番目の兄を睨み付ける。

 殆ど会ったことがなく、風評の悪い次兄と、折りにつけ目通りを願い、常勝将軍として名高い三兄では、敬愛の度合いが違いすぎる。

 その三兄の大切な乳兄弟であり、片腕である大臣家の姫を束縛する次兄が許し難い悪漢に映るらしい青牙は、幼さからくる青い正義感に燃え、今にも剣を抜き放つ気配を漂わせている。

「俺が翡翠に何しようが、俺の勝手だろう。弟の分際で兄に指図するか」

 冷ややかな口調と表情を崩さず、莱軌は弟を見下す。

「翡翠殿は、颱の宝! 無体な真似をなさるなら、それが誰であろうとも許すわけには参りませぬ」

 剣の柄を握り締め、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら青牙が告げる。

「止さぬか、青牙! 二の兄上が翡翠殿に無体を強いたという証拠はまだない。ですが、兄上。我らは兄上が何故、一度王宮から去られたのか、存じております。それゆえ、お願いいたします。綜家の姫君をお離し下さい。女性に対し、兄上の取られる態度は相応しいものではございませぬ」

 双子の弟を制した紅牙が、莱軌を真っ直ぐに見つめて言葉を紡ぐ。

 感情的にならず、冷静に、そうして理詰めで話そうとする紅牙の様子に、莱軌は口許に笑みを刷く。

 翡翠は抵抗する素振りも見せず、ただ無関心に莱軌の腕の中に収まっている。

 それに気付いた熾闇は、太刀から手を離す。

 この状況に主が逆上するかと思っていた将軍達は、少年の思わぬ反応に戸惑いながらも同じく剣から手を離し、事の成り行きを見守ることにする。

 臣下の身で、王族に対して剣を向けることはできない。

 彼等はここで傍観者としてことを見守ることしかできないのだ。

 その中で、せめて主が冷静でいてくれればよいと、そう思っていた彼等にとって、これは願ってもいないことであった。

「邪魔だ、去ね。俺は翡翠と話をしている。おまえ達にとやかく言われる筋合いはない」

「誠でございましょうや、翡翠殿!?」

「えぇ、左様でございます。皆様、お引き取り願います」

 きっぱりと言い放つ莱軌の言葉を無視し、直接翡翠に問いかける少年に、少女は感情を欠いた声で同意する。

 一瞬、虚をつかれた青牙は、目を瞠ったものの、翡翠らしからぬ態度に不信感を強めたらしい。

 柄を握る手に力を込め、兄を睨み付ける。

 ちゃりっと鍔が無粋な音を立てる。

「人を斬れもしない子供が、いきがって何とする」

 呆れたような口調で莱軌は青牙に言い放つ。

「何を……っ!!」

 ぎりっと奥歯を噛み締め、兄を睨む青牙は、武器も手に取らず、軽装のままの莱軌が放つ気配に圧倒され、じりじりと後退していく。

「もう一度言う。去ね」

 翡翠の艶やかな黒髪を指先で弄び、そう冷ややかに言い切った青年は、ニヤリと笑った。


 沈黙が辺りを支配する。

 剣の柄を握り締めた少年ひとりが殺気を振りまき、それを冷ややかに見つめる瞳。

 奇妙な沈黙であった。

 この場でただひとりの女性を腕に抱き留めた青年は、正面に立つ将軍位を持つ少年を見つめる。

 同じくただ黙って見つめ返す少年は、兄に対して違和感を感じていた。

「翡翠殿を放すがよいっ!! この様な不埒な真似を許すと思うてか、兄上っ!?」

 青牙は馬鹿にされたと思い、声を荒げて告げる。

 今にも鞘から剣を抜き放ちそうな片割れの手を紅牙が軽く押さえ、動きを制している。

 弟たちの動きなど気付かぬように、莱軌と熾闇はお互いを探るかのように視線を合わせている。

 ふと、熾闇が何かに気付いたように眉をひそめた。

「二の兄上」

 ゆるりと片手で口許を覆い、少年は兄を呼ぶ。

「少しばかり手を弛められよ。それでは翡翠が苦しかろう。そうしなくとも、翡翠は逃げぬ。兄上はそれをよくご存知だろう?」

「放せとは申さぬか」

 くつりと笑った莱軌は問う。

「無駄だろう? 逃げたければ、翡翠はとっくに逃げている。そうしないということは、兄上の傍にいると決めているからだ。それより、ひとつ聞きたい」

 闇色の瞳を真っ直ぐに兄に向け、熾闇は険しい表情になる。

「三の兄上?」

「殿下……?」

 生来表情豊かな少年で、感情を顕わにしがちである熾闇だが、どこか痛みを堪えるような苦しげな表情を見せるのは初めてであった。

「……その薫り、何故、兄上が纏っている?」

「薫り?」

 犀蒼瑛と嵐泰が顔を見合わせ、同時に莱軌と熾闇を見比べる。

 生死と隣り合わせに生きる武将である彼等は、何よりも気配に敏感である。

 当然、誰よりも五感に自信があった。

 なのに、熾闇が言う『薫り』を嗅ぐことができないのだ。

「その甘い薫り、昔、嗅いだことがある。あれは、俺が幼い頃、母上が亡くなる直前、母上が纏っていた薫りだ。それを何故、兄上が持っているんだ!?」

 叩き付けるような容赦ない問い掛けに、劇的な変化を見せた人物がふたりいた。

 顔色を失い今にも倒れそうになりながら唇を噛み締める翡翠と、すべての表情を消し、無機質な瞳を向ける莱軌。

 少女を捕らえていた腕は、支える腕となっていた。

 否、初めから枷などではなく、彼女を護るためのものだったと気付いたのは、熾闇だけだった。

「……翡翠、おまえ……?」

「熾闇殿、薫りというのは……まさか!?」

 訝しそうに問いかけようとしていた蒼瑛は、翡翠の表情からそれが何であるのかを悟った。

 嵐泰もまた同様であったらしい。

 ふたりの武将が取った行動はまったく同じだった。

 剣を鞘ごと帯刀から抜き取ると、その柄を主の前で交差させる。

 戦場で武将と共にある剣は、実用重視で装飾らしきものは削ぎ落としているが、逆にその鞘には見事な細工が施されている。

 その地位にあった権力の象徴とも言える見栄などではなく、鞘それ自体が護符であった。

 打ち出された模様のひとつひとつが意味を持ち、埋め込まれた宝石は美しさを示すものではなくあらゆる災難を逃れるための力石であった。

 厄災から逃れるための護符を主の前に掲げる青年たちに、熾闇もまたそれらの行動が示すものを察した。

「まさか……呪詛……?」

 目を瞠り、信じられないと呟く少年。

 兄が呪詛に縛られているというのなら、それと同じ薫りを纏っていた母もまた呪詛をかけられたということだ。

 病死だと聞かされていた母は、誰かに呪われていた。

 目の前にいる兄もまた、呪いをかけられている。

「誰が……」

「だとしたら、どうする?」

 目を閉じた莱軌は低く問いかける。

「おまえに解けるか? この呪詛が」

 くつりと笑い、剣を引き抜く。

 向けられた剣先は質となった少女ではなく、誰もいない空であった。

「返す相手もわからねば、解くことはできぬな。呪われた身が厭わしければ、それを断てばよいだろう? おまえには楽なはずだ。あぁ、逆のそれを成就させて解く方法もあるな。この剣に飛び込み、その命を絶てば、あるいは俺は助かるかもしれぬ。やってみるか?」

「……違うな。それが呪詛ではないだろう?」

「なぜ、その様に言える? おまえにはわからぬだろう」

「わかる。呪詛の内容まではわからんが、俺の命を狙ったものではないことくらい、わかる。なにしろ、俺の命を狙うヤツは、それこそごまんといるからな。呪詛が向けられているかどうかくらい、わかる」

 下ろした手をぐっと握り締め、少年は静かに答える。

 誰からの、またどんな呪詛かはわからないが、熾闇に向けられたものではなく、莱軌自身に向けられたものだと感じ取った少年は、顔色の悪い乳兄弟に視線を向ける。

「翡翠、おまえにはわかるか?」

 彼女ならきっとすべてを理解していると、そう感じた熾闇は、己の半身とも言える少女に問いかける。

 だが、翡翠は目を伏せ、首を横に振る。

 事実わからないのか、答えられないのか。

 きっと後者だと理解した少年は、ひとつ頷く。

「そうか。無理を聞いた。すまぬ」

 そう告げると、熾闇は犀蒼瑛と嵐泰の剣を軽く押しやる。

 それを合図に二人は剣を下げる。だが、帯刀には戻さず、手に握ったままである。

「三の兄上! 何を……危のうございます!!」

 静かに莱軌に向かい歩を進める熾闇に、青牙が叫ぶ。

 躊躇いない歩調に莱軌が戸惑い、翡翠を見る。

「呪詛を確かめるおつもりのようです」

 翡翠が答えられなかったため、我が身で確かめるつもりなのだと、少女は呟く。

「莫迦な」

「……それが、我が君です」

 苦しげに答えた翡翠は目を伏せる。

「……そうか」

 真っ直ぐな気性の熾闇らしいと苦笑を浮かべた莱軌は、剣を弟に向けて構え直す。

「近付くな」

 形ばかりの警告。

 だが、それで充分だった。

 警告を無視して歩く熾闇に驚愕の表情を浮かべた青牙が、紅牙の制止を振り切り剣を抜き放つ。

「うわあああああああっ!!」

 声を上げて、青牙は莱軌に向かって突進する。

「兄上ッ!?」

「従兄上様」

 熾闇と翡翠の声が重なる。

 その身でもって彼を庇おうとする翡翠の手を押し退けた莱軌は、彼女に向かって微笑んだ。

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