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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
35/201

35

 奇妙なまでに重苦しい空気が室内を取り巻く。

 それに気付かない様子を装っているのは、この部屋の主と先客のふたりだけであった。

 その空気の発信源は、あからさまに気分を害した様子で、だがそれを口に出すことができずに子供っぽくそっぽを向くという手段に出ている。

 刺々しい空気を感じているだろうに笑みを絶やさずにいる少女と第二王子はかなりの曲者であることは間違いないが、そこに参戦して第三王子をさり気なく煽っているものもいる。

 都一、二を争う伊達男である。

 そんな親友と現在忠誠を誓う主の様子を窺いながら、溜息を吐く武骨な青年。

 端から見れば笑えること間違いなしの展開で、誰もが核心を突くことを避けている。


 豊富な話題で場を盛り上げていた犀蒼瑛が、ふと何かに気付いたように瞬きを繰り返し、綜翡翠を見つめた。

「蒼瑛殿?」

「そういえば、来年は熾闇殿は帯刀ですな。と、いうことは、翡翠殿は腰結いの儀を迎えられるということ……結役には是非わたしをお選びいただきたいものです」

 怪訝そうに首を傾げた翡翠に、蒼瑛は満面の笑みでそう告げる。

 結役は、少女の後見人、もしくは婚約者候補の役目とされているため、年若い青年たちが是非とも参加したい役目である。

 しゃあしゃあと言ってのけた蒼瑛に、嵐泰が顔色を変えて制止しようとしたが、王族兄弟と言われた本人はきょとんとして蒼瑛を見つめる。

「蒼瑛、翡翠は腰結いの儀はしないぞ? 俺と一緒に七歳の時に帯刀の儀をやってるからな」

 どこか不思議そうな表情で答えたのは熾闇であった。

「は?」

「え?」

 珍しく間の抜けた表情を浮かべた蒼瑛と、驚いた様子の嵐泰が顔を見合わせる。

「帯刀……?」

「七歳で、儀をお迎えになられたのですか」

「あぁ。初陣前にやるのが慣例だろう? だから、俺と翡翠、一緒にやったぞ」

「一の兄上と俺も参加させて貰った」

 熾闇と莱軌が頷き、翡翠に視線を向ける。

「懐かしいですね。峰雅従兄上様に帯を、莱軌従兄上様に剣をいただきました」

 にっこりと微笑んだ少女は、自ら愛用の剣を示す。

「あの時は、剣が大きくて、重くて、本当にこれを振れるときが来るのかと心配いたしましたが、今ではすっかり手に馴染んでおりますね」

「翡翠も熾闇も、あの頃は同じ年の子供達よりも小さかったからな」

 重々しく頷いた莱軌は、蒼瑛に視線を向ける。

「知らなかったのか?」

「えぇ、まぁ……なんと無粋な……帯刀など行わず裳儀をなさればよろしかったのに……」

 がっくりと肩を落とした蒼瑛が、心底口惜しそうに嘆く。

 女性の場合、腰結いか帯刀のどちらかを選ぶことができるのだが、通常は腰結いが慣例である。

「蒼瑛殿も嵐泰殿も我が軍に来られたのは、そう昔のことではありませんから……申し訳ありませんでした」

 苦笑を浮かべ、取りなすように告げる翡翠に、蒼瑛が顔を上げる。

「なんの! 成人の儀が残っておりますから。その時こそは、眼福を味わいましょう。そうそう、成人の儀と言えば、熾闇殿、夜語りの姫君はお決まりになられましたか? 早く申し込まねば、美姫は売れてしまいますよ」

 ニヤリと何やら企んでいる様子の笑みで、蒼瑛は熾闇をけしかける。

「夜語り? なんだ、それは」

 そんな儀式があるのかと、記憶を手繰る少年は、盛大に首を傾げ、そうして諦めたように溜息を吐く。

「王太子軍の大将たる方の成人の儀ですからね、語り部は格式ある家柄の美しい姫君でなければ、民も納得しませんよ。さて、殿下のお好みの方はどのような女性でしょうか?」

 にこにこと楽しげに問いかける伊達男に、嵐泰が呆れたような溜息を吐く。

 熾闇の好みの女性を聞き出し、からかってやろうと思っているのは明白である。

 だが、それ以上に戦場育ちはある意味純粋培養でもあった。

「好みの女性? 語り部とは、何かを話す役目のものだろう? 誰でもいいんじゃないのか。家柄が必要になるのがわからんが……それなら翡翠でいいだろう。大臣家の娘だし、従妹だから、家柄なら充分といえるはずだしな。どうせ、成人の儀は翡翠と一緒にやるんだ、その方が面倒が少なくていい」

「…………熾闇殿?」

「あ、紅牙と青牙も一緒にすればいい。数ヶ月違いの同じ年だからな。賑やかでいいな、うん」

 茫然とした様子で主を眺めていた蒼瑛は、何やらひとり納得する様子の熾闇が翡翠に視線を向けたことにその先の言葉を悟り、空寒さを感じた。

「その語り部とやら、おまえ、やれよ」

 予想通りの言葉に、周囲の空気が冷え固まる。

 穏やかな笑みを湛えた翡翠は、無言のままに周囲の温度を一気に引き下げる。

「失礼、軍師殿! 熾闇殿、至急、内密のお話が……」

 翡翠の表情を素速く読み取った蒼瑛は、熾闇の腕を取るなり、少年を外へ引っ張り出す。

「……軍師殿、犀蒼瑛の無礼、友として謝罪いたします」

 そこはかとなく疲れ切った表情で嵐泰が深々と頭を下げる。

「いえ。お気になさらず……堅苦しいことは苦手だと仰って、典礼の授業をおさぼりになっていた熾闇様がお悪いのですから……これからはきちんと学ばれるように、典礼博士にお願いしなければなりませんね」

 肩を落とし、力無い口調で告げた少女は、溜息を吐く。

 その時、戸外で驚愕の声が上がる。

「すまんな、翡翠。馬鹿だと前々から思っていたが、あそこまで馬鹿とは思わなかった。頭は良いくせに、あそこまで使い方を知らぬとは……きっちり鍛えてやってくれ」

 莱軌までもが翡翠に同情するように謝罪を述べる。


 ガタン、ガタガタと、あちこちにぶつかりながら慌てて部屋に戻ってきた熾闇の表情は、複雑怪奇なものだった。

 羞恥で真っ赤になっている反面、後悔と陳謝で真っ青になり、そうして意味もなくわたわたと狼狽えている。

「すまん、翡翠っ! まさか、そーゆー事だとは知らなくて……親友を侮辱するようなことを、俺は……」

 物凄い失敗をした、どうしようと、正直に顔に書いた少年は、心底困ったように親友を見つめる。

「阿呆」

 卓上に片肘をつき、頬杖をついた莱軌がにべもなく告げる。

 その言葉に、ぐっと息を飲み込み、そうしてしゅんと肩を縮こませる。

 あまりにも素直な熾闇の態度に、少女は肩をすくめる。

「もうよろしいですよ」

「許してくれるか?」

「熾闇様がお勉強なさらないのは、確かに翡翠の落ち度でございましたから。これからは、典礼博士殿とよく話し合って、熾闇様にお勉強していただくことに致します」

「……おまえ、本当は物凄く怒ってるな?」

 翡翠の対応をビクビクしながら見守っていた少年は、謝罪を受け入れてくれる乳兄弟が、実は深く静かに怒っていることに気付き、思わず確認してしまう。

「怒っていない方が不思議だろう。普通、女の前でそんなこと言ったら、平手で頬を叩かれるぞ」

「兄上には聞いてない! もう二度と、絶対に、言わない! だから、えぇっと…………ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げた少年は、そのまま上目遣いで少女の言葉を待つ。

「本当に仕方のない方ですね。我ながら甘いとは思いますが、許して差し上げます。夜語りの姫君は、側室となられる方ですから、時間をかけてお選びになられるとよろしいですよ」

 柔らかな笑顔で答える少女に、ほっと安堵の息を漏らした少年は、すぐに首を横に振る。

「いや。俺は側室など迎えん。妃もいらん。父上と、次代王になる者に一生剣を捧げる。いつ果てるかもわからん身に、妃など必要ない」

 少年らしい潔癖さできっぱりと宣言した少年は、先程まで座っていた椅子に腰掛ける。

「風となり、草原を駆け抜けられたら、それだけで充分幸せなんだけどな」

 身分も何も要らないと、そう呟く熾闇に向けられた視線は、どれも暖かいものだった。


「しかし、わからん!」

 部下と兄が退出し、乳兄弟とふたりきりになった熾闇は、ガシガシと艶のある癖毛を乱暴に掻き混ぜ、唸るように呟いた。

「どうなさいました?」

 茶器を片付けていた少女は、可愛らしく小首を傾げ、従兄に問いかける。

「いや、何でもない」

 慌てて首を横に振った第三王子は、それでも眉間に皺を寄せ、渋面を浮かべている。

「兄上様のことでございますか?」

「翡翠! わかってるなら、わざわざ聞くな」

 何でもお見通しの副官に、少年はムキになって叫ぶと、ずるずると椅子の背を滑るようにして姿勢を崩す。

「それは申し訳ございませぬ。それほどお悩みあそばすようなことはないかとお見受けいたしましたが」

 くすりと小さく笑った翡翠は、卓上の呼び鈴を軽く振り、女官を呼び寄せると、茶器を手渡す。

 唸る王子の様子に、軽く目を瞠った女官達は、黙ったまま静かに部屋を出ていく。

「悩むことはない? あれでは、まるで別人のようではないか!? 一の兄上が亡くなられて、別人になった二の兄上がいて……混乱しない方が変だと思うぞ、俺は!」

「そうでしょうか?」

「そうだろう!? あれではまるで、昔の……俺達が剣を持つ前の兄上だ」

 勢い込んで言いかけた熾闇は、視線を泳がせ、そうしてぽつりと呟くと椅子に沈み込む。

「そうか。忘れてた。あれが莱軌兄上だ」

 やんちゃで元気が良すぎる弟を、呆れて苦笑しながらも暇を作っては遊んでくれた賢く優しい兄だった。

 間違っても弟を殺そうとするような人ではなかった。

「いつから……いや、母上が亡くなられてからだ。兄上がおかしくなったのは。そもそも、母上は何の病で亡くなられたんだ?」

 まだ幼かった少年は、母親の死について何とか理解できたものの、その原因まで気が回らなかった。

 儚げだが美しくて優しかった母が、何故死に至ったのか、誰も話してくれなかった。

 思い出せば、疑問ばかりが浮かび上がってくる。

「翡翠、おまえは知ってるか?」

 頼りになる乳兄弟に問いかけると、少女は困ったような表情を浮かべ、首を傾げている。

「さぁ……胸の病とお聞きしておりましたが……何分、わたくしも幼かったものですから、詳しくは」

 誰もが口にすることを避けているその話題を、翡翠も年齢を理由に誤魔化してしまう。

 いつか、本当のことを知るときが来るかもしれない。

 だが、それは今ではない。

 あの哀しすぎる事実を、今、この時、彼が知る必要はないと、翡翠はしらを切り通す。

 そうして、素直な少年はそれを真実だと信じた。

「そうだよな。おまえ、俺と同じ年だもんな。俺がわかってないのに、おまえに聞いてもわからないよなぁ」

「……お役に立てず、申し訳ございません」

「あ。いや、いいっ! そんなに気にするなよ! おまえが悪いわけでもないし、翡翠は充分すぎるほど俺の補佐をしてくれてるし……おまえがいてくれて、本当に良かったと思ってるし」

 謝罪する副官に慌てて手を振り、気落ちするなと逆に懸命に慰めようとする少年に、翡翠は淡く微笑む。

 少年らしい潔癖さを持つ王子が真実を知れば、さぞかし憤りを感じることだろう。

 誰に対してとは、言うまでもない。

「今の二の兄上が本来の兄上というのなら、あの時の兄上こそが別人だというわけか……それなら、あの時のおまえの言い分もよくわかる。それと、おまえの判断が正しいと言うこともな」

 ポツリと呟いた少年は、困ったように視線を泳がせる。

「……これから、次兄上はどうなさるおつもりなのだろうな。王族として、政に携わるか、それとも武人となり、野を駆けられるか……俺が手伝えることができれば、いいのだが」

 溜息混じりで呟く。

 身内に対して甘すぎる少年の言葉は、永遠に実行不可能になった。


 采女・藍美の訃報が秘やかに王宮内に流れた──

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