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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
33/201

33

  秦王崩御のため、秦国との国境近くに警戒のために配置されていた王太子軍は、その場から解散し、それぞれの領地へと兵は戻っていった。

 各国の細作達は、そのように己の主へと報告を送った。

 しかし、彼等は己の領地へとは戻らず、やや北寄りに進路を変え、そうして湖沼が点在する湿原地帯へと集まった。


「確かに見た限りでは、そこに湿原があるとはわからないな」

 窪地に陣をおき、背丈ほどもある葦の中から周囲を見回した少年が、感心したように呟く。

「湖沼地には葦が生え、それ以外の所には葭や麦等が生えております。それさえ見落とさなければ、沼に脚を取られることはありますまい」

 横に立った軍師が、静かな声でそう告げる。

「ふむ。北の岩地から来たのでは、己の背丈ほどもある草地は堪えるだろうな。今の時期、火をかけたところで草が持つ水分に火は消されよう。刈ったところで、埒もあかぬだろう」

「御意」

 真っ直ぐに草原を見つめ、独り言ちるように呟いた熾闇は、視線を背後の武将達に向ける。

「巍の兵を、あの湿原に追い込むことはできようか?」

 淡々とした口調と表情だった。

 普段は年相応の少年らしい闊達な表情の陽気な王子だが、数日前から急に落ち着いた雰囲気を漂わせ、おとなびて見えるようになった。

「それは、もちろん。上将のお望みのままに」

 利南黄がしっかりとした動作で頷く。

「ですが、殿下。湿原に追い込み、なんといたします?」

 探るような視線で問いかけてきたのは、犀蒼瑛であった。

「湿地に落とし、足を射よ。俺が欲しいのは将の首と巍王だ。それ以外は邪魔であるし、無益な殺生は好まぬ」

 あっさりとした口調で応じた熾闇は、真っ直ぐに蒼瑛を見据える。

「未だ、放たれた刺客が彷徨いている。頭を潰せば、話が早いと思わぬか?」

「なるほど」

 馬鹿の相手をするだけ、時間が無駄ですしねと、納得顔で頷いた伊達男は、にやりと笑う。

「その大将の首、わたしにいただけますか?」

「翡翠?」

「残念ではございますが、奥津城に隠れておいでです」

 巍王が戦場に来ているかと、熾闇が問いかけると、翡翠は苦笑を浮かべ首を横に振る。

「なんとまぁ……奥津城に隠れて麗しい気分になるのは美女ばかりだというのに……むつけき者が見苦しい」

 面白くなさそうな表情でボヤく犀蒼瑛に、将達は苦笑を浮かべる。

 だが、熾闇も翡翠も笑みを浮かべず、静かなままだ。

「刺客の件は、わたくしにお任せを。今、王都の月は美しいでしょうね。月を眺め、琴を爪弾くのも一興……そう言えば、蒼瑛殿と嵐泰殿に月琴をお聴かせすると約束しておりましたね」

 静かな口調で、翡翠が告げる。

「あぁ、そうでございましたな。無粋な奴輩を早々に片付けて王都に戻り、飛天もかくやと思しき美姫の楽に心を委ねとうございますな」

 きらりと瞳を輝かせ、蒼瑛が楽しげに頷く。

「おぬしもそう思うだろう? 嵐泰」

「……妹が喜びましょう」

「素直じゃないな」

 ちっと舌打ちした男は、親友に据わった視線を送る。

「まぁ、風流を介さぬ無粋な無骨者の申すこと。麗しの軍師殿の御気色を損なわねば、それで上々というもの。さて、巍軍の夜襲は有り得ましょうか?」

 さっさと王都に戻ろうという気になったのか、蒼瑛が翡翠に問いかける。

「まずは、ありえますまい。巍から我らは見えませぬ。我らがここに辿り着いていることすら、彼等はまだ知らぬこと」

「つまり、我が軍の方が幾段も有利だということでございますな。いつものことではありますが」

 莱公丙が安堵したように頷く。

 立派な策のひとつとは言え、暗殺及び誘拐を堂々と指示するような王が率いる軍に正面から挑もうと思うほどお人好しではない。

 巍王は、颱の禁忌に触れたのだ。

 風の王国の至宝に対し、最も忌むべき行為に走ったのだ。

 至宝達は、それを戦略のひとつと解し、容認したが、彼等以外の者達はそうではない。

 もし、戦場に巍王が現れれば、即座にその首を落としてやろうと心に決め、素知らぬ振りを通す。

「礼儀知らずの無粋な輩には、即刻退場願うとしよう。常勝軍が力、とくとご覧じよ」

 蒼瑛がニヤリと笑い、そう宣言する。

 そうして、彼の宣言通り、わずか数日で巍軍は敗走するハメに陥る。

 完勝と言うより、圧勝であった。


 王太子軍は、朗報を手に王都へと向かった──



 王都に向かい、矢の如き勢いで駆ける騎馬の一団。

 銀房に縁取られた白の軍旗──王族が主将だと示す旗──が風になびく。

 颯州を目前にしたその時、熾闇は片手を挙げ、全軍を止めた。


 王都の手前に白い獣が静かに佇んでいる。

 優しい風を民人に送りながら、ただじっと彫像のように彼等を──熾闇を待ち受ける。

「白虎殿!」

 少年は馬を駆り、そうして白虎神の手前で飛び降りると、彼の前に膝をつき、くしゃりと顔を歪めた。

「白虎様が、何故……?」

 子細を聞かされていない武将達は、王宮から動かないはずの守護神の出迎えに訝しげに首を傾げる。

 漣のように走るざわめきを背中で抑えた翡翠が、白い神獣に目礼をする。

「よく堪えたな、熾闇。将として立派だと峰雅も満足していたぞ」

 朗々とした響きよい声が、少年を労う。

「自慢の弟だと、喜んでいた」

「……兄上は」

 聞きたいことはたくさんある。

 だが、胸が詰まって言葉にならない。

「頑張った褒美をやろう。背に乗れ。峰雅に会わせてやるぞ」

 くるりと背を向けて告げる白虎に、熾闇は躊躇いがちにその太い首に手をおく。

「白虎殿」

「手向けだ」

「ありがとう」

 ぎゅっと太い首に腕を回して抱き締めた後、熾闇はその背に飛び乗る。

 颱を守る神獣を騎獣にできるのは、王族でも一握りしかいないだろう。

 熾闇が背にしっかりと跨ったことを確認した白虎は、空を蹴り、ふわりと宙に舞い上がる。

「翡翠!」

 低く朗々とした声と、少年らしい澄み切った声がひとつの名を呼ぶ。

「後を頼む」

「承知」

 少女にしては低い、性別不詳の柔らかな声がくっきりと承諾を告げる。

 安心したように微笑んだ少年は王都に視線を向ける。

 そうして、白虎は瞬く間に空を駆けていった。


 あまりにも信じられない光景に、度肝を抜かしていた将達も、すぐに我に返ると副将に視線を向ける。

 第三王子が一足先に戻った今、軍を束ねるのはこの少女である。

「軍師殿、これは一体……!?」

「軍旗を半旗に……忌旗を掲げよ!」

 凛とした声が、旗騎に命じる。

 そうして黒髪の少女は、集まってきた将達をぐるりと見渡し、静かな声で告げた。

「第一王子峰雅様がご逝去なさいました。天命です……」

「なんと!?」

「そんなっ!! では……」

 次代王に相応しいと誰もが思っていた第一王子の訃報に、将達は目を瞠る。

 急な話ではないが、だが望んでいた話ではない。

 第一王子が王に、第三王子が大将軍として颱を束ねるなら、きっと戦のない時代を作ることも可能だと、そう信じていた彼等は目を伏せる。

「殿下は……翡翠殿も、ご存知であられたわけですか」

 利南黄が、気遣わしげに問いかける。

「はい。わたくしが巍の手から戻ってきた夜──ご逝去なさったと風の声を聞きました」

 感情を窺わせぬ優しげな声、そして微笑み。

「それほど前に、何故!? 何故、殿下方は王都にお戻りになられませんでしたか?」

「峰雅様がお望みになられませんでした。別れはすでに告げておりますし、わたくしたちの役目は颱を守ること──たったひとりの人間の死に、それを放棄してはならぬと──それが、王家の血を引く者の務めであるとの仰せですから」

「それゆえ、墓前に戦勝を掲げると? 王族とて人の子。大切な家族の死を嘆いて当然でございましょう。役目を放棄して何が悪いと申すのでしょうか? それとも、己を犠牲にしてまで国を守ったとそう仰りたいのかな?」

 犀蒼瑛が、皮肉げな視線を翡翠に向ける。

「嘆く時間はもう終わりました。また逢えることを知っていて、今不在であることを嘆き続けるほど、我らは幼くも愚かでもないということですよ、蒼瑛殿」

 微笑みを深くし、翡翠はそう告げる。

「軍師殿?」

「蒼瑛殿はお優しい。泣いてもよいと仰ってくださる。わたくしや熾闇様をただの子供として扱ってくださる……貴方に想われる方は幸せな方でしょうね」

 まだ幼く純粋で、恋が何たるかを知らない少女が無邪気に呟く。

 例え智将と詠われ、いくら大人びて見えようとも、熾闇も翡翠も成人の儀を数年も先に待つ子供なのだ。

 そのことを改めて思い知らされ、蒼瑛は苦笑を浮かべる。

「そう言ってくださるのは軍師殿だけですよ。私は不実で優しくない男だと、皆はそう申します。それが事実なのでしょう。……峰雅殿は、言霊で約されたのですか。また、逢えると」

「はい。ですから、わたくしたちは哀しむ必要はないのです。天帝様は、必ずやこの言霊を叶えてくださいますから」

 ゆったりと頷く少女に、将達は頭を垂れる。

「王都へ帰還いたしましょう。わたくしたちが戻るべき場所へ」

 副将の言葉に、彼等は隊列を組み直す。

 そうして、王太子軍は粛々と厳粛な面持ちで、王都の門をくぐった。


 第一王子の突然の訃報に動揺を見せず、ただ静かに整然と歩みを揃え、王宮に向かう彼等を民人は複雑な思いで見つめる。

 王太子軍の活躍は、我が事のように嬉しい。

 いつものように期待以上の成果を上げて戻ってきたのは確実だ。

 だが、それを知らせてくれる摂政の君がもういない。

 喜びと哀しみが奇妙に混ざり合う。


 半旗を掲げ、王宮へと入城した王太子軍の副将を迎えたのは、蟄居を命ぜられた第二王子莱軌であった──

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