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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
3/201

 挨拶に来た妹に対し、お茶も出さずにいたと気付いた彼は、あらかじめ女官が用意していた茶道具に手を伸ばし、お茶を煎れる。

「実が成ってからでは遅すぎましょう。芽が出た時点で摘むには早すぎましょう。それゆえ、今、手折るが最良かと存じます」

「そうですか……そなたがそのように判断したのなら、それが懸命な手段なのでしょうね。此度は長兄に出陣をお願い致しましょう」

 茶碗を翡翠に差し出しながら、偲芳が兄を窺う。

「俺はいっこうに構わぬが。だが、その前に王の下知を戴かないことには、俺とて動くわけにはいかぬよなぁ」

 三度の飯より喧嘩好きという、生まれついた家の格式を蹴飛ばすくらいの庶民的な性格の持ち主は、どこか嬉しげな表情でそう答える。

「王には儂から奏上しよう。それにしても、新年早々慌立たしいことじゃのう」

 藍昂は溜息混じりに零す。

「その事ですが、父上。そのお役目、この翡翠にお任せ下さいませ。わたくしに案がございますゆえ」

 にこやかに翡翠は笑い、腕の中の木蓮を抱え直した。

 こぶしよりも一回り大きい、清楚な白い花は、娘の碧玉の瞳を引き立たせている。

「翡翠、そなたは戦より戻ったばかり。女子のそなたの身では、幾度とない行軍はきついでしょう。しばし身体を休めることを兄は勧めますよ」

 優しげな顔を心配で曇らせ、偲芳が言う。

 誰よりも末妹を溺愛している次兄は、彼女の意志を認める反面、急ぎすぎて無茶をするのではないかと、気を揉んでしまうらしい。

 その逆が長兄である。普段は末妹を子供扱いしているが、軍師の才は認めているようだ。

「案があるというのなら、碧軍師に任せよう。どうせなら、そなたが我が軍に来ればいいんだがな。白虎殿の覚えめでたき碧軍師が来るとなれば、ウチの連中も、少しは骨のある奴が揃うだろうな」

 本気と冗談が入り交じった言葉を紡いだ季籐は、妹の顔を覗き込む。

「本気だぞ? 我が軍へ軍師として来い」

 その言葉に、翡翠は涼やかな笑い声をたてた。思わず聞き惚れてしまうような、澄んだ声だ。

「ありがたきお言葉でございます、季籐兄上。ですが、わたくしは颱国の一兵卒でございます。私の一存で、移動できるわけがございませぬ。そのお言葉、我が君と陛下へ」

 緩やかに膝を折り、優雅に一礼すると、兄を見上げる。

「此度の戦、わざわざ綜将軍が出向くまでもございませぬ。そもそも戦になるかどうかも、判りませぬゆえ」

 クスリと笑うと、翡翠は話を逸らす。

「久しく家に戻らなかったため、庭の雰囲気がかなり変わっておりました。姉上の木蓮を始め、母上の大切な椿などが咲き誇り、大層美しい眺めでした。もうしばらくすれば、連翹が咲き始めるとか……」

「あぁ、そなたが発ったのは、夏の終わりであったな」

「今年の風舞の姫君は決まりましたか」

 花に負けぬ程白い指で、木蓮の花弁を辿りながら、綜家の末娘は父に問いかける。


 右大臣の仕事の一つに、新年を祝う風舞の舞手を選ぶというものがある。また新しい年を迎えることができた喜びと感謝の気持ちを舞に託し、守護神である白虎殿へ捧げる儀式である。

 同じ奉納舞でも南の燁国の競い舞とは違い、誰でも身分に関係なく舞う資格があるわけではない。十三才から二十七才までの未婚の娘で舞を嗜む者という条件は、四神獣を奉る国に共通ではあるようだが、颱国では、更に貴族の娘という条件が付け加えられる。

 毎年、年末から新年にかけて、年頃の娘を持つ貴族は、右大臣に己の娘を舞姫に選んでくれるよう日参するのだ。中には金品を包むような不届き者もいるようだが、公平な目で舞い手を選ぶ役目というのは、なかなかもって難しいようである。

 末娘の問いかけに、とたんに難しい表情になった右大臣は、重々しく溜息をついた。

「一人、候補は挙がっておるのだがな。これが、首を縦に振らんのだ」

「舞姫を嫌がる姫君がおられるのですか?」

 まさか名誉ある舞姫を断る娘がいるとは思わず、翡翠は軽く目を瞠った。

「そうなんじゃ。他の候補は、その姫こそ舞姫に相応しいと言うて、辞退しておる。陛下や殿下におわしても、その姫の舞を一目見たいとの仰せ。白虎殿も望まれておいでじゃが、肝心の姫がのう」

 苦悩の表情を浮かべ、藍昂は重々しい口調であらましを告げる。

 常に第一線で、諸外国との駆け引きをしている右大臣たる父、藍昂が、このように手間取る姫君が誰なのか、翡翠は興味を覚えた。

 父の隣に立つ偲芳は、藍昂と同じく困り切った表情を浮かべて頷き、季籐に至っては、大きな掌で口許を覆い、難しい表情で窓の外を眺めている。

「白虎殿が望まれておいでなのですか? あの方は、心がこもっておれば、上手下手は関係なく嬉しいものだと、常々仰っておいででしたが……」

 意外なことを聞いたような気がした翡翠は、そう呟き、件の姫君が誰なのかを悟った。

 以前、直に白虎から風舞を舞えと言われた娘がいたことを思いだした。そして、確かにその娘は、王子になぜ風舞を舞わないのかと尋ねられたこともあった。

「……もしかして、わたくしのことですか」

「ようわかったのう。そうじゃ。そなたのことじゃ、翡翠。どうだ? 今年こそ、舞ってくれぬか」

 顔をしかめて尋ねた翡翠に、藍昂は嬉しそうに問いかけてくる。

「その件につきましては、何度も申しております」

「都中の姫君が舞終わったあと、か? そのような戯れ言がいつまでも通用すると思ってか! そなたの我が儘を聞くわけにはいかぬのだ。今年こそ、舞ってもらうぞ」

 机を叩きかねない勢いで藍昂は、末娘に言う。言い聞かせるのではなく、場合によっては右大臣命令として、無理矢理にでも了承させるという態度をとっている。

 だが、翡翠はいっこうに慌てることなく、落ち着いた様子で父を見つめた。

「わたくしは、舞えませぬ。舞を嗜みませぬし、何よりも清らかであるはずの舞姫が、血に汚れていては、ならぬことでしょう」

 淡々とした口調で答えると、翡翠は肩をすくめた。

「わたくしは、初陣より我が君の側近としてもう何度も戦場へ参っております。その度に剣を取り、血を流してまいりました。例え、剣を握らずとも、軍師として策を練り、それを兵卒に命じれば、それは剣を取ったと同じこと。わたくしの手は、血塗れで、洗い流したところで落ちるような量ではございませぬ。その様な者が、果たして風舞を舞う資格がございますでしょうか」

 あるはずがないと、言外に臭わせた娘は、用は済んだとばかりに部屋の主とその息子達に一礼をする。

「せっかく美しい木蓮ですから、萎れないうちに我が君の元へ運びたいと存じます。申し訳ございませぬが、これにて……」

「藍昂! そちらに翡翠が参っておると聞いたが、本当か?」

 退出の挨拶を紡ごうとしていた声を遮るようにして、扉が勢いよく開けられ、そろそろ青年にさしかかろうかという年頃の少年が、顔を出した。

「……熾闇様」

「我が君」

 思いがけない少年の出現に、部屋の空気が変わる。


 颱国第三王子熾闇は、右大臣の執務室に揃った綜家の面々に、一瞬たじろいだような様子を見せたが、目当ての人物を見出し、上機嫌な笑顔を見せた。

「話の邪魔をしたか? 済まぬな、右大臣。それに季籐と偲芳。久しく逢わなかったが、元気そうだな。そのうち剣の相手をしてくれ、綜将軍。偲芳、新しく絵を描いたのなら、見せてくれないか。都合の良い時間を教えてくれ、こちらで調整するから。あ、妹御を借りていくぞ」

 まず部屋の主に謝罪した少年は、次に乳兄弟の兄達に挨拶をし、翡翠の腕を掴む。

 本人の意思を確かめることなく、熾闇は翡翠を部屋の外へと連れ出した。

「我が君! 熾闇様!」

 右大臣の執務室から思政宮の門を出るまで、熾闇は翡翠の声に答えることなく、無言のままで足早に歩いた。

「……我が君!」

 思政宮を出て、回廊に戻ると、ようやく熾闇は掴んでいた腕を放した。

「何故この様な無体な真似をなさいます? それに右大臣の執務室で、あの様な子供じみたなさりよう。わたくしが、何か致しましたか」

 明らかに抗議の意を含んだ声で、翡翠は乳兄弟を睨め付ける。


 せっかく少年に見せようと思って持ってきた木蓮が、この乱暴な行為に散るのではないかとはらはらしていたのだ。それに気付かない少年に腹が立っていたのも仕方のないことだろう。

「充分したぞ。待っていたんだ」

 むすっとした熾闇は、顎を持ち上げ、翡翠を見下ろす。

「馬丁が気を利かせてくれて、おまえが来たことを伝えに来てくれた。新年の挨拶に来たのだろうと、こちらが用意して待っていたのに、おまえときたら……そりゃ、父君や兄君には随分と逢っていなかったのだろうし、挨拶をしに行ってもおかしくはないが……」

 言っているうちに自分の行為が無体なものであったと後悔し始めたのだろう。熾闇の言葉は段々と力をなくし、心許なげになってくる。終いには、睨み付けるようにしていた視線を翡翠から外し、あらぬ方へと彷徨いだしている。

「久方振りに剣の相手でも頼もうかと、その、……待っていたんだ……」

 母親に叱られるのを待っている子供のように、王子は綜家の末娘の顔色を窺う。


 戦場では勇猛果敢、機知に富み、到底十代の少年には見えない、落ち着いた王子だと評判の熾闇だが、乳兄弟相手にはそうもいかないらしい。

 現在、王宮において熾闇の立場というものは、かなり微妙なところであった。現国王には、熾闇を含め多くの王子がいる。王子達はすべて母親が違う。正妃の息子は二人。病弱で、おそらくは立太子してもその激務に耐えることのできないだろうと言われる第一王子が第一正妃の息子であり、第三王子熾闇は、第二正妃の息子である。だが、第二正妃は熾闇を産み落とすと間もなく帰らぬ人となり、正嫡ながら、確固たる後ろ盾がない。第二王子、第四王子、第五王子は、それぞれ側室である采女、貴妃の庶子である。

 現時点において、国民の希望や本人の資質から見ても熾闇が一番、次期国王の座に近い人物であるのは間違いない。乳兄弟である翡翠は、右大臣の末娘である。母親の後ろ盾がなくとも、乳兄弟を頼れば、力を得ることができるのだ。

 だが、熾闇の性格はあまりにも真っ直ぐで、戦略に関する政治的駆け引きはできるのに、自分の立場に関する駆け引きは全くできないのだ。もう少し自分というものを高く見積もって諸大臣達に高く売りつければいいものをと、側近の翡翠が何度思ったか知れない。

 その性格ゆえ、熾闇は部下達に愛され、初陣以来、華々しく勝利を得ることができたことも否めない。

 翡翠は黙ったまま、自分の唯一の主を見上げた。

 熾闇は、自分の失態を認めつつも、何とか言葉を捜そうと躍起になって考え込んでいる。しかし、長い沈黙が重くなってしまったのだろうか、上目遣いで乳兄弟を見ると、とうとう最後の言葉を口にした。

「…………済まなかった」

 その素直すぎる謝罪に、翡翠は吹き出した。

「翡翠!」

 途端に上がる非難の声に、娘は肩を揺らしながら、無理矢理に笑いを堪えた。

「申し訳…ございませぬ。わたくしが悪うございましたな、確かに。父に報告をしに参ったのでございます。先に我が君の許へ参じるべきでございました」

「そう笑っていては、本当に悪かったと思っているようには聞こえないぞ、翡翠」

 憮然とした面持ちで答えた熾闇は、仕方なさそうに自室へと翡翠を促す。何の話をするにしても、ここでは人の目を集めすぎる。

 翡翠の整いすぎた美貌は、とかく人の記憶に残りすぎるのだ。この光景を見た者が、余計なことを言い出さないうちに、誰も来ない場所へ移動するのが得策だということを熾闇はよく知っていた。

「その木蓮は、確か芙蓉殿の……?」

「覚えていただけて、姉も光栄にございましょう。我が君に愛でていただこうと、姉に花枝を分けていただきました」

 翡翠が大事そうに抱えている木蓮に初めて気付いた熾闇は、花について問いかけてみると、思いもかけない回答が返ってきた。

「そうか、もうそのような時期だったんだな。後で芙蓉殿に礼をしよう。あぁ、右大臣に何の用だったんだ?」

 丁寧な手つきで花枝を受け取った熾闇は、興味に駆られ、執務室でのことを問いかける。

「……新年に右大臣殿の執務室で話す事は、一つでございましょう?」

 逆に切り返され、第三王子はすぐに頷いた。

「風舞の舞姫か! それで、今年は誰になったんだ?」

「難行しているようです。本命が頷きませぬから」

 すまして答える娘に、少年は吹き出した。

 目の前にいる本命は、右大臣の命令だろうが王命だろうが、決して頷くつもりはないのだろう。やり手である藍昂が、娘に翻弄されてカリカリする様は、一度でいいから見てみたいものであった。

「踊るくらい、構わないだろう?」

「我が君お一人の前でしたら、全く構いませぬが、何かと面倒が多うございます。またの機会ということにして下さいませ」

 面倒という言葉が何を指すのか、熾闇には全く判らなかったが、翡翠が気に入らない事は得てして自分も気に入らない事が多いので、この場合、頷くほかなかった。

「判った。翡翠の都合の良いときでいいよ、俺は」

「俺としては、今直ぐに見たいのだがね。綜家の娘」

 熾闇が頷こうとしたのを遮るように、第三者の声が割り込んだ。


 朗々と響く音楽的な声。

 その声に聞き覚えのある二人は、ぎょっとしたように周囲を見回した。

「白虎様!」

 二人の背後に白い虎がいた。

 陽光を弾き、目を射るように白い毛の虎が、泰然と寝そべっている。普通の虎よりもかなり大きい白い虎は、颱国の守護神である白虎であった。

「相変わらず仲の良いことだな、おまえ達は。それはよいとして、いい加減、風舞の舞姫となってもよかろう、翡翠」

 ぴたぴたと白い尻尾で翡翠の腕を軽く叩きながら、白虎は拗ねたように言う。

「お言葉ではございますが、わたくしは、陛下の一兵卒にすぎませぬ。貴族の姫君ではなく、名もなき兵にございますれば、どうぞご容赦を」

 緩やかな仕種で優雅に一礼した翡翠は、白虎に許しを乞う。

「……まあ、あの翡翠が風舞の舞姫に選ばれたと知れれば、都中の者が王宮に詰めかけるのは必至。見事舞う翡翠を見たいのは山々だが、その後の事を考えれば、確かに頷けまい。仕方ないなぁ、俺とてまだ手放したくない」

 仕方なさそうにボヤいた白虎は、ピタンと尻尾で翡翠の腕を叩くと、今度は甘えるように自分の頭を娘の手に擦りつける。

 王宮で熾闇の立場が微妙であると同様に、翡翠の立場は国中どころか、諸外国の間でも微妙な存在であった。

 諸外国に名を轟かせる碧の軍師は、颱国でも一、二を争う名家の末娘である。王家との繋がり深い娘を手に入れることは、則ち颱国の援助と知恵を手に入れたも同然である。

 今は成人をしておらず、軍師として王太子候補の第三王子に従軍しているため、直接の手出しはできないが、あと二、三年もすれば、颱国内外より婚姻の申し込みが殺到すること間違いなしである。

 綜家の末娘として教育され、また太子軍の軍師として政治的視野を鍛えられた翡翠には、自分の価値というものがよくわかっていた。

 王の庶子である姫君よりも、代々王家に仕え、血縁関係にある右大臣家の姫の方が、颱国の援助を取り付けるにしても、人質にするにしてもその価値は高い。しかも、翡翠という姫自体の付加価値は、かなりのものだろう。太子軍の軍師として数々の手柄を立てた将であると同時に、機密を握ることのできる人間でもあったわけだ。

 だからこそ、翡翠はあまり目立たないように、万事控えめに行動することを自らに課していた。舞姫など、以ての外だ。

 白虎の頭を一頻り撫でていた翡翠は、熾闇に視線を流し、口許に笑みを刷く。

「……部屋に戻る。白虎も来られるか」

 それを合図と受け取った熾闇は、太子府にある私室に戻ることを告げた。

 白虎は、熾闇の声音に子細を嗅ぎ取り、巧くやってくれと答えると、姿を消してしまう。

「巧くやれ、か……できそうか?」

「今回は、大した事ないでしょう」

 乳兄弟の問いかけに、努めて軽く答えた翡翠は、太子府に向かい歩き出した。

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