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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
28/201

28

 北へ向かって走る二騎の騎馬。

 その背に三つの人影。

 ふたりがそれぞれの馬の背に乗り、残る細い人影は、荷物のように馬の背に横たえられている。

「……しっかし、わからねぇな。王も酔狂なことだ。こんな小娘をわざわざ殺しもせず、無傷で連れて来いったぁ……どう思う? 兄貴」

 喋るのは、ひとりで馬に乗っている男の方だ。

 まだ若いらしい男は、沈黙が耐えきれないかのように、ひとりで喋っている。

「これが噂の颱の宝玉ってか? 冗談きついぜ。確かに将来上玉は間違いないだろうが、子供じゃねぇかよ。こぉんなガキに軍師役が務まるかってぇんだ。よほどの人材不足か、影に誰かついてるんだろうぜ、多分」

 目を閉じたままぐったりとしている翡翠を覗き込み、若い男は喚くように言う。

「……その小娘に傷を負わせられたのは、誰だ?」

 兄貴と呼ばれていた男が、初めて言葉を発する。

 くぐもった低く陰湿な声は、相方の傷を深く抉ったようだ。

 ぐっと言葉に詰まった青年は、心持ち彼から距離を取る。

「あれは……油断してたからだよ。でなきゃ、こんなガキにオレ様が……」

「それがおまえの悪い癖だ。見掛けですべてを判断するな。噂じゃ、仙と同じ術を使えるらしい。今の段階じゃ、確かめる術はないがな」

「そんなん、でたらめじゃん。仙人なんて、いるわきゃねぇしよ。術が使えるなら、兄貴に掴まるわきゃねぇし」

 ぶつくさと言いながら、青年はそっぽを向く。

 暗闇の中で気配を殺していたにもかかわらず、翡翠に見破られ、傷を負わされたことが彼の自尊心を傷付けていたらしい。

 今回のことは、何もかもが不満だらけのことであった。

 名うての刺客であるはずの自分と兄貴分が、巍王に呼び出され、依頼されたのは暗殺ではなくて、誘拐であった。

 しかも、相手は颱王家と縁の深い大臣家の末姫。

 傷ひとつ負わさずに、誰にも気取られずに連れてこいなど、馬鹿にされているとしか思えない内容であった。

 兄貴分が引き受けたことなので、口出しはできなかったが、大いに不満であった。

 標的を調べてみれば、意外なことがわかったが、どう考えても暗殺した方がいいような人物にしか思えない。

 まだ子供のクセに、常勝軍の軍師として奇抜な策と基本的な配置をしっかりとした知識に基づいて行うなど、要注意人物以外の何者でもないはずだ。

 しかも、机上で物を言う種類の人間ではなく、剣技等の武術も、相当な腕前だという。

 絶対に嘘だと思い、仕掛けてみて、わかった。

 噂は誇張でなく、真実だと。

 しかも、その真実も事実のほんの一部を言い表したに過ぎないと。

 油断した覚えはないのに、暗闇で、物音ひとつしない中で、この小娘はあっさりと彼の居場所を突き止め、躊躇うことなく剣を振るった。

 彼が避けれたのは、奇蹟に近い。

 完全に避けることはできなかったが、あのまま動かずにいたら、彼の命はなかっただろう。

 斬り付けられた場所がじくじくと痛む。

「……よぉ、兄貴。そろそろ野営にしようぜ。一日走り詰めで、馬がやばそうだ」

「そうだな」

 騒ぎが起こる前にと、颱の野営地から抜け出して、一日中、馬を走らせてきた。

 追っ手の心配はさすがにないが、相手が颱の精鋭部隊だと思えば、もう少し距離を取っておきたいのも事実である。

「このお姫さんがいりゃ、なんとかなるっしょ。噂の馬鹿王子も、こいつが俺達の手の内にあるとわかりゃ手を出せねぇだろうしよ。ま、巍王の方にも、吹っ掛けられるしな」

 きしししと、奇妙な笑い声を立てた青年は、身動きひとつしない翡翠に視線を向ける。

「しっかしよ、あの色ボケジジイ。自分の子供か孫ぐれぇのガキを捕まえて、自分の側室にしようって、スキモンすぎるぜ。マジで、このガキ手に入れたヤツが次の颱王になれるっていう噂、信じてるのかねぇ?」

「……黙ってろ」

「へいへい。兄貴、どうせなら、こいつ、色街に売っ払って、背格好似たガキを拾って、巍王に売りつけねぇ? そっちの方が絶対儲かるって!」

 あくまでも冗談としか思っていない青年は、相方の睨みをモノともせず、からりと笑うと馬から下りた。


 男達が食料調達のため、野営地から離れてしばらくしたあと、身動きひとつしなかった綜家の娘がむくりと起き上がった。

「香が効いたふりなど、するものではありませんね」

 やれやれと言いたげな素振りで呟いた少女は、首にかけられた香袋を見る。

 この香袋がある限り、翡翠は眠り続けていると信じている刺客達には気の毒だが、そんなものは白虎の術の前では何の効力も発揮しない。その上、翡翠は薬師と同じだけの知識がある。

 あの場所で一気に殺していた方が、彼等としては良かったのかもしれない。

「それにしても……傍迷惑な噂が流れているものですね。四神国の次期王は、その国の守護神が決めることになっているのだと知っていそうなものですのに」

 溜息をひとつ吐いた少女は、首にかけられた香袋の中身を火にかけられた茶の中へと放り込む。

 手に入れることが困難な眠り香は、薫りとして嗅ぐだけでも量を間違えれば死に至る。

 そうして、それを茶に混ぜれば、無味無臭の毒薬になるのだ。

「欲しい情報はこれ以上は聞き出せそうにありませんしね。わたくしも早く陣中に戻らねばなりませんので、因果応報ということで納得してください」

 誰が聞いても納得できないことをあっさりとした口調で言ってのけた少女は、先程と同じように香が効いているふりをして、地面に横になった。


 翡翠が横になってしばらくして、男たちが戻って来た。

 懇々と眠りつづける少女の姿に疑問を抱かなかった彼らは、狩猟遊牧民を装い、食事の支度に入る。

 そうして、何の疑いもなく茶を口に含み、それが起こった。

 込み上げる嘔吐感と共に、草地を血に染める。

 信じられない思いで咄嗟に彼らは翡翠へと視線を走らせる。

 確かに眠っていたはずの少女の姿はどこにもなかった。

 他の追っ手にやられたかと、周囲を見回そうとして、首筋に熱を感じた。

 否、熱ではなく、それは痛みだった。

「侮りましたね。剣を手放したからといって、相手が丸腰だと思うのは早計ですよ。わたくしを狙うのでしたら、手足をしっかり縛り付け、そうして仮死状態にしなければ……さもなくば、首を落としなさい。わたくしは、最後の一息まで主のために抵抗すると誓っているのですから」

 耳許で囁かれる優しい声。

 視界に映った、艶やかな黒髪が彼らが最後に見た映像であった。

 意志を持たぬ肉塊となったふたつの物体は、ゆっくりと草地に崩れ落ちる。

 その彼らの首筋から細長い刃を抜き取った少女は、血糊を拭き取り、手甲に嵌め込む。

 飾りに見せかけた隠し暗器であった。

「くだらぬ噂に振り回されて……愚かな事を。たかが一介の軍師を手に入れたからとて、颱が手に入るわけもなかろうに……。もしかして、二の君様が刺客を放ったは、この噂を真に受けてのことかもしれませんね。何にしても、この不愉快な噂を潰さぬ限りは、此度の事が起こるというわけですね」

 艶やかな黒髪を掻き上げ、骸と成り果てたモノに冷たい一瞥を投げかけた少女は、不愉快そうに呟く。

 たったひとり。

 乳兄弟であり、従兄妹であり、主である熾闇が望むことのために、自分はあるのだと己の道を定めた彼女にとって、噂が真実であろうと嘘であろうと、迷惑なだけのものでしかない。

「弱りましたね。この分では、巍王は、何組もの刺客を――誘拐犯というべきでしょうか――差し向けているようですね。皆に迷惑をかけてしまいますね。一網打尽にできる策を考えてみるべきでしょうか」

 薪を踏み潰し、火種をきっちりと消し去った翡翠は、なにやら真剣な様子で考え込む。

 そのままの表情で、少女はその場から歩き出した。


「軍師殿!」

 十騎ほどの騎馬隊が、草原を歩く少女めがけて駆け寄ってくる。

「……嵐泰殿」

「遅くなりまして。お捜し申し上げました」

 ざっと馬から飛び降りた嵐泰は、翡翠の前に膝をつき、深く頭を垂れる。

 主将に従ってきた武人たちも、馬から降りると翡翠を取り囲むようにして膝をつき、礼を施す。

「皆、頭を上げなさい。よく来てくれました」

「御怪我はございませぬか」

「無事です」

 心配そうな青年に、翡翠は穏やかな笑みを浮かべて頷く。

「この先に馬が二頭繋がれている場所に……」

「わかりました」

 ひとつ頷いた嵐泰は、部下に視線を走らせ、促す。

 その合図で、半数が翡翠と嵐泰に一礼し、馬の背に戻ると、駆け去っていく。

「我が君のご様子は?」

「それが……大変なお怒りで……犀蒼瑛と利南黄殿が宥められております」

 苦笑を浮かべながら、嵐泰が翡翠の問いかけに答える。

「あれほど申し上げておいたものを……将軍達には迷惑をかけてしまいましたね」

「いえ。このぐらいは覚悟しておりましたので。上将におかれては、軍師殿はかけがえのない半身と思しき方。その御方の不在に心穏やかになぞ過ごせは致しませぬでしょう。己だけ、安全な場所で安穏と過ごす事を厭うお方ですゆえ」

 年下の大将を庇う嵐泰に、翡翠も苦笑を浮かべる。

「とにかくわたくしが戻れば、熾闇様もおとなしくなられることは確実。後は皆に任せて、先を急ぐことにしましょう。巍王の狙いもわかりましたしね」

 少女の言葉に頷いた青年は立ち上がり、馬を用意させる。

 そうして一行は、陣中へと向かって走り出した。

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