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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
26/201

26

 主天幕の中は、奇妙な沈黙で覆われていた。

 将を集めての緊急会議は、王太子軍では別に珍しいことではない。

 意志疎通を密にするため、丹念に会議を行っている。

 だが、今回に限って彼等が困惑し、黙り込んでしまったのは、軍師の足許が原因であった。


「……………………」

 気さくで陽気な守護神獣とは王宮で何度も会っており、気軽に声を掛けられたことがある将も多い。

 颱の民を愛しており、広い視野で彼等を見つめ、見守ってくれる白い神に対して、彼等は畏敬と敬愛の念を抱き、そうして一時でも共に時を過ごせることを何よりの幸福だと思っている。

 王宮の中庭でのんびりと過ごし、王の子供達、王家の血を引く者達と遊ぶことを楽しみとしていることは承知している。

 しかし、目の前にあるこの光景は、到底信じられるものではない。

 一応、王宮に軍関係者として出入りしている以上、白虎神が第三王子とその乳兄弟である綜家の末姫をいたく気に入っていることは知っていたが、できればこの様な姿は見たくなかったと、集まった将達は一同、似たような感想を抱いた。

 円を描き、将達が座る前に地図を広げ、大将の隣の定位置に戻った軍師は、その玲瓏とした麗しい美貌に穏やかな笑みを浮かべているが、大将である王子は何処か困ったように視線を彷徨わせ、軍師の足許に座る白虎神はパタパタと尻尾を振りながら、耳を伏せ、上目遣いに軍師の御機嫌を伺っている。

 召集されるまで傍に控えていたらしい犀蒼瑛は笑いを噛み殺し、嵐泰は白虎神と軍師を見ないように目を逸らしている。

「軍師殿……僭越ながらお尋ねしたい議が……」

 笙成明が、困惑したような表情でおそるおそる声を上げる。

「何でしょうか、笙成明殿」

 穏やかな笑顔を浮かべながら、男装の麗人は落ち着いた声で応じる。

「は。御無礼を承知でお尋ねいたします。何故白虎様は……」

 ここにいるのか、そして軍師の御機嫌伺いをしているのか、とても口に出して問いかけられず、成明は礼を失した態度だとは思いつつもちらりと軍師と白虎を見比べる。

「白虎様が?」

 にっこりと翡翠は笑みを浮かべ、首を傾げてみせる。

 無粋な軍装でなければ、それは年頃の少女らしい愛らしい仕種に見える。

 だが、なぜかその笑顔がとてつもなく恐ろしい──と、笙成明だけでなく、利南黄将軍、莱公丙将軍、並び立つ将軍達は引き攣り笑いを浮かべながら、そう思う。

 何処に守護神獣の姿があるのか、こんな戦場にいる訳ないだろうと言いたげなその態度に、成明は危うきに近寄らずという言葉を思い出す。

「大変御無礼を、軍師殿。どうやら私の思い違いのようですな」

「そうですか。誰にでも思い違いということはございます。お気になさいますな」

 にこやかに応じた翡翠は、何事もなかったかのように采配を手にする。

 どうやら碧軍師はかなり怒っている──しかもその怒りの矛先は守護神獣と第三王子に向けられているとわかり、将達はほっとしたものの、彼等が何をしでかしたのだろうかと不思議に思う。

 まるで叱られた子供のような態度で、王子と白虎は少女の様子を窺っている。

 あまりにも情けないその姿に、何故だかとても哀しくなってしまう。

「さて。皆様お集まりいただいたようなので、本題に入らせていただきます」

 これ以上のお遊びはお終いだというように、軍師はぴしりとした声で告げる。

 その声で、天幕内の空気がさらに一転した。


 感情のない淡々とした声が、奏王の崩御と巍の侵攻を淀みなく告げる。

 一通りの説明を終えた少女は、一同の顔を見渡す。

 その反応は、どれも難しげな表情であった。

「巍が当面の敵ということになるのですな」

 腕組みをし、唸るような口調で莱公丙が呟く。

「巍が奏王に刺客を送り込んだとなると、颱にも同じ手を使うと充分考えられますな。我が王はご無事でありましょうや?」

 利南黄が真っ直ぐな視線を翡翠に向ける。

 その視線を受け止め、軍師は穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。

「その点はご心配なく。念のため、手の者を密使として王宮へ派遣いたしました。白虎様もいらっしゃいますゆえ」

「問題は、王ではなく、翡翠だ! 奴等め、翡翠に刺客を放ちおった! 白虎殿が知らせに来てくれなければ……」

 がたっと床几を倒して立ち上がった熾闇が、忌々しげに声を荒げる。

「軍師殿に……」

 王太子軍の要のひとつである軍師に刺客が放たれたと聞かされ、将達は顔色を変える。

 ざわめきが走る中、翡翠だけが平然としている。

「お静かに。何を驚かれておられるのですか。いつものことではございませぬか」

 あっさりとした口調で告げられ、将達は軍師に視線を向ける。

「ですが、軍師殿」

「人はいつかは永久に眠るときが来るのです。それがいつかは、天帝様がお決めになることではありませぬか。刺客が放たれたくらいで怯えては、道を貫くことはできませぬ。幸い、わたくしはまだ死なぬと白虎様が仰って下さいました。皆、案ずることはありません」

 にこやかな表情で告げる美貌の軍師に、彼等はほっとしたような表情になる。

「だが翡翠」

「先日とて死ななかったではありませぬか。大丈夫です」

 渋い顔の熾闇に、涼しい顔で答えた少女は、采配で地図を示す。

「何が起こるかわからぬ! 詭弁ではないか」

「わたくし一人死したところで、この国が揺るぎましょうか? 答えは否です。わたくしとて、むざと道半ばで倒れるつもりはございませぬゆえ、この話は忘れて下さいませ」

 きつい眼差しと口調で主に告げた軍師は、地図に目を落とす。

「さて、報告がありました巍の進路についてですが、先程報告があった時点では、この位置を通過ということでした。つまり、ここからこの道沿いに南下していると考えるべきでしょう」

 坤との国境沿いにある谷間の道を示し、そこから奏の国境をかかり、颱へと続く街道を示してみせる。

「……では、その道を塞ぐ形で陣を張ればよろしいか」

 笙成明が確認するように発言する。

「えぇ。ですが、先んじて刺客を放つ周到さを持つ巍は、当然のことながら、各地に物見を送り込んでいるかもしれません。それをまず封じなければ……」

「では、女軍の方々にそれをお願いできませんか?」

「蒼瑛殿」

 さり気ない口調で口を挟んだ蒼瑛に、一同の視線が集まる。

「我らでは見落としがちな点でも、女軍の方々なら気付かれることが多いはず。この任は、女軍にお任せした方がよろしいでしょう。それから、巍の動きに気付かぬ振りをして、一度、奏の国境へと向かい、それから、一軍を解体して各個に別れて移動を行うというのはいかがでしょうか」

「なるほど。戦を終えたと見せかけ、各一軍がそれぞれの任地に戻ると思わせるのですな」

 感心したように利南黄が呟く。

「ちょうど、巍が出てくる一帯は、窪地になっております。ここへ集めれば、敵からは我らの姿が見づらいかと」

「ふむ」

 蒼瑛が示す地を眺め、熾闇が考え込む。

 そうして、どうだと問いかけるように、乳兄弟に視線を向ける。

 その視線に、将達も翡翠へと顔を向ける。

「蒼瑛殿、この地一帯の気象はご存知ですか?」

 柔らかな笑顔を浮かべ、軍師は問いかける。

 さらりと艶やかな黒髪が肩から滑り落ち、光を弾く。

「はい。特に朝夕は濃霧が発生する所でありますな」

「よろしいでしょう。犀蒼瑛殿の策で行きましょう。ただし、集合地はさらにその一里奥へといたします。そこには湖沼が点在しておりますゆえ、誤って我らの足を取られかねませぬから」

「! 湖沼地であったとは……申し訳ない、軍師殿」

 肩をすくめた犀蒼瑛は、苦笑を浮かべ、素直に謝罪する。

「だが、見た目には湖沼地とはわからぬほど草原が広がっているため、真っ直ぐに馬を走らせ、足を取られることは確かだな」

 蒼瑛の隣で嵐泰が淡々とした口調で告げる。

「おまえ、知っていたのか!?」

「あぁ。軍師殿のお供で、何度か足を運んだことがある」

「ならば、さっさと言え! 出し惜しみするな、武骨者め!!」

 ムッとしたように顔を顰めた蒼瑛が、嵐泰を睨む。

「事もあろうに、麗しの軍師殿のお供とは! 私とて随員に選ばれたことがないというのに」

 口惜しそうに告げられた内容は、一同が予想していたものとはまったく違うもので、翡翠を除いて呆気に取られたように蒼瑛を眺める。

「軍師殿も軍師殿です! 私がいつなりともお供すると申しておるのに、何故この粗忽者を供に召されるのですか!?」

「蒼瑛殿はお忙しいようでしたから」

 笑いを堪え、翡翠は言葉少なに告げる。

 話が逸れてしまったことに気付きながら、蒼瑛が『忙しい』理由に思い当たった一同は、吹き出してしまう。

「……何ということを……」

「ま、日頃の行いというものだ」

 涼しい顔で嵐泰が告げ、そっぽを向く。

「振られたな」

 翡翠の足許にいた白虎までもが面白そうに突っ込みを入れ、くつくつと笑い出す。

 何とも言えぬ複雑そうな蒼瑛を余所に、笑い出す将達の中、ひとり熾闇だけが首を捻る。

「……で、蒼瑛は何が忙しかったんだ?」

 こっそりと、乳兄弟に問いかけてみる。

「大人の事情と申しますか……」

「は? 何なんだ、それは」

 余計に判らなくなった少年は、盛大に首を傾げてしまったのである。

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