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「騒ぎは収まったか?」
ふたりの美丈夫を引き連れ戻ってきた乳兄弟に、熾闇は笑みを浮かべ、目を細めて問いかける。
「えぇ。ラユ族の者が商いに参っておりました。話のついでに天上の花畑の在処を教えてもらいましたよ」
にこやかな笑みを浮かべて答えた翡翠に、少年は深く頷く。
「へぇ。それは凄い。よくそんな情報が手に入ったな」
どんな魔法を使ったんだと言いたげに、熾闇は三人を眺める。
「麗しの軍師殿は、老若男女、年齢性別を問わずに慕われる御方ですからな」
まるで自分のことのように悦に入った様子で答える犀蒼瑛に、嵐泰が苦笑する。
「かく言う私もそのひとりなのですが、つれないかな、軍師殿は一向に信じてくださらない」
「それはおぬしがどの華にも同じことを言うからだろう」
いささか冷たい口調で告げた嵐泰は、呆れたように肩を竦める。
「見てきたようなことを……残念だが、私は美しい花に同じ言葉を使わないぞ。華の美しさは華それぞれ、そしてその時々によって変わるもの。それを同じ言葉で讃えるなど無粋の極み。誰かのような朴念仁に言われたくない台詞だな」
「悪かったな。美しい花ならば、妖花でも毒花でも何でもかまわぬという無節操よりは、朴念仁の方が遙かにマシというものだ」
「そして報われぬ想いを高嶺の花に一生捧げるのか? その顔で純情路線はやめておけ」
颱国一、二を争う伊達男と、無口だと思っていた美丈夫の毒舌戦に目を丸くした熾闇は、ふたりの主将の顔を見比べている。
「お二人とも。漫才はそのくらいになさいませ。我が君が驚いておられます」
剛胆にもくすくすと笑いながら割って入った翡翠が、用意の調った天幕を視線で示す。
仲が良いのはよいことだが、場所を選べとその視線が語っている。
「おや、失礼」
「申し訳ござらぬ」
互いに顔を見合わせ、即座に応えたふたりは、ほぼ同時に謝罪の言葉を述べると、天幕へと向かう。
「……なぁ、翡翠」
「はい」
「俺は総大将としてまだまだ修行が足りぬようだな。嵐泰があそこまでくだけたことを喋る男だとは、今まで気付きもしなかった」
それを見送りながら、半ば感心したように告げた熾闇の言葉に、構えることも出来ず、つい吹き出し、そうして爆笑してしまった翡翠を咎めることは、白虎神とて叶わぬことだった。
小姓達の手によって、綺麗に整えられた天幕の中で、床几に腰をかけた熾闇は、同じようにふたりの将にも腰掛けるように勧め、そうして闇色の瞳を彼等に向けた。
「して、ふたりの用向きを聞こうか」
「……察しの良いことですな」
皮肉るでもなく、感心したような口調で呟いた蒼瑛は、無礼だと睨み付けてくる嵐泰に肩をすくめて応える。
「実は、お願いがありまして……此度の戦、遊軍指揮から外していただきたい」
きっぱりとした口調で告げた嵐泰は、真っ直ぐな視線を熾闇に向けた。
「ほう。遊撃よりも大事があるか?」
「斥候、もしくは先鋒をお命じ頂きたく」
床几から腰を上げ、床に片膝をつくと、嵐泰は深く頭を下げる。
「面を上げよ、嵐泰。少し待て、あまりにも唐突すぎて話が見えぬ。おぬしほどの男がそこまで言うには、訳があるのだろう? 蒼瑛も同じ用向きのようだな?」
「ご明察。後衛を外していただきたくまかり越しました。前衛をお命じ頂きたい」
嵐泰と同様に床几から離れ、床に片膝をついて告げる蒼瑛に、熾闇は困惑したような面持ちになる。
「訳を聞かせて貰おうか?」
当然のことだろうと、熾闇が問いかけると、言葉に詰った嵐泰が眉根を寄せ、俯き口ごもる。
逆に、蒼瑛の方は、顔色ひとつ変えず淡々とした表情で沈黙を守っている。
どうしたものかと、困ったように首を傾げた熾闇は、のんびりとお茶の用意をしている翡翠に助けを求めるように視線を向けた。
「戦略のひとつとしては、面白い手ではありますね」
にこやかに穏やかに応えた翡翠は、盆に薫りの良い茉莉花茶を注いだ茶碗を乗せ、熾闇にそれを差し出す。
茶碗を受け取った少年は、薫りを楽しんだあと、茶を一口啜る。
同じように犀蒼瑛と嵐泰にも茶碗を差し出した軍師は、盆を小姓に預け、自分の茶碗を手に、主の近くに用意された彼女の床几へと腰を落ち着ける。
「此度は、嵐泰殿に先鋒をお任せいたしましょう。犀蒼瑛殿には右翼をお願いします」
「綜翡翠殿!」
不満そうな表情で少女の名を呼んだ男に、翡翠は静かな視線を向ける。
「戦は戦。勝ち負けに拘りを持つのは当然のことですが、そこに私怨を持ち込んではなりませぬ。私怨を持ち込めば、私欲が生まれ、そうして邪念が生まれます。邪念があれば、勝つ戦も負けましょう。我らの戦は、あくまで領土内の平穏を護るもの。例え親友であろうとも、敵を討つために戦ってはならないのですよ」
穏やかな声には諭すような響きはなく、ただ事実だけを述べている。
その淡々とした口調が、却って彼等の心の奥深くへ素直に届けられる。
「私怨? 仇?」
一向に話が見えない熾闇だけが、きょとんとしている。
「数年前の話になりましょうか。奏との戦の折り、颱の将軍のひとりが奏の将軍と通じ、密約を結びました。それを知らぬ武将が、その密約の贄として奏の将軍に討たれました。道を失した命に、将として、そして人として不正を訴えながら、その命令に背けずに惜しくも命を散らせることになったのです。その不正な密約は、すぐに露見し、その将軍の末路は我が君もご存知でございましょう。その不正を暴き、将軍職を剥奪し、その者を討ったのは、我が君なのでございますから」
ふわりと清しい薫りを放つ茉莉花茶で舌を湿らせ、事の次第を説明する軍師。
その薫りに相応しくない殺伐とした話題に、顔を顰めながら、熾闇は乳兄弟の言葉に記憶を探り、そうして思いだしたものに納得したように頷いた。
「あぁ、あれか。今、思い出しても不愉快な話だ。討ち取る首の数まで約していたとは、武将として恥ずべき事だ。不幸にも討たれてしまった者は、名を何と言ったかな? 惜しい男だったと聞いている」
「雪雷です。珊雪雷」
蒼瑛がポツリと口を挟む。
「そうだった。婚約者がいたと聞いたが、今はどう過ごされているのだろうか。少しは心慰められておられればよいが」
そう呟いた熾闇は、ふと気付いたように翡翠に視線を向ける。
「珊雪雷殿は、蒼瑛殿と嵐泰殿の親友でした。そうして、雪雷殿の婚約者、白華殿は嵐泰殿の妹君でございます。白木蓮のような方だと記憶しております」
頷いて答えた翡翠の言葉に、ようやく熾闇は話が理解できた。
颱国側にいた将軍の仇は熾闇がすでに討っているが、奏国側の敵はまだ取っていない。
親友として、兄として、悲願を達成したいと思うのは、当たり前のことだろう。
しかし、翡翠はそれすら赦そうとはしないようだ。
「──翡翠」
「なりません」
熾闇の言葉を先んじて封じた少女に、第三皇子は不満そうな表情になる。
「まだ何も言ってはおらぬ」
「我が君の仰ることはわかっておりますゆえ。しかしながら、私怨は赦されませぬ。私怨で国を動かすわけには参りませぬ。四神国に名を連ねる以上、どのようなときでも私憤、私怨で剣を取っては守護を与えられた天帝様に申し訳が立ちませぬ。この国に生まれた者の務めでございます」
そう告げる少女の瞳は湖面のように静かだ。
失う痛みを知らぬ訳ではない。
四肢をもがれるほどの心の痛みを抱えていても、それでも神に恥じぬ為に己を律しようとする強い自制心。
息絶えるその瞬間まで、ただひたすらに前を見つめ、高みを求め、誇り高く生きようとする人間であれと、その瞳が告げている。
そうして、彼女はそうやって生きていることを熾闇も良く知っている。
彼を庇い、毒矢を受けても、負傷した素振りも見せずに毅然とした姿勢で馬上で軍の指揮を取り、羌の女帝を討ち取ったことは、少年の記憶にも新しい。
「此度の戦、かの武将は出陣しませぬ。蒼瑛殿、嵐泰殿、どうか心収めてください」
茶碗を置き、床几から立ち上がった翡翠は、ふたりの前に膝をつき、頭を垂れる。
さらりと艶やかな黒髪が肩から滑り落ち、毛織物を敷き詰めた床に渦を巻く。
「軍師殿……」
副大将でもある少女が頭を下げるとは思っても見なかったふたりの青年は、失意の中、半ば茫然としながら目の前の美しい黒髪が揺れる様を見つめる。
王族の血を持つ武将に頭を下げられては、離反することも叶わない。
深い、深すぎる溜息を吐き、己の負けを認める。
欲しかったのは、親友の命を奪った敵将の首だった。
だが、それ以上に、王太子軍の将としてこの総大将と副大将に心を預けていたらしい。
「軍師殿、あなたがそこまでなさる必要はありません」
頭を上げて欲しいと、嵐泰が手を差し延べる。
「やれやれ、負けました。稀代の佳人に頭を下げられすげなくできる男がおりましょうか。華の容を曇らせることは本意ではありませぬ。諦めましょう」
やけに清しい表情で告げた蒼瑛が、掌で首を撫でる。
「──翡翠、顔を上げよ。ふたりが困っているぞ」
「ですが……」
声をかけた熾闇に、翡翠は首を横に振る。
「妹──白華は、軍師殿が足繁くお見舞いくださり、立ち直ることが出来ました。今、妹が以前のように笑うことができるのは、軍師殿のおかげにございます。その軍師殿に膝をつかれては、妹に叱られてしまいます。軍師殿には感謝しております。どうぞ、お許しください」
「……嵐泰殿」
「雪雷は、我らが私怨を晴らすことを望まないでしょう。己の恨みに捕らわれ、失念しておりました。危うく天にも友にも顔向け出来ないことをしでかすところでした」
「相変わらず堅い男だな、おまえは。しかも、珍しく長口上でよく舌を噛まなかったな」
しんみりしかけた空気を払拭するかのように、蒼瑛が混ぜっ返す。
「……おまえは……」
ひくりとこめかみを引きつらせ、嵐泰がじろりと友を睨む。
そこへ、外で控えていた小姓が何やら慌てた素振りで駆け込んできた。
「副大将殿に火急の文が届いております」
時期外れの紅梅の枝に結びつけられた紙片に、翡翠が素速く立ち上がる。
「失礼。文をこれに」
青年ふたりと主に軽く頭を下げた少女は、紙を広げ、中に書かれた文字を素速く読み解く。
「────ッ!?」
一瞬、軽く目を瞠ったあとは、まったく表情を変えず、何やら忙しく考え始めた軍師に、男達は表情を改めて、男装の麗人の言葉を待つ。
「進路を北東に変えます。奏ではなく、巍を迎え撃ちます」
「奏は!?」
「捨て置きます」
意外すぎる言葉に、驚いた熾闇が声を上げる。
「奏国王崩御。王に子はなく、血族は多い。しばらくは王位継承権を争っての内乱が起こるでしょう。暗殺されました。刺客は、巍の手の者。巍はこの混乱に乗じて、奏の国境を越え、南下しているもよう」
「目指すは、颱、か」
脳裏に地図を描き、奏よりも北に位置する巍が国境線添いに南下する道を思い浮かべた犀蒼瑛が苦い表情で呟く。
「すぐに軍議を! 将を召集しなさい」
凛とした声で小姓に告げた翡翠は、熾闇を振り返る。
「詳しい話はその時に致します。嵐泰殿も蒼瑛殿も、先程の件はなかったものとしてください」
「承知」
「翡翠っ!!」
蒼瑛と嵐泰が頷いたとき、虚空から白銀の髪の美丈夫が現われた。
「何奴!?」
「白虎様」
「白虎殿」
長身の蒼銀の瞳の男は、翡翠と熾闇の姿を認め、ホッとしたような表情を浮かべる。
剣の柄に手をかけていた嵐泰と蒼瑛は、ふたりの子供の言葉に慌てて手を離し、驚いて白銀の髪の男を見つめる。
「無事だな!?」
「何かございましたか、白虎様」
守護神が顔色を変えて駆けつけるなど、今までなかったことに驚いた翡翠が、白虎の化身である青年の腕に手を添える。
「おまえたちに毒の矢が放たれた。北より凄まじい勢いで──あれは、刺客だろう」
新緑を思わせる翠の瞳を覗き込んだ白虎は、その清らかな光を浮かべる澄んだ瞳に安堵の笑みを浮かべる。
「間に合ったようだな、俺は」
「えぇ。大変助かりました。お礼を申し上げます、白虎様。けれど、人の世に関与しないと言う禁を犯されませんか?」
心配そうに問いかける少女に、大らかな笑みを浮かべた男は、大きな掌で翡翠の頭を優しく撫でる。
「未だ死すべき運命にない者に忠告を与えることは、禁には触れない。むしろ、与えずして冥府に送ったとあっては、機織姫の糸を縺れさせた咎を受けねばならぬ。おまえたちが心配することはない」
「……白虎殿」
不満そうに腕組みをして仁王立ちする少年が、敬愛する守護神獣を呼ぶ。
「ん?」
「わかってはいたが……本当に翡翠の心配しかしないな、あなたは」
むうっとむくれながら文句を言う王子に、白虎は首を傾げる。
「あたりまえだろう?」
「本人を前にして、はっきり言うか!」
「おまえの心配なんぞ、はなからするか。翡翠が必ず守るとわかりきっているからな」
「俺が間抜けのように聞こえるぞ!」
ぎゅっと翡翠を抱き締めた白虎は、突っ掛かってくる子供を軽くあしらう。
「間抜けだろう、実際」
「よくも言ったな!」
「──おふたりとも!」
会えばすぐに漫才を始める白虎と王子に、翡翠は冷ややかに声をかけた。
「仲がおよろしいのは承知しておりますが、時と場所を考えてくださいませ」
「──はい」
しゅんと小さくなったついでに虎の姿に戻った白虎は、翡翠の足許にまとわりつく。
「蒼瑛殿、嵐泰殿」
ふうっと溜息をついた翡翠が、ふたりの青年に声をかける。
「みなまで仰いますな、翡翠殿。もちろん、見なかったことにします」
「お心遣い、痛み入ります」
蒼瑛の言葉に肩を落とした少女は、疲れた声でそう言った。




