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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
24/201

24

 夏の陽射しを受け、草原を北に向かう騎馬の一団。

 風をはらみ、後方に流れる肩掛けの下から光を弾く甲冑が覗く。

 旗騎が示す色は白。

 将が王族であることを表わしている。

 王都がある颯州から騎馬で四日ほどの道のりのところを彼等は奏に向かって駆け続けていた。


 颱王より北国境の警備を命じられた王太子軍は、一路、北へと向かっていた。

 坤と颱に挟まれる形で国境を持つ奏は、とりわけ恵みの多い颱に執着していた。

 宝玉などの地下資源は多いが、一年の大半が雪に埋もれる坤よりも、雪が降っても滅多に積もることもなく、そうして豊かな大地の恵みと年中受け取ることのできる颱に取って代わりたいと、連綿と続く歴史の中で、奏は颱の国境を脅かし続けている。

 だが、一度たりとも、国境線が変わったことも国名が変えられたこともなかった。

 それが、天の意思だと言う者もいる。

 何よりも、これこそが守護神獣の加護だと、思う者もいる。

 何百年の昔から争い続けるその因縁に目を伏せ、根本的な理由を問い質さず、結果に満足する者達は、再び運命の糸車を紡ぎ始めた。


 地の利を活かし、通常、六日はかかる行程を四日で走破した大将は、空を見上げ、手綱を引く。

「全軍停止! 今日はここで野営を行う」

「全軍停止ーっ!!」

 熾闇の言葉を受け、伝令が後方へ止まるように指示を伝えていく。

 馬の首を叩いて宥めながら、熾闇はしばし目の前に広がる草原を眺める。

「我が君」

 ゆったりと愛馬の歩を進めた翡翠が、彼の隣に馬を立てる。

「……雲の流れが速いな。今夜は荒れるかもしれない」

 蒼天を駆け抜ける白雲を眺め、ぽつりと少年は呟いた。

「……そうですね。湿度はそこまでありませんから、雨が降ることはないでしょうが……」

 同じく天を見上げた少女も、少しばかり難しい表情になって答える。

「この近くにいる遊牧の民に、南下するよう告げましょう。少しばかり時期が早いでしょうが、戦に巻き込まれるよりはましでしょうからね」

「……そうだな。ん?」

 荷を降ろし、野営の準備を始めているあたりから、何やら騒ぎが起こっていることに気付いた熾闇が、首を巡らし、目を眇める。

「やけに騒がしいな」

「わたくしが見て参りましょう。我が君はこちらでお待ちくださいませ」

「俺が行ってもかまわぬが?」

「──我が君!」

 手綱を引き、取って返そうとした翡翠に掛けられた言葉に、彼女は肩越しに主を振り返り、そうして軽く睨め付ける。

「うっ……わかった。大人しく待ってるから」

「よろしい。いつでもそう素直にしていらっしゃればよろしいのです。では、失礼致します」

 あっさりと迫力負けしてしまった少年は、首を竦め、降参する。

 鷹揚に頷いた翡翠は、熾闇に見送られながら忙しなく立ち働く兵士達の傍まで馬を寄せたあと、愛馬から降り、人集りの方へと歩いていった。


 ひどく訛りのある甲高い声が、切れ切れに聞こえてくる。

 子供特有の高い声。

「何事ですか?」

 その独特の訛りに気付いた翡翠は、人混みの中心へと声を掛けた。

「軍師殿!」

 翡翠の存在に気付いた兵士達は、慌てて道を開け、最敬礼を施す。

 それに鷹揚に頷きながら、分れた道の中央を進んでいくと、やはり子供がいた。

「この騒ぎは何事ですか」

 もう一度、はっきりとした声で問いかけると、子供の前に立っていた兵士がぎょっとしたように振り返り、直立不動になる。

「私の問いが聞こえませんでしたか」

 穏やかな声音に、ひやりと背筋を凍らせるほどの重みが加わる。

「しっ、失礼いたしました、碧軍師殿! いえ、副大将殿の手を煩わせるような問題ではございません。近くの遊牧民の子供が物乞いに……」

「物乞いではなく、商いでしょう。言葉には気を付けなさい」

「はっ! しかし……っ!!」

 あからさまに不服そうな表情を浮かべる兵士に、周囲が外套を引き、黙るように目配せをするが、本人はまったく気付いた様子はなく、忌々しげに幼い子供達を睨み付けている。

 遊牧の子供達は、その視線に怯えたようにびくりと身を震わせている。

「この子供達は、我々の邪魔をして……」

「無力な者を感情にまかせて怯えさせるのはやめなさい。可哀想に……震えているではありませんか」

 まだ若い兵士を制した翡翠は、手を上げ、彼を下がらせると、子供達の前に膝をつき、視線を合わせて問いかける。

「あなた達は、ラユ族ですね? ここへは何をしに来たのですか?」

「あ、あの……山羊の乳を買ってもらおうと思って」

「ラユの村から来たの」

 たどたどしい口調で答えた子供達は、ホッとしたようにぎこちない笑みを浮かべる。

「そう。それがあなた達に任された仕事? 働き者の子供を授かったご両親は、とても幸せ者ですね。あなた達のお父さんとお母さんは?」

「お父さんと大きなお父さんは、狩りに出掛けてる。お母さんと大きなお母さんはバターとチーズを作ってて、お姉さんと弟たちは羊の世話をしてる」

「そう」

 優しく頷いた翡翠は、二人の頭をそっと撫でたあと、言葉を紡ぐ。

「山羊の乳は全部買い取りましょう。荷はそれで全部ですか?」

「うん」

 子供が持つにしてはかなり大きい革袋ふたつに視線を落とした翡翠は、遠巻きに見ていた兵士ひとりを呼び寄せる。

「革袋ひとつの油と、毛織物ひとつ、持ってきなさい」

「はっ!」

「軍師殿!」

 傍にいた年若い兵士が驚いた様に声を上げる。

「我が軍では見かけない顔ですね、あなた。遊牧の民が商いを持ちかけたら、その場で受けるように指示を出していたことを知らなかったのですね」

 怒る風でもなく穏やかに、そう告げた少女に、兵士は顔を強張らせる。

「彼等は時に、得難い情報を提供してくれます。決して疎かに扱ってはなりません。それに、我々は一時的とはいえ、彼等の住まう場所を奪ってしまうのですから、相応の手当をしなければならないでしょう? 遊牧の民と騒ぎを起こすことはなりませんよ」

 命じた物を持ってきた兵士から、荷を受け取りながら、凛とした声で告げた少女は、小さな男の子の肩に油の入った革袋を掛けてやる。

 そうして姉の方には毛織物を手渡す。

「……こんなに!?」

 思ってもみない取引に、幼い姉弟は目を丸くする。

 嬉しそうに笑うラユ族の子供達に目を細めた翡翠は、もう一度彼等の頭を撫で、そうして柔らかな笑顔を作ると、腰に下げていた刀を飾る紐を一本引き抜き、小さな少女の髪を結わえてやる。

 それから、沓の内側に隠し入れていた小柄を引き抜き、弟の手に握らせる。

 どちらも高価な品物だと感じ取った子供達は、驚きに目を瞠る。

「あなた達のお父さんと大きなお父さんに伝えて下さい。今から、赤い風が吹くので、南に移るように、と。今年は、南の草がよく茂っていて、羊や山羊の成育に良いですよ」

「赤い風が吹くの?」

 小柄を手にした子供が、きょとんとして尋ねる。

「そう。赤い色をした風が、北に吹きます。気を付けて南に移動してくださいね」

「うん」

「あのね、お姉ちゃん。あの大きな雲の下に、お花畑があるの。ほら、木があるでしょ? あそこなの。他の人には内緒だけど、お姉ちゃんには教えてあげる」

 色鮮やかな絹紐の礼のつもりか、少女が自分の秘密の花畑の場所を翡翠に告げる。

 一瞬、目を瞠った翡翠は、とても嬉しそうな笑顔で頷いた。

「ありがとう。お花を少しだけ分けて貰ってもいいでしょうか?」

「うん。じゃあね」

 無邪気に笑い、手を振った子供達は、元来た道を帰っていく。

 それを見送った軍師は、穏やかな表情のまま片手を挙げ、伝令を呼び寄せる。

「薬師を……。北東の方角に木が一本立っているのが見えますね? あの場所に薬草があります。必要な分だけを取ってくるように伝えなさい」

 そう告げると、翡翠はゆったりと歩き出す。

 陣中の様子を確かめながら歩いていた少女は、すぐに歩みを止めた。


「いつもながら、見事なお手並みでございますな。麗しの軍師殿」

 飄々とした声が掛けられ、翡翠は振り返る。

「犀蒼瑛殿、嵐泰殿」

 王太子軍きっての伊達男と、それに劣らず精悍な顔立ちの青年が並んで立っている。

 蒼瑛ほど派手ではないが、寡黙な嵐泰も美丈夫として都では姫君達の人気も高い。

 ただ、あまりにも無口すぎるため、鍛え上げられた長身から感じる威圧感は半端ではない。

 翡翠より遊軍を任せられたこの青年は、若いがそれ以上に有能な指揮官であった。

「あの者、利南黄将軍の許へ配属された者ですな。初陣故に、手柄を立てたくてうずうずしているらしく、小隊長も困ったと苦笑をしていたとか」

 ぼそりと告げた嵐泰の顔にも仄かに苦笑が浮かんでいる。

「……そうですか。血気盛んというのは良いことですが、少し、空回りしているようですね」

 年上の兵士をそう判じた翡翠に、嵐泰の苦笑は深くなる。

 年齢から言えば、翡翠は彼よりも遙かに下なのだが、経験で言えば彼など足元にも及ばないだろう。

「血気盛んな年頃というのは、軍師殿にも当てはまるんですがねぇ。総大将殿がそうなのに、麗しの軍師殿は、見掛けによらず、枯れてますからなぁ」

 嘆かわしいといった様子で茶化す蒼瑛に、翡翠は笑みを浮かべ、嵐泰は苦虫を潰したような表情になる。

「蒼瑛殿! 軍師殿に対し失礼であろう? 他の者の手前……」

 それ以上の言葉は避け、濁した嵐泰の言いたいことはわかったらしい。

 肩を竦め、あらぬ方を眺めやる蒼瑛に、翡翠はとうとう声を出して笑い始めた。

「嵐泰殿には、わたくしが年相応の子供のように映りますか。それは面白い」

「いえ、あの……失礼を」

「私とて、翡翠殿は妙齢の美しい女性に映りますが?」

 艶やかに鮮やかに微笑んだ蒼瑛が、軍装の少女に手を差し延べる。

「お褒めに与り、光栄だと申し上げましょう、蒼瑛殿。これから、総大将の許へ行かれるおつもりでしたか、おふたりとも」

「はい」

「では、わたくしも共に参りましょう」

 華やかな笑い声をあげた翡翠は、二人の将軍と共に本陣の天幕へと向かったのであった。

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