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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
2/201

 颱国の首都、颯州は守護神獣である白虎の属性より、風の都と呼ばれる。風が絶えず流れる都の要、王宮は小高い丘の上にある。

 頑強にして壮麗な造りの城は、外敵から国の要を守ると言うよりも、吹き荒れる風に挑み、立ち向かう人の意志を示したように感じられる。

 自然と対したとき、人はそれをあるがままに受け入れ、または決然と立ち向かう強さを持つことを己に強いる。その強さが、どんなに小さな存在でも、その者を誰よりも輝かせることを、人間達は知らない。だが、そんな煌めく存在を神はこの上なく愛するのだという。颱国の者は、彼らが敬愛する風の神獣に常に胸を張ってその声を聞ける人間であるようにと、己に課している。


 この国を守護する風と競うように、愛馬に跨り、綜家の末子は王宮に入城した。

 愛馬の手綱を馬丁に委ね、地上に降り立った翡翠は、花の名を持つ姉に頼み、授かった木蓮の花枝を抱え、奥宮の方へ歩き出す。

 綜家の末子、翡翠は、第三王子の乳兄妹にして、その片腕という地位を王宮内に既に築き上げているため、彼女が誰の許しも得ずに奥宮へ向かうことを咎め立てする者はいない。

 擦れ違う女官達は、性別不詳の凛々しいその姿に、微かに頬を染め、会釈して通り過ぎていく。後で自分たちの控え室で、碧の軍師と擦れ違ったときの様子を気忙しくさえずるに違いないが、そんなことは翡翠には関係のないことであった。


 新年の挨拶の為だけに王宮を訪れた風を装いながら、翡翠の表情は僅かに硬い。

 彼女が最初に訪れたのは、奥宮の第三王子の部屋ではなく、奥宮の左に位置する思政宮の右大臣の執務室であった。

「失礼いたします。父上、右大臣殿はおられまするか?」

 奥宮や後宮とは違い、思政宮は政治を行う場所であるため王宮独特の華やかな女官達の姿はない。

 従って扉を守る衛士の姿も胴鎧姿の女性ではなく、厳つい顔立ちの男達である。もちろん取り次ぎを行う役も下級文官である。しかしここは場所が場所だけに、下級文官は入れるはずもなく、翡翠自ら声をかけた。

「綜家末子、翡翠が参りました」

「珍しい客が来た。お入り」

 応じた声は、若い男性のもので、当然翡翠の父である綜家当主のものではない。

 だが、その声に聞き覚えがある翡翠は、躊躇わずに取っ手に手をかけ、扉を開けた。

「大兄! それに次兄も!」

 部屋の上座に当たる所にどっしりとした重厚な机があり、そこに当然のように向かっている父と、その両脇に立つ二人の青年の姿に、翡翠は思わず声を上げる。

「末姫が珍しい場所に来よったわ」

 初老に近い男、綜家当主藍昂が、笑い皺を作り、朗らかに言う。

「政治嫌いのそなたが、このような場所に来るとは、何ぞ用でも出よったか」

「父上……その様な戯れ言を申すから、翡翠が王宮に出仕しても、ここへは参らぬようになったのでしょう。お控えなさいませ」

 柔らかな物腰で窘めた次兄の偲芳が、翡翠に穏やかな笑みを向ける。

「よくおいで下されました、翡翠。久方振りですが、お元気そうで何よりです。先の戦のこと、お聞きいたしましたよ。戦勝おめでとうござりまする」

「ありがとうございます。偲芳兄上におかれましても、ご健勝で何よりと存知まする。父上、兄上方にご挨拶が遅れましたこと、この翡翠、深くお詫びいたします」

 花枝を抱いたまま、優雅に一礼した翡翠は、すぐに顔を上げ、小首を傾げた。

「わたくし以上に珍しい方がおられますな」

 その視線は、偲芳の正面、藍昂の左手に立つ青年に向けられていた。


 がっちりと鍛え上げた長身の青年は、鎧こそ身に着けてはいないものの、一目で武官と分かる体格をしていた。良家の子息らしく、整った顔立ちだが、その表情や身に纏う雰囲気に隙がない。綜家の長子は、その若さながら既に将軍職に就いていた。

 明朗闊達で鷹揚な性格の長兄季籐は、堅苦しいことが大の苦手で、本来ならば父の跡を継いで、文官として政治を学ばねばならない身でありながら、文官としての地位は弟に譲り、己は勝手気ままに剣の道を進んでいるのだ。本人は適材適所だと言い張っているが、単に嫌なことは偲芳に押しつけているとしか考えられない。


 一方偲芳の方は、穏やかな物腰と口調を持つ青年で、兄とは対照的に文人としての才能に恵まれていた。

 絵や詩といった芸術的才を遺憾なく発揮し、歴史や地理の知識を博した偲芳は、将来有望な文官として、藍昂の許で日夜努力している。

 従って、当然の事ながら、右大臣の執務室に偲芳がいる事には、何の違和感も感じないのだが、季籐がこの場所にいるということは、かなりの違和感を感じてしまうのである。


「親父殿に呼ばれたんだよ。でなけりゃ、誰がこんな所に来るかっていうんだ。そっちこそ、どうした? その木蓮は芙蓉のだろう?第三王子に差し上げるのか」

 颱国一の剣客は、のどかな様子で肩をすくめてみせる。

 隙だらけのようで一部の隙もない。呑気な様子を装いながら、絶えず周囲の警戒を怠らない季籐は、高い位置から翡翠を見下ろす。

「はい。見事に咲いていましたので、我が君に愛でていただこうと思いまして……こちらへは、姉上が女官に命じて送らせると仰っていました」

 にっこりと微笑み返した翡翠は、長兄を見上げる。

「その前に、父上と兄上方に新年のご挨拶を申し上げようと、こちらへ参りました。新しき年が、親愛なる兄上方、尊敬いたします父上に良き『風』をもたらしますよう」

「そなたにも。我が最愛なる末娘よ。今年こそ、そなたが娘らしくなるよう、『白虎』殿にお願い申しあげたいものじゃ」

 藍昂は、末っ子の完璧な挨拶を、茶目っ気たっぷりに受ける。

「そりゃ、無理無理」

「翡翠は翡翠なのですから、その様なことを申される方が間違っておいでなのですよ、父上。よいですか、翡翠。父上の戯言など真に受けずともよろしいのです。そなたが思う通りに道を進めばよいのですからね」

 あっさりと長兄は父の言葉を否定し、次兄はといえば、これまた父の言葉を間違っていると決めつけて、蕩けるほど優しげな笑みを浮かべて末姫に言い聞かせる。

 表現こそ違え、この妹への溺愛ぶりが知れるような態度である。

「まぁよいわ。そのお転婆ぶりで、我が国も助かった面もあるからのう」

 息子達の反駁にウンザリしたように机に頬杖をついた藍昂は、一言で片付けてしまう。

 翡翠の有能な采配が、『お転婆』という言葉だけで片付くかどうか、彼女の兄たちは甚だ疑問を覚えたが、特に反論するつもりもなく父の方へ視線を改める。

「今年もよい風が吹くといいが……そなたの所へ、風はどのような薫りを運んだのじゃ」

 のんびりとした口調で、右大臣は問いかけた。

 窓の外へと視線をやり、早春の光を愉しむような素振りを見せながら、訊ねることは風情を愉しむ言葉ではなく、それゆえ翡翠も言葉を選ぶ。

 伝えるべき事は、人に聞かれてもよいというような内容ではなく、むしろその逆だ。

「南西の彼方より、梅の香を。今年は紅梅の香りが強うございます。見事な花ゆえ、いずれ手折ることになろうかと……」

「……ほう。紅梅が見頃とな……」

 相変わらずのんびりした口調で、右大臣は相槌を打つ。だが、表情は施政者のそれである。翡翠の言葉に思い当たることがあるのだろう。

 それは、兄二人にも同じ事が言えた。季籐の瞳に、一瞬剣呑な光が走り、偲芳は穏やかな笑みをその顔から消す。だがそれも、次の瞬間には、全く常とは変わらぬ表情に戻っていた。

 我が肉親ながら、侮れぬ。と、翡翠は心の内で、そう思う。

 おそらくこの程度のことは、兄達や父も承知していたことだろう。だが、何処まで正確に事の真相を把握しているかというと、それはわからない。ただ、彼女により詳しい事情を求めているということだ。

「……手折りますか」

 そう尋ねたのは、偲芳であった。

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