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白虎の宝玉  作者: 西都涼
来訪者の章
193/201

193

 これ以上はないというほど、緊迫した空気が王太子府参謀室前に漂う。

 たった一人、天界から降り立った機織姫の遣いを名乗る男に対し、敵意を剥き出しにする神獣と三人の将軍。

 一方、困ったように首を傾げる神族の青年。

 綜家の兄妹はのほほんとまるで晴天を寿ぐような表情で事態を見守っている。

「白虎様、それに、お三方、お茶を淹れますので、わたくしの執務室へお入りになりませんか?」

 漆黒の髪の娘が緊迫した空気をのんびりしとしたものへ変える。

「おや、それはいいですね。久し振りに翡翠の淹れたお茶をいただけるのですか」

 おっとりと偲芳が応じ、柔らかな笑みを武官たちに向ける。

「戦を前にして、気が高ぶっていらっしゃるご様子。息抜きにお茶を飲んで、世間話などなさるのは如何でしょう?」

「世間話……久しくしておりませんね、そういえば。何か良い話題など、ございませんか、兄上?」

 兄の提案に、軽く目を瞠った娘が呑気に問う。

「面白い噂話なら、たくさんありますよ、末妹」

「それは是非、拝聴せねば」

 くすくすと笑い合う兄妹に、がっくりと肩を落として溜息を吐いたのは、莱公丙である。

「それ、わかりにくいから。単刀直入に剣を収めよと命じていただいた方が無駄に脱力せずに済むんですが」

「そうですか? じゃあ、剣を収めてくださいませ、皆様」

 にっこりと笑った翡翠が、公丙の言葉に即座に応じる。

「神族は、あまり信用できないのですが?」

 一度、街中で襲撃されたことがある笙成明が疑惑の眼差しを隠そうともせず、偲芳の後ろに立つ青年に向ける。

「私はただの遣い。真名に誓って、害を為すものではない」

 困ったような笑みを浮かべたまま、青年は真名に誓約する。

 その言葉を是とした成明は、渋々と剣を収める。

「白虎様、嵐泰殿」

「もし、この地にあるものを害そうとするなら、俺は全力でもってそれを阻止する。お忘れなきよう、使者殿」

 黒衣の将軍は、淡々とした口調で低く告げると、滑らかな動作で剣を降ろす。

 だが、何かあれば瞬時にその剣を相手の胸に突き立てることなど造作もないと、その眼差しが告げている。

「俺は、認めんぞ。天帝の血に連なる者が、何故守護者に用がある!?」

「天帝の直系は、機織姫だけだとご存知だろう? 西の長」

 神族の青年が、淡々と告げる。

「白虎様。この方が天帝の意に従うことは、決してございません。なぜなら、こちらの方は、先の天帝の血を引いていらっしゃいますが、現天帝の血は一滴たりともその身に流れていないからです」

「そんな馬鹿な!? ヤツは、あの時、己の娘一人除いて血族を全員始末したのだぞ!!」

 当時を知る白い神は、嫌悪に顔をゆがめて叫ぶ。

「あの時点で、ひとりも残ってはいなかった……あのあと、ヤツが子を為せば、話は別だがな!」

「だが、私は生き残った。機織の錦に包まれて……」

 ぽつりと、どこか寂しげに告げた青年の言葉に、白虎は硬直する。

「……先代の機織姫の子か……」

「母の記憶はない。だが、今の機織姫が私を隠し、そして育ててくれた。誰にも気取られぬよう、秘して……」

「……なるほど、な。機小屋は機織姫が許さぬ限り、誰も近付けぬ場所だ。何かを隠すにはちょうどいい」

 深く重く溜息を吐いた白虎は、ふいっと頭を扉へと向け、参謀室へと入っていく。

「さあ、皆様方もどうぞ、お入りくださいませ」

 柔らかな笑みを浮かべた翡翠がその場に居た者たちを促し、全員が室内へと足を入れた後、最後に部屋に入り、扉を閉めた。




 仄かに薫る花の香り。

 緩やかに立ち上る湯気と、こぽこぽと小気味よく音を立てる急須。

 茶碗に丁寧に茶を注いだ娘が、客人たちへ振舞う。

 香り良い茶を楽しむために、白虎神も人形へと姿を変えている。

「まずは何からお話いたしましょうか、使者殿?」

 穏やかな口調で部屋の主たる翡翠が問いかける。

「まずはひとつ詫びたい。私の名を秘することを。私は存在しては居らぬ者。ゆえに名がない。そして、天帝位にある者に気取られてはならぬため、呼ばれてはならぬのだ」

「名がない!?」

 成明と公丙が驚いたように声をあげ、顔を見合わせる。

 その隣で嵐泰が初めからわかっていたかのように沈黙を守っているため、ふたりも先を促すために黙り込む。

「……承知いたしました。このまま、使者殿とお呼び致しましょう」

「すまぬな、守護者殿。さて、本題に入る前に、何処から説明すべきか。私の母は、先代の機織姫だと聞いてはいるが、なにせ、生まれて間もない赤子だったゆえ、それを証明する手立てはない。今代の機織姫の言葉がすべてだ。そして、かの者が私の育ての親と言える。機織姫は、私の存在を秘するため、名をつけず、名を呼ばず、ここまで育ててくれた。私に与えられた使命を果たすそのときまで」

「……使命?」

 青年の言葉を聞きとがめた白虎が、翡翠に視線を向ける。

 麒麟の守護者たる娘は、その視線を静かな表情で受け流す。

「使命とやら、伺ってもよろしいのか?」

 嵐泰がむすりとした表情で問う。

「今はまだ。時至ればわかることゆえ」

「わたくしは反対です。わたくしが主と定める麒麟は、天上天下唯一無二でございます。罪無き方を影になぞ致しませぬ」

 きっぱりとした口調で翡翠が宣言する。

「影!?」

「ご存知だったのか……」

 眉をひそめる白銀の髪の男と、苦笑を浮かべる使者。

「えぇ。次期様がこちらにお降りになられた時、仰いました。わたくしと青藍殿が同じ匂いだと。そうして、青藍殿が影だと。機織姫は、万が一、わたくしが斃れた時に、青藍殿を次の守護者にするおつもりなのだと、あの時、悟りました。そうして、我が主の影も別にいると、確信いたしました」

 暝い笑みを浮かべた翡翠が、目を眇める。

 憤りを抑えるその表情に、彼女の怒りがどれだけ大きいのかを、白虎は理解した。

「つまり、麒麟の影が、おまえか、機織姫の養い子?」

「是」

 小さく頷いた青年は、苦笑を深くする。

「わたくしが赦し難いのは、主が斃れた後、こちらの使者殿が新たな麒麟として起つことではなく、主の代わりに斃れる命として用意されたことです」

「あいつはっ!!」

 ようやく機織姫の意図を察した白虎が顔を歪め、立ち上がる。

「守護者殿。ひとこと言っておくが、そのことに対し、私に異存はない」

「あなたは生きていて楽しいですか? 命あるものは須らくその生を喜び楽しむ権利を持っています。何を喜びとするかは、人それぞれではございますが、些細なことに喜びを見出せないものは、死を選ぶことは罷りなりませぬ」

 冷ややか過ぎる言葉に、使者である青年は虚を突かれたように言葉を失う。

「あー……軍師殿のお言葉はものすごく理解できるな。だけど、些細なことでも楽しい人間にとってみれば、勿体無くて死ねないな」

「あなたでしたら、確かにそうでしょうね。莱将軍」

 公丙が非常に納得したような表情で頷けば、成明が呆れたような表情で嘯く。

 そのふたりのやり取りを、神族の青年は不思議なものを見るような視線でみつめている。

「己の使命のために命を懸けるのが武人だと聞いていたが……」

「命を懸けて、主のために生きて帰るのが武人というものだ。簡単に命を投げ出すような者は、主を持つ資格などありはしない」

 嵐泰が目を伏せ、静かに告げる。

「貴殿の母御は、何のために貴殿を守った!? 今の機織姫にその命を潰させるためではあるまいに」

「遠路遥々、機織姫のお言葉を運んできてくださってありがとうございます。ですが、わたくしは天にも地にも在らざる者。そのわたくしを、錦に織り込んだだけではなく、我が主すら己が欲に巻き込もうとなさる所業、大変赦し難いと思うております。これ以上、関与なさるおつもりなら、わたくし単身で天界に向かい、姫君の御命、頂戴仕ります」

 あっさりとした口調で告げる言葉に力みはない。

 実に簡単なことなのだと、その態度だけでわかる。

「……軍師殿? その、天界の機織姫がいなくなると、人界は乱れるとかいう話ですけど?」

 公丙が少しばかり困ったような表情で問いかける。

「確かに。ですが、機織姫というのは単なる称号なのですよ、莱将軍。先代が斃れたのち、今代が起ったように、今代が斃れれば、神族の女性のうち誰かが機織姫に選ばれる。ただそれだけのことです。何も今代がいなくなっては困るというようなことはありませんよ」

「……うわぁ……なんか、すげぇ怖いこと言ってません? ものっすごく、俺、恐ろしいんですけど!?」

 にこやかに天界の理について話す娘の笑顔に、恐怖を覚えた青年が同僚達に同意を求めて視線を彷徨わせる。

「俺は賛成です。私情に走り、己の役目を私物化するような機織姫など存在する必要性を見出せぬ。いっそ、代替わりしていただいた方が、こちらとしても話が早い。むしろ、機織姫などいらぬ。己が生き様を他人に定められてたまるものか」

「嵐泰殿!! それは、あまりにも不遜では……」

 いつもは頑迷な常識人であるはずの嵐泰が、とんでもないことを言い出し、成明が驚いて窘めようとするが、言葉がそれ以上見つからない。

 なぜなら、そのことは、常日頃、似たような感想を彼らが持っていたからだ。

「困ったな。それでは何ひとつ私は役目を果たせない」

 神族の青年が心底困ったように呟く。

「使者殿は、我々よりも遥かに長く時を生きておいでのようですが、どうやら幼子よりもさらに幼い魂をお持ちのようですね」

 苦笑した偲芳が、軽く首を横に振りながら告げる。

「何故、我が母や私が、長兄の反対を押し切って、あなたを妹の許へ案内したのか、まるでわかっておられぬご様子」

「私が頼んだからではないのか?」

「いいえ。そのようなことでは、最愛の肉親を危険に晒すような真似をするわけがありません。妹も、従弟殿も、私たちにとって守らねばならぬ存在。神族に命を狙われているとわかっている今、不用意に案内など致しませんよ」

 おっとりとした口調で告げた偲芳は、肩をすくめる。

 颱随一の文化人と名高い綜家の次男は、掌の茶碗をそっと持ち上げ、その香りを楽しむとひとくち、口に含む。

「すまぬが意味がよくわからぬ。最強を誇る麒麟の守護者を守る……?」

 戸惑うような表情を浮かべ、偲芳と翡翠を見比べる青年。

「ここに来られた時点で、あなたは既に機織姫の手から離れてしまいました。あなたはご自分の力では二度と天界に戻ることは叶わない。あとは、ご自分の意志で学ばれると良いでしょう。人と神族の違いを。そうして、我らの生き様を」

 穏やかな表情でそう告げた麒麟の守護者は、西の神獣に視線を向ける。

「白虎様。こちらの方をしばらくあなたに預けてもよろしいでしょうか?」

「……仕方ないな。ここまで物知らずだと、俺も手を焼きそうだが、野放しにするわけにもいかぬしな」

 深々と溜息を吐いた白虎は、心底仕方なさそうな表情で頷く。

「下手に介入されて、おまえ達の戦を台無しにされても、俺が困る」

「西の長、それはあまりにも無礼な物言い……」

「介入しないといえるのか!?」

 不機嫌そうにじろりと睨みつける白虎に、使者である青年は黙り込む。

 天界に住まう者たちは、嘘偽りを口にすることができない。

 ゆえに、介入すると言えば間違いなく拘束されるだろうし、しないとは言うことが出来ない。

 黙ることで肯定してしまった青年は、視線を泳がせる。

「白虎様の許で学ばれるとよろしいでしょう。何故、私たちがあなたを妹の許へ案内したのか。力及ばずとも、愛する者を人は何故、護ろうとするのか。あなたが天界に還られるその日まで」

 そう告げた偲芳が茶碗を盆の上に伏せる。

「末妹、出立する前に一度、母上に顔を見せに屋敷へ戻りなさい。父上も大層寂しがっておられましたよ。兄上など拗ね切っておりますが」

「承知いたしました、二の兄上。必ず本日中に戻ります」

 柔らかな仕種で妹の頬を撫でた兄は、白虎に拱手をし、静かに参謀室を去っていった。

「さて。俺たちも行くとするか。この物知らずのガキに人界での最低限度の約束事を叩き込まないとな」

 基本的に、非常に陽気で朗らかな白虎が、眉間に皺を寄せたまま、むすりとした表情で告げると人型からいつもの虎の姿に戻る。

「翡翠。馳走になった。いつもながらに美味い茶だったぞ」

 いつの間にか茶碗を空にし、満足そうな笑みを浮かべた後、青年の袖を銜える。

「え? 西の長っ!?」

 ぎょっとしたように己の袖を見つめ、引っ張られるままに引き摺られた神族の青年は、白虎と共に姿を消す。

「………………非常に厄介ごとが起こったような気がするのですが、軍師殿」

 深々と溜息を吐いて、莱公丙が問いかける。

「そのようですね。機織姫の介入があるとは思っておりましたが、直截的過ぎて些か呆れ果てました」

「そういう問題ではないと思うのですが……あの者が我らの戦に介入するなど、言語道断と申し上げる」

 天界よりも人を愛した白虎族の姫を先祖に持つ青年が、先程の白虎族の長と似たような表情で告げる。

「ですから、白虎様にお願いいたしました。天界最強の武神ですからね、あの方は。十二神将全員揃えば、あの方と比肩するでしょうが、ひとりでも欠ければ、敵いますまい。赤子同然の使者殿では、爪先で転がされるだけでしょう」

「その、天界最強の武人である白虎様よりも、麒麟の守護者という者の方が更に強い……ということですか?」

 笙成明が、確認するように訊ねる。

「麒麟というのは、次代の天帝の卵の意。守護者とは、その雛を無事に天帝位に就けるまで、何ものからも守りきるだけの力を持つ、三界最強の存在であると聞いている。つまり、天界最強では、到底敵う相手ではない」

 嵐泰が淡々とした口調で答える。

「麒麟の守護者が、四神の皆様と争ったことなどありませんから、実際、どちらが強いのかと仰られても、計り知れません」

 その麒麟の守護者自身が困ったような表情で応じる。

「つまり、十二神将と四神族を常に味方に得て、天帝位へ登るというわけか」

「天帝位に就けるかどうかは、その時の運。とだけ、申し上げておきましょう」

 さらりと告げた翡翠が小さく笑う。

「では、今回は如何なのですか?」

「麒麟が望めば、容易く事は終わるでしょう。望まないのであれば、あちらに介入を諦めていただく手段を講じるまで」

 確固たる意志の下、そう答えれば、微妙な沈黙が降りる。

「さて。わたくしはそろそろ仕事を始めねばなりませんが、皆様はいかがなさいましょうや?」

 退出を促す言葉に、男たちは立ち上がる。

「闖入者のお陰で話が大幅にそれてしまいましたが、先のこと、くれぐれもお願いいたします」

 そう言い置いて、青年達も参謀室から自分達の部屋へと戻っていく。

 その背を見送った翡翠が茶器を片付け始める。

「……疲れた……」

 彼女にしては珍しく、そして純粋に素直な言葉が零れたのであった。

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