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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
180/201

180

 戦場での定石など知らぬとばかりに、縦横無尽に駆け抜ける騎馬の軍団。

 その一糸乱れぬ騎馬軍に、金軍はうろたえるしかなかった。

 突然現れた遊軍に翻弄され続け、まともに反撃に出る術もなく、後退も前進もできずにその場に留まるのみ。

 後ろに行きたくとも、遊軍が何処から来るかわからず、前に行きたくとも、本隊の数の多さから到底敵うまいと恐怖心が阻んでいる。

 実際、翡翠率いる本隊は、僅かな数しかいないのだ。

 それを絶妙な配列で、縦にも横にも隙間なく兵がぎっしりと並んでいるように見せているに過ぎない。

 如何に巧みな用兵をするか、これが今回苦心したところであろう。

 泰然と事の成り行きを見守る翡翠からは不思議な威圧感があり、金が前進することを拒んでいる。

 神族の如き美しき面であるからではない。

 歴戦の武将が持つ覇気だけでもない。

 それらをすべて含めた何かが渦を巻き、彼女を大きく見せていた。

 その場に留まることしかできぬ金は、ゆえに青牙率いる蒼虎と熾闇率いる銀虎遊軍に嬲られ、翻弄されるしか術がなかったのである。




「そろそろ引き上げるか」

 自在に遊軍を操っていた熾闇は、剣を掲げて軽く振り回す。

 その合図を認めた遊軍が、そのまま草原を駆け抜け本陣を目指す。

 殿を韓聯音将軍に任せた総大将は、先頭を切って本隊と合流する。

「翡翠!」

 愛馬から飛び降り、副将の許へ駆け寄る若者。

 その声に応え、すでに地に立つ銀の鎧の副将はゆったりと一礼をして大将を迎え入れる。

「ご無事のお戻り、何よりでございます」

「おまえこそ! あのニ射は見事だったぞ。怪我はないな?」

 大切な親友に傷の一筋も許せぬと、第三王子は従妹をあらゆる角度から眺めて怪我の有無を確かめる。

「白虎様のおかげをもちまして、傷ひとつございませぬ」

「それならいいが……嵐泰と蒼瑛もご苦労だった」

 やってくる双璧に労いの言葉をかけた熾闇は、やはり気になる様子で翡翠を見つめる。

「何度ご覧になっても、傷はございませぬ」

「……の、ようだな。安堵した」

 血の匂いも何もしないとようやく安堵した若者は、帰還してくる将たちを迎え入れ、次なる作戦のために手が空いたら本陣に来るように告げると副将を伴い、天幕へと向かった。


 本陣の天幕は通常のものより大きく作られている。

 家で言うなれば外壁に当たる外幕の布は駱駝や羊の毛で織られたものを重ねて張り合わせているのだ。

 こうすることで、夏や昼間は涼しく、冬や夜は暖かく設えることができる。

 そうして、その内部はというと、外幕と同じ毛織物や絹で織られた紗を用いて内壁や扉を作っている。

 まるで迷路のような仕切りを置くことにより、外部からの侵入者に対し総大将のいる部屋をわからなくしているのだ。

 もちろん、将たちには何処に何があるのかなどわかりきっていはいるのだが。


 その天幕の中を無造作な仕種で歩く熾闇と、滑らかな動きで進む翡翠の姿がある。

 中で働く者たちに笑みを浮かべ、労いの言葉をかけながら、彼らは控えの間へと向かう。

 この天幕の中で熾闇の私室のような場所だ。

 左肩にある飾り留め具に熾闇が手をかけると、すかさず翡翠が手を差し伸べ、若者の肩から滑り落ちた外套を受け止める。

「雑に扱っては、小姓たちが嘆き悲しみますよ」

 窘めるように苦笑して告げると、それを外にいる小姓へ渡して片付けるように指示を出す。

「やれやれ。自分でするな、雑に扱うなと、難しいことばかり言う」

「難しいことではありません。あたりまえのことです」

「自分のことは自分でやれる。おまえ以外の誰かを傍に置くのは苦痛だ」

 鎧を脱ぎ、具足を外しながら、熾闇は嫌そうに唸る。

 以前と比べ、総大将であるという自覚から、随分と譲歩しているつもりだが、やはり幼い頃から命を狙われ続けたことが記憶から離れないのか、特定の誰かを傍に置くことも、自分の身の回りの世話を他人にさせることも、彼の神経を逆撫でしてしまうのだ。

「慣れませぬか?」

「おまえ以外は、誰でも無理だ」

「……困りましたね」

 形ばかりの苦笑を浮かべ、鎧などを片付けながら翡翠は告げる。

「小姓も嫌だが、姫君たちもぞっとするな。どうして男の牀榻に勝手に潜り込めるんだ?」

「警備は強化しておりましたが、またもやですか?」

「いや。あれ以来は大丈夫だが……どうにも気持ち悪い」

 相当嫌な記憶だったらしく、何度も同じ事を口にする若者に、娘は肩をすくめる。

 彼女たちの行動を説明することはできても、共感したり同情することができないため、理解は不可能だ。

 そこまでは、熾闇と一緒なのだが、熾闇の心情もやはり理解はしづらい。

「熾闇様も以前はよくわたくしの牀榻に潜り込んでいたではありませんか」

「あれとこれとは全然目的が違うだろう?」

「……仰る通りではありますが」

 呆れたような口調で応じた娘は、熾闇の着替えを手伝い、そうして何気ない仕種で扉代わりの絹布に軽く触れる。

 その瞬間、室内の空気が色を変えた。

 きんと澄んだ風が吹き渡り、部屋の隅々まで行き届くと、そのまま周囲が凍りついたように静まり返る。

 外界と内とを遮断する結界を張ったのだ。

「……青湖軍を動かしました。ただいま、こちらに向かっております」

「青湖を?」

「緑波軍を待機させておりますから」

「……あぁ」

 床机に腰掛けた熾闇の視線を捉えた翡翠が柔らかな口調で告げる。

 それに頷いた第三王子は、更なる説明を視線だけで問う。

「我々は一旦、王都に戻り、報告を。そして、南西部に向かいましょう。翰が動き出す気配がございます」

「また、天界の者か……」

「……おそらく」

「ふん、わかった。なんにせよ、おまえを狙う輩を俺は一切許さぬからな。徹底的に潰してやる。例え、おまえが嫌がったとしても、だ」

「御意」

 恭しく一礼を施す翡翠に、熾闇は痛そうな視線を向ける。

「三の君様?」

 その視線に気付いた翡翠が小首を傾げ、問い質す。

「なんでもない。だが、事と次第によっては、天界へ向かうことも辞さない覚悟だ」

 首を横に振り、自分の想いを隠した若者は真っ直ぐな視線でそう答える。

「……天界へ、ですか?」

「おまえを狙う理由がわかり、それでも止めぬ時は当然そうなるな」

「止めても聞かぬ性格であられることは幼い頃から承知しております。わたくしはただその御心に沿って勝利を得ることに専念いたしましょう」

 守護者がもっとも大切にするものは、主たる麒麟の意思だ。

 麒麟が天界に昇ることを望むなら、天位を勝ち取ることを考えるだろう。

 だが、此度の麒麟が思うことは、あまりにもそこからかけ離れている。

 人としての短い一生。

 護りたき者たちが平穏無事に過ごせること。

 ただそれだけしか望まぬ主に、無茶は強いられぬ。

 だが、守護者のために天界からの介入を排除したいと願う主の意向をどうしたものかと、彼女は戸惑う。

 守護者とは、護る者であり、護られる者ではない。

 それゆえに主の気持ちがわからない。

「翡翠?」

 怒ったのかと、心配そうな表情で熾闇が名を呼ぶ。

「いえ。そろそろ皆が参りますね。皆に王都に戻ることを伝えましょう」

 柔らかな笑みを湛え、そう告げた娘は主に悟られないように結界を解き、武将達が集まる部屋へと誘った。

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