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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
18/201

18

 槍と剣。

 上背もあり、力もある麗梨に比べ、まだ身体が出来上がっていない翡翠はかなり不利であった。

 もちろん、怪我のこともある。

 そうして間合いもある。

 どうしても身長分、麗梨の方が腕が長いせいで、同じ剣による試技は当然の事ながら、翡翠が不利である。それを補うために槍をとったのだが、これが功を奏した。

 しなるように細工された柄は、同じ長さの槍よりも遙かに軽量化されているが、硬度は充分ある。

 しなる分、それを計算すれば、余計な力は必要ない。

 十合、二十合と打ち合わせ、互いの力量を図る。

 さらに十合、息を合わせる。

 それから先は、根比べ。

 勝ちを焦るか、機を待つか。

 互いの性格が勝敗を変える。

 馬を操り、位置を変え、相手から目を離さずに、得物を振り薙ぐ。

 ぶつかる刃、散る火花。

 そうして、ようやく翡翠は麗梨の隙を見つけた。

 彼女よりもわずかに大振りする麗梨が、定位置に戻るときにわずかに崩れる均衡。

 ほんのわずかな時間差が生じるその隙を狙い、石突で女帝の肩を突き崩す。

 もし、彼女が歴戦の勇士なら、そんな隙は見せなかっただろう。だが、幸か不幸か、彼女にとってこれが初陣であった。

 いくら力があろうとも、技量が優れていようとも、経験の差がその年齢差を越えた。

 落ちるまいと、とっさに手綱を引いたのも失敗だった。

 馬が竿立ち、さらにその体勢を崩す。

 片手で己を支えきれず、そうして体勢を整えることができず、麗梨は馬から落ちた。


 どうっと地が揺らぐ。

 草が千切れ、風に舞う。

 一瞬、何が起こったのか、自分でも把握しきれなかった女帝のこめかみ傍に刃が突き立つ。

「……これまでにしとうございます」

 馬上より静かな声がかけられる。

 その瞬間、麗梨は己の敗北を悟った。

 例え、剣を手にしたとしても、相手が馬上では、まともにやり合えるわけがない。

 馬を刺してしまえば、同じ地上での戦いになるだろうが、馬を刺したことによる血脂で、剣が使えなくなってしまう。

 翡翠が仮に馬から降りたとしても、身の内を襲う落馬の衝撃はそう簡単には消えない。

 鎧がある程度までは衝撃を殺してくれたが、それでも予想していなかっただけに、背中を強く打ってしまった。

「さすがは綜翡翠殿、妾の負けじゃ。潔う、この首、そなたに渡そう」

 痛む背を堪え、起き上がった麗梨は、そう真っ直ぐに翡翠に視線を向け、きっぱりとした口調で告げる。

「それほどまでに、口惜しかったのですか? 羌に守護神がいないことが」

 その視線をしかと受け止め、翡翠は意外なことを口にした。

「白虎様の守りを受ける颱の民を憎く思われたのでしょうか?」

「……そなた、気付いておったか……」

 痛そうな表情を浮かべた女帝は、ついっと視線を逸らしたが、すぐにそんな己を恥じ入るように、また翡翠へと視線を戻す。

「応ともよ。天帝の不平等とやらを恨んだ! そなたたち颱の民に白虎神を守護の神として遣わして、何故我らに荒れた草地だけしかお与えになられなかったのかとな! 安寧と、白虎神の力に護られ過ごす颱を、憎く思わぬ日はなかった……」

 言葉は恨み言を紡ぐが、その表情も口調も、まったくと言っていいほど険を含んではいなかった。

 そこにあったのは、白虎神への憧憬。

 そうして、己に与えられた責任に気付かず、戦わずして富と力を手に入れ、それに溺れ、義娘達に懸想をし、彼女達を蹂躙した義父に対する嫌悪感。

 己の力を過信し、力のみで物事を左右できると信じる馬鹿な男共への蟻走感。

 国を富ませるのは、女達の存在だという白虎の言葉を一笑に付し、力無き女共は支配されるべきものだと断言した愚かな男達など、呪詛のように彼女は胸の内に凝る。

「ご自分が守護者になられようとは思われませんか?」

 羌の滅びへの道は、己の手で開いたのだと、そう告げる麗梨に、翡翠は意外すぎる言葉を紡ぐ。

「……は! この妾が守護神とな? 己の分は弁えておるつもりじゃ」

「何を以て、己の分といたしましょうや?」

「…………言うたな、綜翡翠。我が手は、破滅へと導けるが、それを食い止める術もさらに栄えさせる術もない!」

「白虎様は、何もなさいませぬ。ただ、民人が心地よいと感じる風を送って下さるだけ。何のお力も振るいはなさりませぬ。人の宿命を変えてはならぬという天帝様の命に従い、礎として人の時の河を眺めておいでです。……昇仙なさいませ」

 ごく一部の者しか知らぬ真実を告げた少女は、穏やかな視線を女帝に向ける。

 恐れを知らぬ狂気の女帝も、敵軍師の『昇仙』という言葉に、恐れをなしたようだった。

 激しく首を振る。

「何を申す! 昇仙など……あれは、仙人骨なるものがある者しかなれぬのだろう!!」

「それは偽り。仙人骨というのは気骨。仙人となるための苦行に耐えられる気概の持ち主を示すものです。大切なものを護るために、飛仙となる気概はございませぬか?」

「妾に護るものなど、何もない……」

 項垂れ、俯いた麗梨は、そう告げた。

 自ら手を離してしまったものを再び手に入れるなど、虫が良すぎるとそう考えているようである。

 ふと、視線を上げた翡翠が、何かに目を止め、小さく頷く。

 そうして放たれたようにこちらに走り来る足音に、笑みを浮かべた。


「どうか、どうか、お救い下さいませっ! 姫様は、羌にはなくてはならぬ方!! どうか、お願い致しまする!」

 草を散らし、走り寄った娘達が麗梨を護るように手を広げ、そうして前に膝をついた娘が両手を組み、翡翠に嘆願する。

「私どもにとって、姫様は風にも陽にも等しい御方。どうぞ、この小さき者の命に代えまして、姫様の命をお救い下さいませ!」

 そう言うと娘は懐から懐剣を取り出し、自分の首にそれを突き立てようとする。

 それよりも早く、翡翠はその懐剣を取り上げ、それを鞘に戻す。

 最後の嘆願も届けられなかったかと、女官である娘は泣き伏した。

「無駄に命を散らすべきではありません。おやめなさい」

 そう告げた軍師は、再びその娘へと懐剣を返す。

「麗梨殿のお命を取ろうとは思いませぬ。我らの本意は、一時も早くあなた方にこの地を去っていただきたいだけです。この地を去れば、それまでのこと、不問と致します」

「……綺麗事を」

「そう、綺麗事です。ですが、力があれば、その綺麗事も罷り通るのですよ、麗梨殿」

 苦笑を浮かべる女帝に、さらりと答えた翡翠は、穏やかな笑みを浮かべる。

「まだ、護るものがおらぬとそう仰いますか? そのように慕ってくれる者を前にして」

「麗梨殿と仰ったか……何故、そう死に急ぐ?」

 唇を噛み締める麗梨に、さくりと草を踏みしめた熾闇が問いかけた。

「──我が君」

「傷の具合はどうだ? あまり人を心配させるな。で? 何故にそう死にたがっているのか訳を聞かせていただきたいものだな」

 窘めるような翡翠の視線をものともせず、熾闇は麗梨に鋭い視線を向ける。

 主が死にたがっていたと知った女官達は、驚いた様に女帝を見る。

「俺は慈善家でもお人好しでもない。滅びたがっている国を滅ぼし、死にたがっている者を殺してやるほど優しくはないのだ。その傷、一生抱えて生きるが似合いだろう」

「我が君っ!!」

 制止の声をかける翡翠だが、熾闇の思いも承知している。

「一国の主なら、その責を負い、地に這い、辛酸を舐め、国を護るが務め。それが嫌なら、初めから位につかねば良いのだ。さすれば、簡単に国は滅びる。私欲に駆られた者が、自らの欲に潰されるだけだ」

 あっさりとした口調で告げた熾闇は、視線で女官達にそこを離れるように示し、地に片膝をつく。

「交渉の席に着き、この者達を救うか? それとも国の主としての責任を投げ出し、愚者として果てるか? その時は、羌を完膚無きまでに叩き潰してくれよう」

 完全に羌の血を根絶やしにすると事も無げに言う少年に、麗梨の瞳に表情が浮かんだ。

「今回ばかりは、さすがに俺も腹を立てている。少しばかり八つ当たりをさせて貰うぞ」

 その『八つ当たり』が何を示しているのか、熾闇の為人を理解していれば、頭を抱えるか苦笑を浮かべる程度で済むのだが、そうとは知らぬ彼女達は、最悪の事態を思い浮かべ、顔色を変え、身を寄せ合う。

「……颱の者が、手荒な真似をするとは聞かなんだが……」

「俺は気が短い。それにお人好しではないと言ったはずだが?」

「わかった。交渉の席に着こう」

 死の覚悟をしていた女帝は、思ってもみない展開に、渋々ながら頷いた。

「丁重にもてなせ。討ち取った首は塩漬けにして、羌に帰す準備をせよ」

 麗梨の諾を受け取った少年は、後始末に入る。

 そうして、数ヶ月に及ぶ羌との戦いは、終末を迎えた。


 かくして羌はこの地上から滅び、そうして西の地には女仙の住まう山が現れた。

 女仙に護られた地は、瑤池と呼ばれ、その後、その地に足を踏み入れる者はいなかった。


 西の地を護った王太子軍は、王都を目指し、急ぎ戻った──

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